熊野古道から 2017冬 8日目 小雲取越

2017/2/8 水
始:7:10 ~ 終:14:25 晴れ 朝-3℃
0530起/0710発(渡瀬温泉隧道手前) ~ (川湯温泉) ~ 0755(請川) ~ 0920(松畑茶屋跡) ~ (万歳峠分岐) ~ 1010(百間座) ~ 1100(石堂茶屋跡) ~ 1150(桜茶屋跡) ~ 1300(小和瀬) ~ 1400(円座石) ~ 1425(東屋) ~ 1530(幕営)

車の音が喧しく聞こえるところで寝たのは久しぶりだが(普段自宅では聞こえないので)、思いのほかいいテン場だった。
今朝は楽々のテント撤収で7:10発。空気は冷たいが、朝から晴れて穏やかな一日。
が、明日は日本海と四国沖を低気圧が通過するため雨か雪の見込みで、停滞の可能性が高い。停滞が可能ないいテン場を見つけることが本日の第一の命題。低気圧の通過後はまた冬型になりそうである。

出発してすぐにある長いトンネル(渡瀬温泉隧道)を抜けると川湯温泉。
湯峯温泉と同じようにここも最高だ。なんというかロケーションが絶妙。
といっても別に絶景が広がっているわけではないし、冒険心をくすぐるような秘境にあるわけでもない。静かな山間にある以外これといって特筆するようなことはなにもないと言っていいロケーションなんだけど、湯治ということになるとこれこそが重要。
余計なことに気をとられることなく湯に浸かることだけに集中する、というのもおかしな表現か。無心でただひたすらボーっと湯に浸かる。
こんなところに長逗留してのんびり湯治したいものである。
ちなみに、公衆浴場は8:00から入れて250円。川の露天風呂など心付けだけで入ることができ、6:30~22:00まで入浴可能。

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亀屋の前の川の中にあるのがその名の通り、川湯温泉の露天風呂

川湯温泉のすぐ先に野営場があり、たぶん野営場自体はこの時季開いてないと思うけど、近くの川原で車にカヌーを積んだ人がキャンプしていた。
こんなところにいいテン場があったではないか。
大峰を縦走するときは前日ここに幕営して温泉に浸かれるなぁ・・・などと想像してしまった。

熊野川と大塔川が合流するところに人家が密集しているのが請川。
かつては新宮からの船着場として賑わったところだが、今は熊野川沿いにR168がズドンと通っているばかり。
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大塔川に架かる請川橋の東でR168に合流。すぐに小雲取越の登り口がある。

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中辺路は歩く人が多いと見え、道が広くなだらかで歩きやすい。
別な言い方をすれば単調で退屈である、ともいう。
イノシシがいたるところを掘り返している。すごい仕事量だ・・・(笑)。

松畑茶屋跡を過ぎてしばらく行くと、万歳(ばんぜ)峠への分岐点。
ここより分かれて東へ下る道は、妙法山の山腹の万歳峠を越えて志古へ至る。志古から熊野川を渡って伊勢街道へとつながる道である。
請川と小和瀬の間の小雲取越の道は今では中辺路のハイライトのひとつとなっているが、中世の古道は別のルートをとっていたという見方がある。西行の歌に志古の山路がはっきりと歌われていたりする。
「紀伊続風土記」によると、今の小雲取の道は後世になって開かれた道で、古の時代に那智より本宮へ往来していた道は志古から西方の山中に入って番西峠へ登り(番西道)、これを越えて四村荘大津荷村(現本宮町大津荷)に下って同荘請川に至った、とある。
請川から小和瀬まではまったく別のルートだったことになるが、今旅ではこのまま近世になって開かれた小雲取越の道を行く。

10:10、百間座(ひゃっけんぐら)に着く。
崖のことを熊野地方では岩座(いわくら)といい、百間というのは高いことを形容している。
その名の通り道が崖の上を通っていて、西の方角は開けていてすこぶる見晴らしがよい。
果無山脈がよく見えるが、大峰山脈はすぐ北東にある妙法山の陰となってしまってまったく見えない。

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百間座から望む山々。
右端(北西)に遠望できるのが果無山脈。それに連なるように西南に遠く横たわるのは大塔山系の山々。

一度林道と出合ってこれを渡り、しばらく登ると石堂茶屋跡。
ここに東屋があるが、残念ながら真ん中にイスとテーブルが鎮座していて幕営は不可。
さらに行くと桜峠。峠から少し下ったところに桜茶屋跡がありここにも立派な東屋があるが、残念ながらやはり真ん中に四角いイスが鎮座していた。
時間的に今日は大雲取越に入って適当に行動を切ることになりそうなのだが、雨の日の快適な停滞場所として狙っていたこの先の東屋はどこも望みが薄そう。

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(左)石堂茶屋跡、(右)桜茶屋跡にある東屋。本日のルート中で雨の日に停滞可能な平坦地というと、こういった休憩所の類しかなさそうなのだけれど・・・。

桜茶屋の付近はユズリハがこれでもかというくらい群生している。柚も自生していた。
やっぱ暖かいんだなぁ・・・。
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見事な大きさに育ったユズリハ

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13:00に小和瀬へ下りた。見えているのは赤木川に架かる小和瀬橋。橋を渡った対岸が昔の渡し場跡となっている。
渡し場跡はちょっとした広場になっていてトイレと東屋があるが、残念ながら付近はキャンプ禁止である。

小和瀬から大雲取越の登り口となる小口までは1kmほど。
大雲取越と小雲取越の間に位置する小口は街道の要所で、中心地の上長井には明治の頃まで十軒ほどの宿屋があった。
現在も民宿はあるが、一番大きな宿泊施設は廃校を利用した小口自然の家で、川岸にあってキャンプすることもできる。そこ以外、付近の川原はキャンプ禁止となっている。

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大雲取越の登り口

時間的に、目標は円座石(わろうだいし)の先にある休憩所とした。ここで確実に水がとれ、たぶん東屋がある。
その先の地蔵茶屋跡にもたぶん東屋があるが、水がとれるかどうか確証がないのと、林道と出合ってしまうため手前で切ることにした。

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杉の人工林がしばらく続く。いわゆる熊野杉というやつだろうか?吉野杉や尾鷲杉のように有名な杉材なのだと思う。
そうでなければ今どき杉をこれほど大事に植林しなかろう。植林した幼木を樹脂材で保護している(右)。

14:00、円座石に到着。
長さ5m、高さ2mほどの苔むした大石に、(写真ではハッキリしないが)輪で囲んだ梵字が刻まれている。
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説明板によると、「円座とは、藁や菅やいぐさで編んだ丸い座布団のようなもので、梵字は向って右から、阿弥陀仏(本宮)、薬師仏(速玉)、観音仏(那智)などをあらわし、三所の神仏がここに座って会合をしている図である」らしい。

中辺路にはまったく雪がなかったので歩いている人がいるだろうと思っていたが、円座石の説明板を読んでいるときに那智方面から歩いてきた人と会った。
九度山を発ってここまで古道を歩いてきてはじめて会う人だったが、その人はトレラン風の格好をした軽装の外国人だった(どこの人かは聞かなかったけれど)。
いやはやなんとも・・・熊野古道はすっかりインターナショナルなスポットなんですね。

円座石のあるところは中根という場所で、昭和三十年頃まで五軒ほどがあったところであるが、今となってはその形跡もほとんど残っていない。
そこからしばらく行くと古道の脇に東屋が現れ、どこから引いているのか水道があって水が取れる。
残念ながら、東屋の下は真ん中にテーブルとイスが斜めにデーンと鎮座していて幕営不可。問題は、東屋の周りにも幕営できるスペースがまったくないことだった。
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時間はたっぷりあるので、その先の楠の久保まで空身で偵察に行ってみる。
楠の久保は山の斜面の集落跡で、かつては旅籠もあった。旅籠は明治の終わり頃までやっていたようである。
棚田のように何段かに分けて広い平坦地がつくられていて、けっこうな規模の集落であったことがうかがえる。昭和三十年頃にはまだ六軒ほどに人が住んでいたということである。
今となっては広い平坦地と石垣以外に何も残っていない。
こういった集落跡というのは、住んでいた人が出ていくときに田畑や屋敷跡に植林していくのが常だったので、たいていの場合杉や檜が密生している。楠の久保も例外ではなく、今では立派な杉林になっている。
つまり、広い平坦地はあるのだが幕営は無理。間伐されていたとしても切り株があってどの道無理。もう少し疎林であればヨーロッパの森のようにこの上ないテン場となるのだけれど・・・。

水も休憩所でしか得られそうにないので、雨の中の停滞ということを考えるとなるべく休憩所の近くに幕営したい。
戻ってもう一度休憩所の付近を探索することにした。
楠の久保までの往復の間にもう一人、やはり那智のほうから歩いてきた人とすれ違った。先ほどの人といい、今日は小口まで下って泊まるのだろうか。

休憩所に戻り、さらにその下まで範囲を広げてテン場を探す。小山の上に出てみたり、道から斜面を少し下りたりしてみたが、やはり適当な場所はない。
水に関しては言うことなしの場所なのに・・・こうなると邪魔なだけの東屋がむしろ恨めしい。
結局最善の場所は、東屋のちょっと先にある古道脇の狭いスペース。そこを整地して幕営することにした。
問題はボコボコした杉の根っこ。枯れ枝や杉の落ち葉を拾い集めて敷き詰め、なるべく根っこを目立たないようにする。

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15:30、幕営完了!会心とはいえないが、どうにか許容範囲のレベル。フライの末端と固定の石が少々古道にはみ出してしまったが、まぁ勘弁してもらおう。それほど人も通らないだろうし。
こと水に関しては言うことなしのテン場である(右)。

16:00前、テントの中で日記を書いているとさらにもう一人、やはり那智のほうから歩いてきてテントの前を通過していった。

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Trackback [0] | Comment [0] | Category [■ 003_Nakahechi / 中辺路] | 2017.03.21(Tue) PageTop
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熊野古道から 2017冬 7日目 熊野本宮大社から大日越

2017/2/7 火
始:7:50 ~ 終:16:40 曇りのち晴れ 朝-6℃
0530起/0750発(果無観音堂) ~ 0825(果無峠) ~ 0920(三十丁石) ~ 1055(八木尾橋) ~ (道の駅奥熊野古道ほんぐう)1220 ~ 1250(三軒茶屋) ~ 1330(熊野本宮大社) ~ (大斎原)1420 ~ 1510(鼻欠地蔵) ~ 1540(つぼ湯) ~ 1640(渡瀬温泉隧道手前)

昨晩は風が強く、一晩中ゴーゴー唸っていた。
が、観音堂とその後ろの杉の木が盾となってくれてテントにはほとんど風が当たらず。本当にありがたかった。
風は朝になってもおさまらない。朝までに2cmくらいの積雪。
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昨晩23:00頃トイレに起きたのだが、またまたフライのジッパーが凍ってしまって開かなくなった。あまり気温の低くない場所で雪になったりするとこんなトラブルが頻発する。
どうにか融かしながら開けはしたが、またしても閉まらなくなった。1/3くらい閉まってないが、夜中にあれこれやるのも面倒なので末端のマジックテープだけ留めてそのまま寝た。
そのせいばかりではないけど、寒くてあまり眠れず。

フライのジッパーは鬼門だ。
エスパースの場合テント本体の出入り口はジッパーでなく、吹き流しを紐で絞るタイプだからその点はよく考えられているのだけれど、フライばかりはどうしようもない。
ま、そもそもこのフライは冬山で使うことを想定したものではないのだけれど・・・。
エスパースの場合、冬山用に準備されているのは外張りではなく内張りなんですね。外張りならたいてい出入り口は吹流しになっているからこういうトラブルは起こらない。
内張りは、もっと標高が高くて乾燥したヒマラヤのようなところだと威力を発揮するのだろうけど、日本のような湿雪地帯ではまったく使えない。水気を吸って濡れ、霜でまっしろになるという不快な状況を招くだけ。この内張りを昔、山岳会にいるとき使っていたのだが、あまりに使えないことがあったのである時点から使わなくなった。自前のものも持っているのだけれど、これは買ってから一度も使ったことがない(笑)。
吹流しの外張りがあればそれを使うのだが、残念ながらエスパースにはないので代わりにフライを使っている次第。

ちなみに、今使っているフライのジッパーは純正品ではなく、ヨーロッパで壊れてマユミが交換したもの。
晩秋から初冬にかけての季節だったが、壊れてしばらくは安全ピンをいくつか使って留めるという苦肉の策で乗り切った。オーストリアでようやく必要な長さのジッパーを見つけ(2011/11/28)クロアチアでミシンを借りてようやく縫い付けることができた(2011/12/10)
そんなフライをまだ使っている。
ジッパー以外にもあちこちボロボロなので(本来ならとうに限界を超えている)、そろそろ新しいフライを買おうと思っている。
現行のフライが旧モデルのテントに適合しているあたりはさすがエスパース!ただ、2万円以上する高価なもの(少なくとも自分らにとっては)なんですよね・・・。

いきなり脱線しました。話を戻します。
凍ったテントの撤収に手間取って出発が少々遅れた(壊れたフライはひとまずそのまま)。
相変らず風が強い。

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果無峠への登り。途中で果無集落やその下の柳本が遠望できたが、下界はまったく雪が降らなかったようだ。

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果無集落のアップ。ここから見ると山上の集落というのがよくわかる。

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8:25、果無峠に着く。幕営はちょっとキツイかな。

峠の反対側へ出るとピタッと風がやんだ。
雪の道をガンガン下る。600mほどまで下ると雪がなくなる。
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三十丁石のあたりまで下ると本宮の町が望める。旧本宮町であるが、町といっても人口四千人に満たない山村である。
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なにより熊野川の広い川原に驚く(二津野ダムの下流なので水量は極めて少ない)。
ちなみに、熊野川というのは十津川の下流部の呼称で、同じ川のこと。十津川が和歌山県に入って熊野川と呼び名を変える。

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七色茶屋跡から。下に見えているのは七色の集落。

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10:55に八木尾へ下りた。八木尾橋より果無峠を望む(右)。

昔は八木尾から本宮まで船で渡るのが普通だった。
もちろんその頃の熊野川は水量が豊富だったが、今では上流に三つもダムがあり、悲しいくらい水が少ない。広大な川原だけが昔の面影を伝えている。
古道は川の右岸をたどっていたが、しばらくは国道(R168)によって消されており、国道を歩く以外にない。

しばらく国道を行くと道の駅がある。
道の駅に用はないのでスルーして、道路の反対側にあるはずのAコープへ直行。
が、近づいてみると、どうも閉まってるっぽい。まさか・・・と思ったが、貼り紙によると道の駅へ移転していた。
ホッ・・・。

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左にあるのが道の駅奥熊野古道ほんぐう

道路を渡って道の駅へ。
すぐに食料の買出し。まだ真新しくきれいで、たいていのものは揃うAコープだった。
米2kgに、まだストックがあるけどふりかけと玉子スープも買い足す。
手持ちの分で那智勝浦までどうにか行けそうだったが、念のため行動食も少々買い足す(カンパンとアーモンドチョコ一箱)。
売り場に並んだ弁当に当然のように引き寄せられ、とんかつ弁当を食べる。
屋内の一角に飲食のできるスペースがあり、テーブルがいくつか並んでいて電子レンジもある。なんと!熱いお茶までいただける。素晴らしい。

弁当を食べたら買ったものをパッキング。いらない包装類はその場で捨てさせてもらう。
12:20に道の駅をあとにした。
道はこの先まだしばらく国道をたどり、平岩口から国道を外れて古道に入る。

平岩口に着いてみると、すぐ先の国道沿いにGSが見えた。
ガソリンの残量が微妙なので、もしGSがあればガソリンを買おうと思っていた。これはラッキー。
いったんルートを外れてGSへ。ガソリンを0.6L買う。これで何があっても大丈夫。

平岩口に戻って国道から山のほうへ入る。
舗装された林道をしばらく行き、三軒茶屋の手前で山道に入って中辺路と合流する。

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三軒茶屋跡には素晴らしい休憩所がある。時季によってすごい数の人が通るだろうけど、休憩所の外のスペースに幕営可能だ。

山道を登って下り、林から出ると祓所団地がある。熊野本宮大社はそこからすぐ。
祓殿王子を過ぎると本宮大社の裏鳥居がある。
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小辺路や田辺方面から中辺路を来ると、裏口から本宮大社に入るような形になる。
こちらに手水はないので、ひとまず社殿の横をスルーして表参道の手水のところへ。荷物を下ろし、手と口を清めて改めて参拝。

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神門より先は撮影禁止。本殿は四殿から成っている。

熊野権現、熊野三所権現、熊野坐(くまのにます)神社などとも呼ばれる熊野本宮大社の歴史は古い。
草創伝説はいろいろあり、創建されたのは第十代崇神天皇の御代ともいわれる。
このあたりのことになるともう神話の域を出ず、崇神天皇というのが果たして実在されたのかどうかも定かでないが、事実とすれば社殿が創建されたのは有史以前となる。
明白なことはわからないが、創建がそうとう古いということだけは間違いない。

ちなみに、熊野権現などというときの権現について。
権は仮という意味で、仏が仮に神の姿で現れたということである。これは、日本にもとからおられる「かみ」と大陸から招来した「ほとけ」を一体とする、奈良時代から唱えられた神仏混淆という考え方に端を発する。

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こちらが表参道の鳥居

現在の本宮大社は台地の上にあるが、これは明治二十四年に再建されたもの。
もともと本宮大社があったのは熊野川と音無川、岩田川の三つの川が合流する中洲で(もとの社殿はずっと大きかった)、その場所は大斎原(おおゆのはら)と呼ばれる。これが明治二十二年の未曾有の大洪水で流失した後、二十四年に流失を免れた社殿の一部を移築し復元したものが現在の本宮大社である。
明治以後の急激な山林の伐採により引き起こされたともいわれるが、いずれにせよそれまで二千年も問題なく鎮座していたものが明治になって突然流失した。
人知の及ぶ範囲なんて所詮そんなもの。
想定外のことが起こるのは、最初から想定が間違っているから。
我々は何ひとつわかってはいないのだ。
地球温暖化を例にとったって、46億年の地球の歴史の中で僅か数百年のデータだけ見て温暖化だ、寒冷化だと言われてもねぇ・・・46億年の中の数百年なんてゴミにもなりませんから。

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現在の大斎原。川の形が変わり、中州の形は明確には見てとれない。
日本一の巨大鳥居(高さ33.9m、平成十二年完成)の向こうにある、木の繁っているところ一帯がもとの社殿のあったところ。いまは中四社と下四社という位の低い神様が小さな石の祠におさまっているだけ。

大斎原から橋を渡ってR168に出る。ここから請川まで、現在はほとんどの場合そのまま国道を歩いていると思う。
昔は本宮から新宮まで熊野川を船で下るのも普通だったが、本宮と那智大社を結ぶ道ももちろんあり、小雲取越、大雲取越と呼ばれる道(中辺路)がそれ。
小雲取越には請川から取り付くが、大斎原から請川の間は古道が消失している。道は熊野川沿いに通っていたとされるが、現在は国道によって消されてしまっている。
距離的にも川沿いを行くのがもっとも近いが(現在は国道を歩くことになる)、江戸時代の記録(三熊野参詣道中日記など)によると、請川から本宮まで湯峯温泉経由で歩いている。
幹線のR168を歩いても退屈で不快なだけなので、我々も江戸時代の旅人に倣い湯峯温泉経由で請川へ抜けることにした。

本宮から湯峯温泉への道は大日越と呼ばれる。
R168を南下するとすぐ大日越の登り口がある。

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月見ヶ丘神社付近。確か杉だったと思うが、ツルッとした幹が印象的な巨木が何本も茂っている。

鼻欠地蔵までけっこう登る。
そこから先は下りとなり、15:30頃湯峯王子に着いた。ここまで山中にいいテン場なし。
湯峯王子のすぐ下に温泉街がある。長い歴史を誇る湯峯温泉だ。
今は観光用となった「つぼ湯」から公衆浴場まで、昭和の香りの色濃い小ぢんまりとした素敵な温泉街が川沿いに広がっている。
こんなところに一週間くらい滞在してのんびり湯治したい・・・そんな衝動に駆られる温泉地である。

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(左)湯峯王子と、(右)その下にある「つぼ湯」

つぼ湯は室町の頃の伝説に登場し、その薬効を謳われている由緒ある温泉である。
グループ単位で借り切る形となっていて、一人770円、1グループ30分までとなっていますが、興味のある方は熊野詣の後にでも浸かってみてはいかがでしょう。もしかして時季によっては順番待ちになったりするのかな???

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公衆浴場の付近・・・きっとお湯もいいんだろうなぁ。ホント、ここに一週間くらい滞在したい。

たぶん付近では随一の秘湯であるが、今は国道(R311)も通っていて本宮からも田辺方面からも比較的簡単に来ることができ、こんな時季でもけっこう観光客がいる。
我々は後ろ髪を引かれつつ今回はパス。そんなことよりテン場を探さないと・・・。
つぼ湯の前のトイレで水を汲み、請川方面へと歩く。幕営態勢は整ったので、適当な場所さえあればどこでも幕営可能。

湯峯温泉から先は古道が定かでなく、舗装の車道を歩くしかない。
思いのほか人家があったりしてテン場を得るのが厳しい。ずるずると歩いているうちに渡瀬温泉に着いてしまった。
渡瀬温泉は湯峯温泉やさらに先にある川湯温泉と違って、数十年前に掘削された新しい温泉である。国道からかなり下ったところにある平地にホテルのような巨大な施設も見える。そしてここにも思った以上に人家がある。

タイムリミットが迫ってきた。
渡瀬温泉のすぐ先は川湯温泉だし、このままだと請川まで抜けてしまいそう。請川ということはつまりR168に出てしまうということだから、ど嵌まりしそうな予感・・・。

川湯温泉へ抜けるトンネルの手前に温泉スタンドがあった。どうやら故障していて使えないもよう。
その奥は行き止まりとなっていて、そこにどうにか幕営できそう。
玄峰老師の墓というのが山の上にあり、空身でそこも偵察してみたのだがどうにも厳しい。
この場所がラストチャンスと見て、行き止まりとなったところの手前に幕営。
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昨晩壊れたジッパーは今回もすぐに直った。

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熊野古道から 2017冬 6日目 果無(はてなし)

2017/2/6 月
始:7:30 ~ 終:15:05 曇りのち雪 朝-3℃
0550起/0730発(三浦峠) ~ (古矢倉) ~ (出店) ~ 0855(矢倉観音堂) ~ 0925(林道合流) ~ 0950(西中バス停) ~ (大津越) ~ 1145(昴の郷)1225 ~ 1315(果無集落) ~ 1410(天水田) ~ 1505(果無観音堂)

昨晩は暴風だった。
4:00前にトイレに起きたときは細かい雪も吹きつけていた。
あまりの風に起床を20分ほど遅らせる。

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峠は薄っすら白くなり、天水のタンクは蛇口が凍って使えなくなった。

強風の中テントをたたむ。
フライのジッパーが凍ってしまい開け閉めしてるうちに壊れてしまったが、ひとまずそのままにして撤収。
出発する7:30頃になってだいぶ風が収まった。

林道を渡って一歩樹林の中に入ると風がピタッとやむ。山の陰でもあるんだけど、樹林というのは本当にありがたい。
樹林の中の尾根道を西中まで一気に下る。地面がふかふかで勾配も緩く非常に歩きやすい。
途中に何箇所かポイントになるところがある。

まずは古矢倉。「熊野めぐり」に「下り道よし、三十六丁下れば茶店二軒有」と記されている場所である(距離が合わないけど)。
屋敷跡の西側に天保十年と記された地蔵菩薩座像がある。
十津川村教育委員会によると当時の戸数は一軒で、屋号を「古矢倉」といい茶店兼旅籠であったが、昭和十年には廃屋となった。
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平坦地で幕営可能である。水は三浦峠から10分ほど下ったところにある沢でとることができる。古矢倉はそこからすぐ。
ま、こんなところに幕営するより三浦峠のほうがずっと快適だけど。

古矢倉から20分ほど下ると出店(出茶屋)。
出店というのは、水がなくて喉が渇きそうな峠の近くなどへ特に往来の多い季節に限って出した店のことで、この場所には明治の末頃まで出店があったようである。水は桶を担いで下のほうから汲んできたということだ。
ここでその出店跡より目を引くのは、尾根上に延々と続く石垣。石垣で尾根上に見事な棚田が作られている。
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その昔、ここには田園風景が広がっていたらしい。今では尾根上や下の斜面に松や檜がビッシリ繁っているが、それらが丸々なかったのだからさぞ眺めがよかったことだろう。
田んぼはかなり広い。石垣を積んで尾根上に広大な平坦地を作り出してしまうのだからすごい。
しかも、出店があったくらいのところだから当然水などない。田んぼといっても天水田なのだ。田の底土を特に固め、雨水を貯めて稲を作った。昭和二十年代後半まで、谷間の釜中の人々が通って耕作していたそうだ。
いやいやいや、恥ずかしながら今の既成概念にとらわれていて知らなかった。天水のみで陸稲ではなく水稲を栽培できるなんて。
なんとも衝撃的。やってやれないことなんてないんだな・・・。

尾根の西も東も谷が深い。
出店からしばらく行くと、東側の谷を挟んだ山の斜面に今西の集落が望める。
すごいところに住んでいるように見えるが、たぶん傍から見たら伊那谷も似たり寄ったりだろうな・・・。

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さらに下ると矢倉観音堂があり、やがて林から出て矢倉で林道と出合う。

矢倉からところどころ林道を歩いたり山道を歩いたりしながらさらに下ると西中である。
すぐ下を西川が蛇行して流れ、川の左岸にR425が通っている。
古道は寸断され、しばらく国道を歩く以外にない。かつての古道は谷を渡って山の中腹についていたようである。

西中から柳本まで8kmほどの国道歩き。
ここを村のバスが一日五往復している。西中バス停に着いたのは9:50、歩いていると10:08のバスが下から上がってきて、川合神社の先で戻ってきたバスと再びすれ違った。
バスには誰も乗っていなかった。すれ違うとき運ちゃんがわざわざ速度を緩めて声をかけてくれたのだが、丁重に断った。
が、ここは割り切ってバスに乗るのもありかも。
舗装路歩きでもはじめのうちは静かでいい感じなのだが、国道沿いにいくつか集落があり、唯一の生活道路なのでけっこう交通量がある。
それはまぁいいとして、天神橋より先でちょうど護岸工事をやっていたためダンプが頻繁に往復しており甚だ不快だった。
軽同士でもすれ違えない狭い道路なので、ダンプが前から来ても後ろから来ても一度立ち止まって避けないといけない。いったい何度立ち止まってやり過ごしたことか・・・まったくタイミングが悪かった。

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(左)西中バス停  (右)西中と柳本の間を往復している村のバス

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(左)ニホンミツバチの巣箱をよく見かけた。対馬なんかと同じく丸太の中をくりぬいた蜂洞タイプの巣箱。
(右)ダンプが多く落ち着いて休める場所もない。バス停を借りて休憩。

それにしても山深い。
西中とその先の集落でこの旅はじめてサルを見た。
季節の問題か、サルは食料の豊富な人里の近くで生活しているらしい。山の中ではまったく気配が感じられなかった。

忽然と現れる、昴の里という大型の温泉&宿泊施設まで来れば一安心。この先は国道を離れられる。
トイレの前に荷物を下ろして大休止。
壁際の路上をふと見るとヤモリがいた。さすが紀伊半島!ヤモリがいるんですね。やっぱ暖かいんだなぁ。
てっきり潰れて死んでいるのかと思ったら、寒くて動けなくなっているだけだった。なんで危険な路上に出てきちゃったんだろう?
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気を取り直して果無へ。
舗装路をしばらく歩いて上湯川に架かる吊り橋を渡ると、果無峠へ登る山道に入る。
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この吊り橋が非常~に怖かった。
いや、風がなければなんでもないのだろうけど、この日は風がビュービュー吹いてたんで思わず緊張した。橋の幅がまた絶妙で、横風に煽られると異様に怖い。これが南アルプスの畑薙ダムの吊り橋くらい幅が狭ければここまで怖くないと思うんだけど・・・。
昨年の浦戸大橋ほどではなかったけど、稀に見る怖い橋だった。橋を渡るのがトラウマになりそう。

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果無集落への登り。見事な石畳の道(けっこうな急登)。

果無(はてなし)というのはなんともいい響きだ。妙に旅心をくすぐる。
地名であるから「果無○○」といろいろなものの名前についているのだが、これが会社の名前だったりするとはまりそうな印象を受ける。

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しばらく登った展望所から、ちょうど十津川が大きく蛇行するところを望める。
下流に二津野ダムがあるため水量は多く、水の流れは緩やか。護岸工事のためか水も茶色く濁っていて、とても日本の川には見えない。
ここはラオスかベトナムか・・・という感じ。
ボーッと眺めていると、向こうからワルキューレの騎行にのせて第1騎兵師団のイロコイの編隊が現れそう。

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この扉の向こうが果無集落。山上にある、マチュピチュのような天空の集落だ。

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山の上にありながら湧水が豊富で、田んぼも天水田ではない。どの家も庭先に水が引かれていて、池に鯉が泳いでいる家もある。

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この水がまた旨い。そしてあらゆるものがよくできている。
熊野古道ではこのように人家の庭先を古道が通っていることがよくある。時季によってけっこうな人が通ると思うんだけど、住んでいる人にとってどんな感じなんだろう?

果無集落より上へ行くと、道の脇に一定の間隔で観音様の石仏が祭られている。
この石仏は、柳本から果無峠を越えて八木尾までの道すがらに、西国三十三所の札所のそれぞれの観世音菩薩を順番に祭ったものである。「第一番那智山」は南の麓の八木尾にあり、果無峠は「第十七番六波羅堂」、「第三十三番華厳寺」は果無集落から東へ下った十津川岸の櫟佐古(いちさこ)にある。主に十津川村と本宮町の信者たちが講をつくり、大正十一年に建てたものであるらしい。

集落を抜けてしばらく登ると、何反かありそうな天水田の跡がある。
ここより300mほど峠寄りにあった山口茶屋の住人が稲作をしていたらしい。
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天水田の跡。後ろに見えているのは果無山脈の山々。

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山口茶屋跡。防風林だったであろう杉が伸びてやはり異様な形をしている。

さらにひと登りで果無観音堂。
今宵はここに泊めていただこう。
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観音堂の前に水が豊富に出ていて、すぐ下にトイレもある。
風がすこぶる強いのだが、観音堂とその後ろの杉の木がいい風避けになってくれた。ありがたや。
今朝方壊れたフライのジッパーは無事復活。とりあえずよかった。

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熊野古道から 2017冬 5日目 停滞の三浦峠

2017/2/5 日
雨、朝2℃
三浦峠にて停滞

3:00前にトイレに起きたときは星が出ていた。
が、5:00頃から雨音が・・・。

20分遅らせて5:50に起きる。
標高1,000m以上の場所なんだけど、朝の気温2℃と暖かい。
細かい雨が降っている。雪ではなく雨だ。

いつも通りおにぎりとスープの朝食を済ませ、出発の準備を整える。外は相変らず雨。
行動可能なくらいの雨であるが、ラジオの天気予報によるとこれから低気圧が通過するらしい。
「和歌山などではバケツをひっくり返したような雨が・・・」などと伝えており、7:00の予報を聞いて停滞を決めた。

寝耳に水だった。昨日まではそんなこと一言も言ってなかったと思うから。
なんでこういうことになるんだろう???
ラジオの天気予報ってのはホントダメだな・・・肝心なことは何も言わない。
どういった理由で雨が降るのか、低気圧が通過するとか前線が通過するとか。低気圧はどこを通過するのか、日本海なのか南岸なのか。そういったことをいの一番に伝えてくれないと天気がどうなるのかイメージできない。

こんな完璧な場所に幕営できていることが幸いだ。
弘法大師のお導きか、などと柄にもなく思ってしまう。
問題の水はトイレに天水のタンクがあったので大丈夫(実は昨日もわざわざ下で汲んで担ぎ上げる必要はなかった)。
この雨でさらに天水が溜まることだろう。

日記を書き、その後はひたすら寝て過ごす。
朝沸かしたお湯で昼にオニオンコンソメスープを飲む。

15:00前に車が一台通過し、しばらくしてまた下りていった。
三浦峠には林道(未舗装)が通じていて古道と交差する。西川方面から車で上がってくることもできるようだ。
雨は16:00頃上がった。

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ガスが晴れた隙に。本当に山深いところだ。

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熊野古道から 2017冬 4日目 伯母子峠を越えて~ここが全行程の核心部~

2017/2/4 土
始:7:15 ~ 終:17:45 快晴! 朝-3℃
0530起/0715発(萱小屋) ~ 0805(桧峠) ~ 0845(伯母子岳分岐) ~ 0905(伯母子岳山頂) ~ 0930(伯母子峠)1000 ~ 1105(上西宿)1130 ~ 1225(水ヶ元)1245 ~ 1330(待平) ~ 1405(三田谷橋、トイレ)1425 ~ (五百瀬) ~ 1445(三浦口) ~ 1625(三十丁の水)1655 ~ 1745(三浦峠)

薪を多めに投入して眠りについたのだが、ストーブの火は22:00にはほぼ消えてしまった。
いったん起き出して薪をくべたのだが火が盛り返すことはなく、本格的に着火作業をするのは面倒なのでそのまま寝入る。
幸い風がやんでいてそれほど寒さを感じなかったのでどうにか眠れた。もし風があったらこうはいかなかっただろう。

朝の室温-3℃。外気温も-3℃でまったく一緒(笑)。
テントならこうはならないが、隙間だらけの小屋だとこういうことになる。

パッキングのあと小屋を片付けて出発。
いやーお世話になりました!
薪代にもならないでしょうがほんの気持ち分だけ・・・。

昨日大股で会った二人組のトレースがあり、ありがたく使わせてもらう。
といっても積雪は山頂近くで20~30cm、新雪は2~3cmしかないから、沈み込みはせいぜい踝くらいまでなんだけど。

桧峠(帯木峠)で尾根上に出て、夏虫山(1,346m)は巻く。
古道自体は伯母子岳(1,342m)も巻いているのだが、ここまで来て山頂を踏まない手はない。トレースももちろん山頂へ。
巻き道はトレースがなく吹き溜まりとなっているから、むしろこの場合は伯母子岳を巻いたほうが時間がかかる。

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(左)夏虫山分岐  (右)伯母子岳分岐

伯母子岳の頂上付近は照葉樹の目立つ紀伊半島では珍しく、ブナやミズナラの天然林となっている。
分岐からひと登りで伯母子岳の山頂に着く。
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空は快晴。360°見晴らせる。
こんなコンディションであれば紀伊半島の山々のほとんどを視野に収めることが可能だ。
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まずは東から北東の方角。遠くに連なっているのが大峰山脈。

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南に霞んでいるのが果無山脈。

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近くの山では、(左)護摩壇山(和歌山県最高峰1,372m)、(右)夏虫山。

快晴だけど風が強く寒いので即下りる。
山頂より先は動物の足跡以外ない。
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峠まで下ると立派な小屋がある。
左の小屋が避難小屋で右がトイレ。例によってトイレは冬期使用不可だが、避難小屋の向こうに仮設トイレがある。

小屋の中はこんな感じ↓。
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上部に明かりとりの窓があって中は明るい。
萱小屋の小屋ほど洒落てないしキレイでないが、こちらのほうが作りはしっかりしていて隙間風はほぼ皆無。ストーブなんてものはないけど、夜を過ごすならこちらのほうが断然暖かい。中にテントを張ることも可能だ。

伯母子峠より先、上西宿までの雪面のトラバースが核心である。
まずは雪屁を崩して斜面に降りる。
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古道は雪に埋まっていてあまりはっきりしない。
傾斜のきついところは完全に斜面の一部と化しており、特に沢を横切るところは何度も雪崩れているせいで完全に雪壁となっている。
新雪や腐った雪ならなんでもないが、クラストしてるので厄介だ。
もちろんアイゼン、ピッケルがあればなんでもないところなんだけど、丸腰だと苦労する。たとえ落ちても致命的なところではないけれど、荷を背負って沢床から登り返すのはけっこうたいへんだと思う。
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あまり蹴り込みのきかない靴でステップを切りながらトラバース。一向に進まない。
山襞がしばらく続くのでけっこう疲弊してくる。

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広い平坦地となっている上西宿まで来れば一安心。
金剛杖すら持ってないマユミは途中から木の枝を手にしていた(笑)。

十津川村教育委員会の立てた説明板によると(伯母子峠から南は十津川村である)、この場所には昭和九年頃まで人が住んでいたらしい。
「その昔、高野からこの伯母子峠を越えて馬が米やさかなをこの十津川へ運んだわけだ。早い朝が明けると、伯母子のほうからチリンチリンと鈴の音が響いて、二頭も三頭もの馬が背中にいっぱい荷を積んで下ってきたものじゃった。」・・・「十津川郷の昔話」より抜粋。

また、「熊野めぐり」という元文四年(1739年)に小辺路を歩いた旅行記では、伯母子峠から上西宿までの道が次のように記されている。
「是より段々下り山の半腹を行、左は深き谷也、甚さかしき道にてあやうき所多し、旅人皆労煩す」

昔の人はすごい。冬でも草鞋でこんなところを歩いていたのだから。
野生動物はもっとすごい。雪の上でも裸足だし、行動食も持っていない。腹が減ったら現地調達しないといけないわけだから。
テン、イタチ、ウサギ、ネズミ、シカ、カモシカといったところのトレースがよく道についている。サルの影は今のところ薄い。

付近はブナやミズナラなど落葉樹の樹林で、今の時季は葉っぱがないのですこぶる明るい。
かつては普通に見られた植生であるが、戦後の拡大造林によって杉と檜の人工林に姿を変え、熊野へ通じる古道の近くで現在原始林が残っているのは僅かに大峰山脈と那智山、そしてこの伯母子峠付近だけだという。

上西宿の先で道は二俣になるが、明治以降にできたといわれる新道のほうは雪に埋まっていてよくわからなかった。
今では旧道のほうが整備されていて、案内に従うと自然にそちらへ導かれる。近年もっぱら使われたはずの新道のほうがハッキリせず、忘れられていた旧道のほうが復活しているのだから世の中わからないものだ。

しばらく下ると水ヶ元。
平坦地で、小さな祠に収まった弘法大師の石像がある。
この石像がなんともいえないいい顔をしていて惹きつけられた。とても穏やかで優しい顔をしている。
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オランダでよく見かけた木靴をかたどった土産物と、1978年の(旧)5フラン硬貨が供えられていた。
オランダとフランスからの方がそれぞれお供えしたものだろうか?やはり大師像の表情に惹きつけられたのではないかと思う。

800mほどまで下るとやはり雪が消え、麓の五百瀬(いもぜ)は春のようだった。
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(右)は三田谷橋(伯母子岳登山口)まで下りたところ

神納川の流れる、四方を山に囲まれた谷間という非常に山深いところである。
五百瀬には大塔宮の伝説や平維盛の伝説が語り継がれているが、確かにそれもうなずける。いかにも都から落ちのびた人が住みついたというような場所である。
大塔宮の腰掛岩が祭られ、腰抜田というものもある。また、平維盛の墓と伝わる維盛の祠なるものもある。
山深い里は落人伝説と結びつく。
大塔宮の落ちのびる場面は太平記に、平維盛の落ちのびる場面は平家物語に、それぞれ描かれている。

神納川の船渡橋を渡ると三浦である。坂を登っていくと家と田んぼが現れる。
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船渡橋

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現在も人が住んでいるのは一、二軒だけだろうか。棚田か段々畑だったところも放棄されてしまったところが多い。
水は山の奥から黒いパイプで引いてきているが、パイプの引き回しが複雑、大規模で目を引く(何かしらの参考になる)。

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古い石畳も残っている。

しばらく登ると吉村家跡。
異様な形をした杉の巨木が何本も茂っていて、なんだここは?という感じになる。
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ここだけ時空が捻じ曲がってしまったかのような怪しさ満点の場所であるが、実はこれ、防風林であったものらしい。
人が手を加えて樹形を矯正した杉が、ある時から人の手より開放されてまっすぐ伸びたもの。
例により十津川村教育委員会の説明板によれば、杉の樹齢は五百年前後。
吉村家は旅籠も営んでおり、昭和二十三年頃まで居住していたらしい。このあたりまでが往時の三浦の集落範囲。

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少し上がったところに吉村家の墓も残っている。

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斜面には石垣が詰まれよく整備されている。往時が偲ばれる・・・。
時どき見かける石積みの台のようなもの(右)は何に使っていたのだろう?

16:25、ようやく三十丁の水に着く。
思わず目を疑うほど水が細い(泣)。6L弱の水を汲むのに30分近くもかかってしまった・・・。
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目的地は三浦峠だったのだが、時間的に厳しくなってきた。
水場の少し下に廃屋が二軒ほどあり、水を汲んだあと空身で偵察してみたのだが幕営は無理。
テン場を探しながら三浦峠へ向うことに。

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谷間にある五百瀬の集落がよく見える。本当に山深いところなのだ。
奥に見える山からいったん五百瀬へ下り、三浦峠へと登り返してきた。そのまた奥に見える伯母子岳のさらに向こうから歩いてきた。
いやー現代人の脚も捨てたもんじゃないね。

途中に一箇所平坦地があったのだが、崩落地であったためパス。
17:45、三浦峠に到着。そこは素晴らしいテン場だった。
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東屋の下に幕営(翌朝撮影)

(そんな意図で作ったんじゃないだろうけど)この東屋を作った人はよくわかっておられる。
三方にベンチがあるだけで真ん中にテーブルがないのが素晴らしい(あんなテーブル、見た目だけで使いにくいだけだ)。
ベンチの背もたれが風避けになるのも素晴らしい。
下も砂利なので雨でも浸水しない。ホント言うことなしの出来である。

東屋以外にも幕営スペースはいくらでもある。
ここは本当に素晴らしい場所だ。
テントを張ったら急いで米を炊き、疲れてしまったので日記も書かずに寝る。

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Author:nakappie
1970年生まれ。妻と二人信州伊那谷在住。
2009年10月~2013年5月の旅を記録するために”なかっぴー通信”をスタートさせました。
現在は伊那谷にて節約生活をしながら充電中。
2014年4月、ブログのタイトルを”なかっぴー通信NEO”に改めました。
信州伊那谷より~旅のこと、山のこと、自転車のこと、そして田舎暮らしのことなどなど・・・気ままに綴ってゆきます。
”おもしろきこともなき世をおもしろく”そんなふうに生きていけたらいいですね。

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