事故!!!

2012/8/26 (日)
始:8:30 ~ 終:14:00前・・・事故により行動終了 走行:44km
~ 事故現場:Jalalabadへの分岐から25kmほど先 ~ Massy

パミールは道路閉鎖中で結局走れなかったし、とにかく人が暗くてこちらまで気が滅入りそうだったタジキスタン。
そんな国から入国し、ちょっと期待していたキルギスタン。入国早々のバトケン地方(チョン・アライ地方)こそ美しくて感動したものの、オシュに近づくにつれてイメージがガタ落ち、結局は自分らにとってタジキスタン以上に馬が合わない国だった。
これまでいったい何人のキルギス人と喧嘩になったことか・・・。

この日はそんな自分らのイメージを決定づける出来事があった。
ただ道路の右端を普通に走っていて後ろから車に追突された。
場所はM41(ビシュケク~オシュ街道)のジャララバードへの分岐を過ぎて25kmほどのところ。
この道はオシュを過ぎると格段に交通量が増え、それまでも危ないなぁと思いつつヒヤヒヤしながら走っていた。

この日いくつめかの丘を越え、道路が平坦になったところ。
車が多いためアスファルトが割れ、道端の舗装は剥げ落ちている。ただでさえ狭い道がさらに狭くなり、とにかく走りにくい。
車の多いところほど道が悪くなるという魔の連鎖で、こんなところをかなりの車が走っている。もちろん自転車に対する配慮などゼロで・・・。
キルギス人の運転は乱暴だ。しかも例えばイランなどと違って、その土地独自のドライバー同士の呼吸というか暗黙のルールのようなものがまったく読み取れない。
そんなところで事故は起こった。

いつものように道路の右端を走っていると、後ろで「キキーッ」と急ブレーキを踏むスキール音がした。そんなことはキルギスに限らずこれまでにも何度かあった。
何やってんだよ・・・と後ろを振り向くとすぐ、今度は「ドンッ」という音がして、急停止したかに見えた後ろの車がこちらに突っ込んできた。
ヤバイ・・・と思う間もなく追突され、道路脇のダートに転がって自転車から投げ出された。
一番痛かったのは右のあばらあたり。が、それ以上に気になったのは自転車のこと。リアのホイールがグニャリと変形、キャリアも変形しパニールが投げ出されていた。
フレームまで影響が及んでいるとか、そんなことはまだわからない。
こんなキルギスみたいなところで自転車が直せるのか・・・先の見通しにまったく希望が持てず、目の前が真っ暗。

野次馬もやって来て、あたりはてんやわんやの騒ぎ。誰が事故の当事者なのかもわからない。
わき腹が痛くて道路脇にうずくまっていると、少し後ろを走っていたマユミがようやくやって来た。
ホイールがグニャリといっていてわからないが、自転車はフレームがいっているようにもシャフトが曲がってしまっているようにも見える。お先真っ暗・・・

事故を起こした車は二台。
おそらく前に自転車がいたため後ろのニッサン・ティーノが減速(たぶん急に)、そこにその後ろを走っていたVW・ゴルフが突っ込み、その反動でティーノが自分に追突した玉突き事故。
バカなドライバーに対する怒りも大きかったが、先の見通しが立たない虚脱感の方が大きかった。
ティーノのドライバーをとっ捕まえてどうしてくれるんだと怒鳴りつけたりしていたが、言葉も通じないしそんなことをしていてもまったく埒が明かない。
自転車はキルギス人など想像もできないほど高価なものだ。体以前にまずはそのことを強くアピール。
とにかくこのまま逃げられてはたまらない。警察に電話しろと詰め寄る。
キルギス人は警察と関わることを極端に嫌うようだが、とりあえず電話はしてもらった。

警察を待っている間、野次馬と思しき朝青龍似のデブのババァとその連れのおっさんが好き勝手なことを言っていた。
「この自転車が2,000ユーロだって。アハハハハ~」とか(お前らになど想像もできないほど高価なものなんだよ!)、「そこのリムを使って修理すればすぐ直る」とか(なんで事故を起こされて自分らの予備のリムを使わねばならんのだ!、「10,000スムで手を打ちなさい」とか(金だけもらってもしようがないだろ!)とか・・・。
世の中にこれほど小憎らしいヤツがいるか、というくらい腹の立つやつらだった。
ところでアンタら誰???

そうこうするうちに警察がやたらと大勢やって来たが、こいつらがまた使えねぇ・・・何のために来たんだよという状態。
埒が明かないので日本大使館に助けてもらおうと電話を借りてかけてみたがつながらず。藁にもすがる思いでビシュケクのサクラ・ゲストハウスに電話してみた。
奥さんが電話に出られて、こちらの伝えたいことを警察に伝えてもらった。自転車がとても高価であること、弁償してもらう必要があること、そして病院に行く必要があること。
サクラの奥さんにはお世話になった。
その通訳してくれたところによると、これから近くの警察署に行って事情聴取などを行い、その後病院へ行くらしい。

警察の止めたトラックに自転車二台を乗せ、自分らは事故車に乗ってスザクの警察署へ。
警察の呼んだ通訳の女性は英語が下手だったが、それでも後で事故の当事者たちから1,000スムもの大金を受け取っていた。
こんな事情聴取なんぞは旧ソ連的なお役所仕事で、はっきり言って何の意味もない。早く病院に連れて行ってくれよ~

事情聴取を終えてパトカーで病院へ連れて行ってもらった。
この病院てのがまたひどいもので、病院らしい清潔感というものがかけらもない。受付もなけりゃ待合室もない。それどころか診察室というものがなくて、問診すら行われない。
ここで治る怪我とか病気ってあるんだろうか?
一番肝心なレントゲンは日曜で休み、明日撮るということになった。どうでもいい右肘と左手の傷だけ手当てしてもらって病院を後にした。

その日は事故の当事者のところに泊めてもらうことになった。
荷物とドーズは警察署に置き、キャノンデールだけ車に乗せてその家へ。
すぐ近くなのかと思っていたのだが、警察署から50kmくらいあった。マースという町の外れ。

事故の当事者ショヤビックの家の隣にある、ショヤビックの母親ボカティギュのお兄さんの家にこの日はお世話になった。
ブドウ棚にたわわにブドウのなった素敵な家。家の人たちも皆いい人たちで、できればこんな形じゃなく別な形で会いたかったという感じ。
その家の隣にすむナジーラは英語が話せ、一緒にあれこれ世話を焼いてくれた。
おそらく最大のもてなしとして、羊の脂肉たっぷりのスープなんかを振舞ってくれたのであるが、とても無理。羊肉嫌いってのもあるが、虚脱感いっぱいでただでさえ食欲なんてなかった。
その晩は何もやる気にならず、キャノンデールをじっくり見ることさえできなかった。
家の親父さんが、アルバムを見せながらいろいろ話してくれたことだけ覚えている。
親父さんは自分の一つ年上。軍隊にいたときモンゴルへ行っていたといってその時の写真を見せてくれた。白黒の写真だから古いものなのかなぁと思ったのだが、自分と同年代なのだからそんなはずもなく、'88年から'90年の写真だった。
日本がバブル崩壊の前後、親父さんはソ連軍として引っ張り出されてモンゴルにいた。写真を見せてもらうと、タジク人とかキルギス人とか、ロシア人以外の人たちが多かった。
同時代の日本のことを考え、あまりのギャップの大きさに驚いた。

横になるとあばらの痛みが増す。
もちろんこの晩はよく眠れなかった。

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事故現場・・・この後左端の朝青龍似のデブババァがしゃしゃり出てきた

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体も痛いが自転車の方が心配・・・

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Trackback [0] | Comment [0] | Category [■ 105_Kyrgyzstan 2 / キルギス 2] | 2012.09.11(Tue) PageTop
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マースに足止めの三日間

2012/8/27 (月)
この日は病院に行ってレントゲンを撮り、それから自転車屋へ行く予定。
ナジーラの話だと、ジャララバードに修理のスペシャリストがいるらしい。ホントかよ?
他の人と待ち合わせたり、途中でナジーラをピックアップしたりして、病院へ行くまでやたらと時間がかかった。

ウズベキスタン国境に近いこのあたり一帯はウズベク人の居住地区。事故の関係者が全員ウズベク人なら見かけるのもほとんどウズベク人。
キルギスには様々な民族がいる。キルギス人は65%ほどで、次に多いのがウズベク人。国民の14%ほどを占めている。
多民族であるのはキルギスに限った話ではなく、中央アジアの国々に共通のこと。
そもそも中央アジアの地に住むこれらの民族が過去に民族国家を持ったことはなく、自分はウズベク人だとかキルギス人だとかの自覚を持ったのはソ連時代のことで、まだつい最近の話だ。それ以前は各民族がこの地に混在していた。
そこに民族ごとの境界を設けたのがスターリン時代で、今の民族紛争は言ってみればソ連の負の遺産だ。
もともと各民族の混在していたところに線引きしたのだから無理がある。国境の外に数多くの人たちが取り残された。キルギスのウズベキスタン国境近くに住むウズベク人もそんな人たち。
このあたりは国境線も複雑だ。キルギス内にはウズベキスタンの飛び地が四ヶ所、タジキスタンの飛び地が二ヶ所もある。

キルギスでは二年前の2010年に民族紛争があった。キルギス人とウズベク人の対立。
その時、ナジーラたち国境地帯に住むウズベク人は、多くがウズベキスタンに避難していたらしい。
ジャララバードなどには、まだその内戦のときに壊された建物も数多く残っている。

キルギス内でウズベク人の立場は弱い。
仕事もなけりゃ、警察から賄賂を請求されることもしばしばあるらしい。
ちなみに、ウズベク人は重要な職につくことはできず、政治家はもちろん警察官もすべてキルギス人である。
そんな中でウズベク人同士の結びつきはとても強く、ともに助け合って生きている。事故とは何の関係もない、近所に住んでいるだけのナジーラ夫婦がショヤビックを助けているのもそんな理由による。

最初に昨日と同じ病院へ行った。
外でずいぶん待たされた挙句に連れて行かれたレントゲン棟というのがこれまた酷かった。ここは工場か?というような薄暗いところ。ボール盤とかフライス盤なんかが置かれていたっておかしくない。
診察することもなく、タバコを吸いながらやって来たレントゲン技師に棟内に通された。
問題があるのはわき腹だから、横からレントゲンを撮ってくれと頼んだが、撮られたのは健康診断のときのような正面からの胸部レントゲンのみ。
素人が考えたってこんなので何もわかるわけがない。
ナジーラにそう訴えて別のもっと大きな病院へ連れて行ってもらうことにした。

ジャララバードの県立病院へ行くというので、途中で警察に寄って自分の工具を持ってきたかったのだが、後で戻ると言うのでそれに従う。
効率とかそういうことを考えることが一切できないんだよなぁこのへんの人たちは。

で、連れて行ってもらったジャララバードの県立病院であるが、確かにスザクの病院よりは大きいが五十歩百歩。
相変らず清潔感のかけらもない。受付もなけりゃ待合室もない。いきなりレントゲン室に行ってレントゲンを撮ってもらうという寸法。
脇のレントゲンを撮ってくれとナジーラにさんざんお願いしてもらったのに、ここでも撮ったのは正面の胸部レントゲンのみ。ダメだな、こりゃ。半ば諦めた。
キルギスで治る怪我や病気などほとんどないに違いない。

レントゲンができて、写真を渡される。で?誰がこれ見て判断してくれるの?
相変らず診察室というものが存在せず、入口近くの小部屋にいた医師と思しき人物が日にかざしてレントゲンを見る。
素人が見たって脇の状態など何一つ写っていない。正面からしか撮っていないのだから当然だ。
が、その人物はそのレントゲンを見て問題なしと判断。ま、確かに折れていることはないのだろうな。あーもういいや・・・ここでこれ以上のことを望んでも無駄だ。
こんな役立たずの病院なのに、なにやら警察に出す書類だとかそんなのばかりが面倒くさい。別の部屋に二つ三つ連れていかれた。
そんな書類、怪我した本人には何の関係もないのに・・・。
この書類がないと、警察に保管されているもう一台の車が取り返せないらしい。

処方してくれる薬は出来損ないのバンテリンのような塗り薬と、二種類の痛み止めのみ。痛み止めを飲んだって怪我がよくなるわけじゃないからまったく意味がない。
スザクに工具を取りに戻るところが、先に店を見てみようという話になった。やっぱりそういう話になるだろ・・・。
どうやら警察に行くのが嫌なようである。
どんな店だろうと思っていたら、連れて行かれたのはバザール内の青空ショップ。やっぱりね・・・。
ここにジャララバードで唯一の修理屋がいるらしい。

店は修理待ちの客で混んでいた。
建屋の中では、おっちゃんがいらないフロントフォークにホイールを固定して振れ取り中だった。ニップル回しも使わずペンチで力強くニップルを回している。
やっぱ自分の工具を持って来ないとダメだろうな・・・シマノのカセットを外すソケットなんてものはもちろん存在しないし。
症状だけ先に見てもらおうとしたら、おっちゃんがドライバーでタイヤを外そうとするので待ったをかける。そんなことをしたらリムが削れてしまう。
マユミにその場にいてもらって、すぐに工具を取りに行くことにした。

車に乗ってバザールを出たのはいいが、警察に置いてあるゴルフの鍵がないらしい。
そんなのなんで自分らが病院へ行っている間に取ってこなかったのよ・・・どこまでも段取りの悪い人たち。
ゴルフの持ち主を途中で降ろし、鍵が届くのを待っていたのであるが、ナジーラの子が家でぐずっていてしようがないので、明日出直すことになった。
バザールに戻って自転車をピックアップし、マースへ帰った。

今日はショヤビックの家に泊めてもらう。
母親のボカティギュが豪快で面白い人である。ボカティギュは町のマガジンで働いていて、家の事は何から何までショヤビックの妹さんのバフリンサがやっている。とてもよくできた子である。
ショヤビックの家にも大きなブドウ棚があり、ブドウがたわわになっている。ブドウだけは毎日食べ放題。

事故後初めてキャノンデールを詳細にチェックしてみた。
フレームは大丈夫かもしれん。シャフトもハブから抜いてチェックしてみたが、曲がっていることはなさそう。
リムはグニャリと曲がっているが、割れていることはなさそう。スポークも一本も折れていない。この状況でパンクすらしていない。
ドーズの時と違って車のバンパーがウレタンだったことが幸いした。
ショヤビックのティーノは中央部分にカンガルーバーのような鉄パイプがついていたから、もう少し、あと30cmでも車の中央寄りに当たっていたら、きっとドーズのようにリムの割れる事態となっていた。
このリムが元に戻せるとはとても思えないが、とにかくリムが割れるような事態を免れたのは不幸中の幸いだった。
今回の件でマヴィックのリムとDTのスポークに対する信頼度が一気に上がった。

昨日も今日も、寝るのは外の縁台の上。家族の人たちとは別にそこで食事をいただき、そこに敷いてくれた布団で寝る。
部屋は他にいくつもありそうなのだが、客人をこうして外でもてなすのがどうやらウズベク流。

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昨晩はボカティギュのお兄さんの家、        今晩からボカティギュの家でお世話になった

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どの家もブドウがたわわに実っている

2012/8/28 (火)
病院の方は用が済んだので、今日は自転車の修理にジャララバードへ。
玉突き事故の元凶、ゴルフを運転していたおっちゃんと合流したりしてジャララバードへ行くわけだけれど、相変らず段取りが悪く、あっち行ったりこっち行ったりで妙に時間がかかる。
自転車に突っ込んだのはショヤビックだけれど、実のところは彼も後ろから追突された被害者。元凶はこのゴルフのおっちゃんなのだけれど、自分らの面倒を見てくれるのはショヤビックの親類・知人ばかりで、実のところゴルフのおっちゃんは毎日ついてくるだけで特にいても意味がない。
事故とは一切関係ないのに、たまたま家が隣だからというだけであれこれ世話を焼いてくれているのがナジーラ。通訳としてナジーラが同行してくれるのは実にありがたいのであるが、毎日旦那さんまで一緒に来るのは意味がない。移動の車中が狭くなるだけだ。

今日こそは自分の工具を取りに最初に警察署へ行ってもらった。
が、門の所にいた自動小銃を携えた警官は、まだ持ち出してはダメだと言う。
は???車にぶつけられて、なおかつ荷物を差し押さえられるいわれはまったくない。
日本大使館に電話しろと詰め寄ると、態度がコロッと変わって「はい、どうぞ」となった。腐った役人ってのはこれだよ、まったく。腹の立つやつらだ。

ゴルフの荷室に積んであった荷物を全部ピックアップしてバザールへ。
青空ショップで自転車修理をやっているおっちゃんは、通称ルスラン。
さすがジャララバードで唯一の修理屋。ルスランのところにはひっきりなしに客がやってくるが、ナジーラたちが予め話を通しておいてくれたのか、他の客そっちのけでルスランが快く面倒をみてくれた。

タイヤを外してリムをチェックすると、どうやら中もクラックが入っていたりすることはない。
丈夫なマヴィックのリムには感心したがこの曲がりよう・・・通常ならもちろんオシャカになっているところ。
が、ここはキルギス。代替部品などあろうはずがない。あるのは中国製の、ニップルが直にチューブに接触してしまう鉄製リムだけ。こんなリムでは1,000kmともたない。
今履いているホイールをどうにかするしかない。
ルスランはなんとかなるという印象を持ったらしい・・・頼もしい。ここはルスランの腕にかけるしかない。

木の柱にホイールを押し付けたり、スポークのテンションで強引に元の形に戻そうとするルスラン。
ペンチでニップルを回すのだけはやめてもらい、持参したニップル回しを使ってもらった。
万力に固定したフロントフォークにホイールを固定し、指を当てたりやすりを当てたりしながら振れを取っていくルスラン。
少々乱暴なところはあるが、腕は確かであるようだ。
ルスランは休憩もせず、昼食もとらずに作業を続けてくれた。

ニ、三時間もすると、ホイールがだいぶ見られる形になった。
ここまで直っただけで奇跡であるが、ホイールの調整で難しいのはここらあたりから。それはルスランも心得ていた。
知らない人たちはそのホイールを見て、もう大丈夫、もうすぐ終わると思っていたが、そんなに簡単なことじゃねーよ・・・。

振れはだいぶとれたのであるが、適当なところで自転車にセットしてみるとフレームの中心に来ず、左にオフセットしてしまっている。
フレームか・・・とも一瞬思ったが、どうやらフレームには問題がなく、悪いのはあくまでホイール。
また一から地道な作業が続く。

木の柱に押し付けるだけでは修正しきらず、これを使わせてくれとルスランがモンキーを差し出す。渋々了承。
リムをモンキーで挟んで局所的に曲げる。
場所によって明らかにスポークが張りすぎなのであるが、さらに張りたいルスランは、これを使わせてくれとペンチを差し出す。これも渋々了承。
ペンチを使い出すとすぐ、ニップルが割れる割れる・・・ニップルが完全に壊れてしまってスポークすら外せなくなる。
ここに代替のスポークなんてものはない。予備のスポークを持っているか、ルスランに確認される。
幸いスポークもニップルもホイールが二本組めそうなくらい持っている。それがわかると惜しげもなくスポークを切断するルスラン。
都合五、六本、DTのスポークを無駄にされた。

で、ハブからカセットを外さねばならないわけであるが、もちろんシマノのソケットなどここには存在しない。
キルギス人の乗っている中国製の自転車は、釘と金槌を使ってハブからギアを外す。しかも緩める方向が時計回りという、どういう設計してるんだよ!という代物(これじゃ乗っているうちに緩んじゃうんじゃ・・・)。
シマノのソケットは持っているのだが、イスタンブールで買った自分のソケットは肉厚で、ハブからシャフトを抜かないとロックリングにセットできないという代物。
シャフトを抜き、ベアリングの玉まで抜いてようやくセットできる。なんちゅー使えないソケット・・・。
ソケットは持っているがカセットの空転を防ぐチェーンのついた工具は持っていないから、店にあったチェーンをギアにぐるぐる巻きにしてルスランと二人がかりでカセットを外す。

ルスランの地道な作業が続く。
彼はまったく休むことなく、本当によくやってくれたと思う。こんなところで中国製の自転車をいじっているのではなく、ヨーロッパあたりのスポーツバイクを扱っているような店にいたなら、さぞいいメカニックになっていたことだろう。

ようやく”ほぼ”フレームの中心にホイールが来るようになった。
明らかにスポークが張りすぎの部位があるので、もう少し緩めてもう一度バランスを取り直してもらう。
閉店時間の19:00になって、ようやく妥協できる線まで仕上がった。
ルスランとがっちり握手。本当によくやってくれた。
でも・・・いったいどこまでもつんだろうな、このホイール。

今晩もショヤビックの家にお世話になった。
彼の家も貧しい。現金収入は町でマガジンを営んでいるボカティギュの売り上げにほぼ頼っているような状態。仕事がないのだ。
でも、”ゆとり”というような観点で見れば、決して生活自体は貧しくないと思う。
家は広くて、ブドウをはじめ様々な果物が敷地内で採れ、牛や鶏もいる。ガスや水道はないが、電気は来ている。
生活の質というのは、決して金銭だけでは量れない。

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縁台でいただく食事 ブドウは毎日食べ放題      ルスランの青空修理屋

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木の柱に押し付けてリムの変形を直す           地道な調整作業

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ルスランは休憩もせず作業を続けてくれた     苦闘7時間、ようやく妥協できるレベルまで仕上がった

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右:バフリンサ、その隣:ボカティギュ

2012/8/29 (水)
車を取り返しに警察に行くから一緒に来てくれ、と昨日ナジーラから頼まれていた。
昨日までと同じメンバーで朝から警察署へ。

彼等を助けると言っても自分にできることは何もないと思うが、自分の体と自転車がOK、という一筆がないと彼らは車を返してもらえないらしい。
たいした仕事もしないくせに何をするにも書類が必要という、面倒くさい旧ソ連的な体制。あーいやだ、いやだ。

まだ痛みはあるが骨は折れていないらしいから自転車に乗ることはできるだろう、自転車は完全な状態からは程遠いが、どうにか乗れる状態にはなった、というようなことを一筆書いてサインした。
これで自分らの仕事は終了。
続いてショヤビックとゴルフのおっちゃんが部屋に呼ばれたが、やはり賄賂を請求されたらしい。それも200ドル相当の高額。

なんでそこまでしてやるの?と思ったのは、その賄賂をゴルフのおっちゃんとショヤビックで折半していたとき。
そもそも追突されたショヤビックは被害者なわけで、追突してきた車を警察から取り返すなんてのは知った話ではないはず。少なくとも日本や西欧ではそうなるはずで、追突された人は追突してきた人に恨みこそあれ親しみの感情なんて湧かないのが普通だ。
それが追突した車を取り返すのに力を貸したり、ましてや請求された賄賂を半分払うなどというのは考えられないことだ。
異国(と言うのも変だが)で立場弱く生きているが故の助け合いの精神なのか、はたまたアッラーの教えなのか・・・。
ともかく賄賂を払ってようやくゴルフを取り返すことができた。置きっぱなしになっていたドーズも回収。

近くで食事をご馳走になって帰る途中、事故現場に寄ってもらった。
オルトリーブの右リアのパニールのスペーサーが二個とも紛失していることに昨日気付いたのだ。追突の衝撃でパニールが外れたとき、どこかに飛んでいってしまったものと思われた。
ダメ元で寄ってもらったのだが、事故現場であっさり二個とも見つかった。ツメが折れてしまっていて固定はできなそうであるが、テープでとめれば使えるだろう。

ショヤビックの家に帰ってからバイクとパニールをじっくり整備。
かなり大きく変形しているかに見えたリアのキャリアも、蓋を開けてみれば変形していたのは取り付けのボルト。衝撃でキャリアとボルトが固着してしまっていて、ショヤビックに借りた金槌で叩いてようやく外れた。
ボルトを替えてみたら、キャリア自体の変形はたいしたものではなかった。よかった、よかった・・・。

ショヤビックの家にはお世話になった。
ボカティギュの話してくれたところでは、サハリンに働きに行っていると言っていた旦那さんには現地にもロシア人の奥さんがいるらしい。今後この家に帰ってくることはあるのだろうか・・・。
豪快で陽気なボカティギュであったが、その笑顔の裏にはそんな一面が隠されていたのかと、ちょっと複雑な気分になった。
ちなみに、上の娘さん夫婦も小さな子供をこの家に残しモスクワへ出稼ぎに行っている。
モスクワやサハリンなんかへ出稼ぎに行くのはキルギスに限った話ではなく、旧ソ連邦の国々ではよく聞く話だ。

明日旅立つことを告げると、「寒くなったら着なさい」とボカティギュが自分のマガジンで売っているセーターとタイツを餞別にくれた。
もちろんともに中国製のものであるが、ありがたい限りだ。

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賄賂を払ってゴルフも取り返せた・・・三日間行動を共にした事故関係者たち

Trackback [0] | Comment [0] | Category [■ 105_Kyrgyzstan 2 / キルギス 2] | 2012.09.12(Wed) PageTop
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キラーロード・・・

2012/8/30 木
始:10:10 ~ 終:18:35 走行:79km
Massy ~ Kurulush ~ Kochkorata ~ Mombekov ~ Burgundu ~ Kyzyl-Tuu ~ Tashkomuraの先のダム手前

7:30頃バザールのマガジンへ仕事に行ってしまうボカティギュと先に別れの挨拶を交わし、いつも通りナーンとチャイとブドウの朝食をいただく。
ショヤビックやバフリンサたちに見送られて10:00過ぎに出発。
三日間お世話になりました!

キラーロード・・・ビシュケク~オシュ街道のオシュ~コチュコルアタ間はそう呼ぶに相応しい。ジャララバッドの手前あたりからコチュコルアタの先までの区間が特に酷い。
ここより道の悪いルート、車の多いルートはいくらでもあるが、ここより危険なルートはそうそうあるまい。
車が多く、道は狭くてガタガタ。車が多いところほどアスファルトがひび割れ、剥がれ、ただでさえ狭い道がより狭くなってしまうという魔の連鎖。
国の大動脈で、これだけ交通量があるにもかかわらずセンターラインすらない。
そしてキラーロードたらしめている最大の要因は、キルギス人の運転マナー。そもそも運転マナーなどと呼べるものは存在しないけれど・・・。
ちょっと対向車をやり過ごせば安全に追越しができるというのに、そんなことは露とも思わない。皆が皆追い越したいところで追越をかける。
自転車に対する配慮などゼロ。ろくな車間距離もとらずに走り、スレスレのところを追い越してゆく。そして時々真後ろで「キキーッ」と急ブレーキをかけられる。
今日も出発して一時間も走らないうちに、マユミの後ろでバカな車が「キキーッ」と急ブレーキ。一瞬心臓が止まった・・・。
いつ命を落としてもおかしくない。
道路端を走っていて後ろから追突されるのだから、自転車としてはどうしようもない。

この国には交通ルールなど存在しない。路上で警察が取締りをしているところなど見たことがない。
腐っているなら腐っているなりに何もせず賄賂を取ろうとするのではなく、厳しい取締りでもして賄賂をせしめればちょっとは抑止力になると思うのだが・・・。
交通弱者を保護するとか、そういったモラルなどあろうはずもない。車検もなけりゃ保険なんていうシステムも存在しまい。
事故を起こすということがどれだけ大変なことなのか、そんなこともまったく認識していまい。
そんな人たちが安く手に入る日本車、ドイツ車といった高性能車の中古車をビュンビュン乗り回している。
まさにキチガイに刃物・・・非常に危険。

日本にしろヨーロッパにしろ高性能車が走っている国では、車は段階的に高性能化してきたものである。
それと歩調を合わせてインフラが整備され、交通法規や人のモラルも向上してきた。
本来そうあるべきなのであるが、キルギスのような国ではまったく様相が異なる。
人のモラルも交通法規やインフラも原始時代のままなのに、あるとき突然高性能車がポンポン入ってくるようになった。こんなちぐはぐなことはない。
人のモラルが極端に低く、法規もインフラもまったく整備されていないところに日本や西欧と何ら変わらぬ高性能車が走っているのだから、キチガイに刃物以外の何者でもない。

この国の生活スタイルや経済状態を見れば、(一部の人を除き)本来車など必要のない世界だ。馬車やロバ車、せいぜいラダやカマスで事足りる世界。
少なくとも15年前、いや10年前までそういう世界であったはずだ。
それが今や、なんでこんなに車が溢れているんだという状態。ちょっと歩けば行けるようなところにも車を使う。完全に車依存症。
ちょっと話がずれるが、携帯もまたしかり。皆が皆、肌身離さず携帯を持ち歩き、何をそんなに話すことがあるんだというくらいよく電話している。全国民が車と携帯の依存症。
いったいこの先この国はどうなってしまうのだろうか・・・。
物事はすべて段階を踏まないと大変なことになる、といういい例だ。

コチュコルアタを過ぎて車がだいぶ減った頃、同じ方角に向かっていたモーターバイクと出会った。フィンランド人のマルコとアメリカ人のジェファーソン&アルシネ。
バカなキルギス人ばかり見てきて、久々にまっとうな人たちと話ができて心底ホッとした。

キルギスをはじめ中央アジアの国々でも中国製品はバカにされている。
でも、本当は彼らに中国製品をバカにする資格などない。
コピー品だろうが品質の低いものだろうが、アンタらそれすら作れないじゃない。いったい自力で何が作れると言うのだ。
もっと使いやすいように工夫しようとか、改善しようといった意識もまったく感じられない。外の世界から高性能なものが闇雲に流入してくるだけ。
これでは何の進歩もないわけだけれど、おそらく100年経っても何ら変わっていないだろうね・・・。

タジキスタンと地形的にはたいして変わらないのに、キルギスに入った途端に水場がなくなった。
タシュキョミュルの手前でようやく水場を見つけ、水を補給。ついでに顔や頭を洗い、シャツや靴下も洗濯。
その先、ダムの手前で道路脇にテン場を見つけ幕営した。標高800m弱。
一日走っただけでリアのホイールが振れまくり。スポークのテンションが不均一なのだから無理もないか・・・。
オシャカになっていたはずのホイールを強引に修理して乗っている有様である。

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隣の家の親父さん                     最後は笑顔でお別れ

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ひとまず危険地帯を脱した                 久々にまっとうな人たちに会う

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車さえ少なければ快適

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本日のテン場                        後ほどロバがやってきた

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ビシュケクへの道 その1

2012/8/31 金
始:9:20 ~ 終:19:30 走行:70km
~ Razan-Say ~ Karakol ~ Karakolの先10kmほど

独立記念日の今日は祝日。そのせいもあってか、車が少なくて助かった。
ダム湖の連続するNaryn川沿いに北上する。
峡谷沿いの道で眺めがよさそうに思えたのだが、これがまたパッとしない。殺伐としたガレたハゲ山がどこまでも連なっていて、景色に変化がない。
走っていてとても退屈・・・なのだが、時々アップダウンを織り交ぜながら延々と上りが続き、地味に疲れる。
Razan-Say~カラキョルの間は、補給ポイントも日陰もなくて暑い。こういう道はホント、地味に疲れる。

途中にトンネルが何ヶ所かある。
長くはないし路面もキレイなのであるが、キルギス人の運転がまったく信用できないからとにかく怖い。
神経をとがらせて二台くっついて走る。

カラキョルは町の境界にゲートがある。(何をチェックするわけでもなくツーリストはスルー)
そのゲートの前に並んでいたマガジンに寄って腹ごしらえ。
なんでか知らないが、16:00になろうというのにここはすごく暑い。目の前には急な上りが見える・・・。
強烈な日差しでクソ暑い中を走る気にならず、さらに一時間ほどベンチの上で横になった。

先に見えた上りでは大汗をかかされた。
上りの途中で、反対方向から走ってきたモーターバイクが止まった。こちらに駆けよってきた彼らはスペイン人のカップル。
両替えできないかと頼まれたのだが、残念ながらこちらも余分なスムを持ち合わせていなかった。
お金がなくてガソリンも入れられない・・・というところがいかにもスペイン人ぽかった。

ゲートからしばらく走ったところにカラキョルの町がある。
民家で水を補給させてもらった。

どこの国へ行っても、「この国はどうだ?いい国か?」とよく聞かれる。
これまでは「もちろんいい国だ」と即答できていた。建て前や社交辞令ではなく、本当にそう感じたからだ。
これがイランを出るあたりからちょっと様子が変わってきた。「いい国だ」と即答できなくなってきた。
で、キルギスでは「ハラショーか?」と聞かれたとき、自信を持って「ニエット」と答えている。自分の素直な気持ちだ。いい国だと思える要素が何もない。

キルギスに入ってから美味しいものにもまったく出会っていないなぁ・・・何を食べてもとにかくマズイ。そして極端な野菜不足。
キルギスには肥満した人が多いように思う。それもろくに食べていないはずなのに肥満している。
一種の風土病だろうか?おそらく内臓の疾患であろうと思われる。水分をうまく体外に排出できないのだと思う。そんな太り方をしている。
野菜不足、極端な食の偏りからくるミネラルやビタミンの不足が原因であろうか・・・。

カラキョルから10kmほど走って川岸の草地に幕営。標高1,100mほど。

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ダム湖の連続するNaryn川沿いに北上         地味に疲れる・・・

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川岸に幕営

2012/9/1 土
始:9:30 ~ 終:19:30 走行:76km
~ Uch Terek ~ Kara Jygach ~ Torkent

走り始めてすぐ、キョクベル峠(1,340m)への上りに差し掛かる。峠まで200mほどの上り。
峠からはトクトグル湖(879m)が見える。ダム湖であって景色はあまりパッとしない。
湖の近くまで下り、その後は湖の南岸を東へ走る。湖を反時計回りに半周してトクトグルへ向かう形になる。
この湖沿いの道がアップダウンに富んでいて、また地味に疲れる。12%の上りの応酬。

ところで・・・キルギスはいい車が走っているんだよなぁ・・・もちろんほとんどが中古車だけれど、日本車ならカローラのような小型車は見かけなくて、ミニバンかSUV、はたまたセダンなら中型車。レクサスなんかもけっこう見かけるわけだ。
日本車以外だとドイツ車の中型車。ベンツやBMWの中型車がたくさん走っている。
なんだかねぇ・・・中古車とは言え、本来の価値も知らない人たちが闇雲にぶっ飛ばしているのを見ていると、無性に腹が立ってくる。
アンタらが乱暴に乗っているその車、新車で買ったらいくらするのか知らねぇだろ・・・もっと丁寧に乗れよ。
こういう国に高性能車の程度のいい中古車が大量に流れちゃうのもどうかと思うね。
本来なら例えばウクライナあたりのようにラダに乗っているべき段階であり(人もインフラも)、今の状態は完全に分不相応である。

トクトグル湖ではマスのフライが食べられる。今日は出発前からこれを楽しみにしていた。
少々値は張るが(550スム/kg)、道路沿いのとあるカフェで昼食にいただいた。
魚はかなり大きくて、身も赤身。マスというよりはサケに近い。銀ザケといったところだ。
ジューシーでなかなか美味しかったのだけれど、炭火で塩焼きにしたらもっと美味しいのに・・・と思わずにいられない。
もしくはご飯と一緒に炊き込むとか、プロフの具にするとか、何かもう一ひねりないものだろうか。

魚に限らず、どうして中央アジアの国々では料理と言えば油で揚げてしまうのだろう。他の料理方法ってものが一切ないんだよね・・・。
ただでさえ乏しい食材をいっそう無駄にしているとしか思えない。
他の国ではもっと工夫して美味しくいただいてますよ、キルギスの皆さん!
そういう情報ってTVとか何かで入ってこないものなのだろうか?もしくは情報としては知っていて、工夫を怠っているだけなのだろうか?
もったいない話だ。
今後何百年経ってもこのままなんだろうな、この国は・・・。

カフェを後にしてからも延々とアップダウンが続き、地味に脚にくる。
橋を渡った先のKara Jygachの民家で水を分けてもらい、湖の北岸を西へ。
そしてやはり標高差200mくらいだが、一日の終わりに小さな峠を越える。
ヘロヘロになった。

峠の反対側は妙に地形が開けていた。峠から下ったところがTorkent村。
まだ下りきらない村の入口のところで近くにいた若者の許可を得て、道路脇の牧草地に幕営させてもらった。

今日になって突然、ワイヤーロックが壊れた。キーを挿してもまったく回らず、解除ができなくなってしまった。
油をさしたりあれこれやってみたが、まったくダメ。
今朝まで普通に使えていたのに、なぜ突然?
自転車をどこかに縛り付けたときじゃなくてよかったわ・・・。

それと、しばらく前からMSRの調子が悪い。
ジェットが詰まり気味で、火力が弱い。明らかにガソリンのせい。
タジキスタンやキルギスでは、まっとうなGSに行けばたいていガソリンは3グレードある。76、80、92(もしくは93)の3種類。時々奇跡的に95が売っていることもある。
今使っているガソリンはタジクの道端で買ったもので、オクタン価はおそらく80以下。そもそも臭いからしておかしい。玉ねぎの腐ったような臭いがする。
最上級グレードでも92だからね・・・ほとんどあり得ない環境だ。
こんな劣悪ガソリンで普通に走っている車たちは偉いなと思う。

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キョクベル峠への上り

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今日も地味に疲れる

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トクトグル湖に向かって下る               湖の南岸を東へ

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楽しみにしていたマスのフライ              湖を反時計回りに半周する

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アップダウンが延々と続き、地味に脚にくる

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牧草地に幕営させてもらった

2012/9/2 日
始:9:30 ~ 終:19:00 走行:60km
~ Komsomol ~ Toktogul ~ Kuybyshev ~ Achuu Bulakの先

朝起きると曇っていて、こりゃ走りやすいと思っていたら、その後晴れた。
地味に脚を使ってアップダウンを20kmほどこなすと、トクトグル。
バザールに寄り道して三日分の食材を買出し。食材と言ったって米とラーメンだけだけど・・・。

トクトグルからは、アラベル峠(3,184m)に向けて延々と上り。
特に勾配がキツイわけではないけど、ずーっと上り。
さすがに疲れたわ・・・。

16:00近くになると雲行きが怪しくなってきた。時々雨もポツポツ。
早めに幕営しようということにしたのだが、このあたりは養蜂家の人たちがやたらといて、川沿いにいいテン場を見つけても近くのコンテナやテントに人が住んでいたりする。
人のいない場所を求めてChychkan川沿いの道を走る。

それにしても・・・バカの一つ覚えみたいにこう大勢でハチミツを売っていたって売れやしまいと思うのだが・・・。
近くの町に出すとか、何か考えないと売れるわけがない。なんてったって道沿いにずーっとハチミツ売りが並んでいるのだから。
これはカフェやマガジンにも言えることだ。あるところにはかたまってあったりするのだけれど、どの店もまったく同じメニュー、同じ品物を売っていたりする。
なにか一ひねり、という発想がどうして起こらないのか不思議で仕方ない。
ソ連時代の習慣が抜けないのだろうけど、この先も何も変わらないのだろうな。
キルギスに限った話ではなく、このあたりの国はどこもそうである。

Chychkan川には沢が何本も流れ込んでいる。
道を外れてその沢の一本をちょっと遡り、沢岸に幕営した。標高2,000m弱。
静かだし水は豊富だし、久々に5☆のテン場。沢で洗濯もできて言うことなし。
水の豊富なテン場ってのはいいもんだ。

76のガソリンを捨てて今日から95にチェンジ。
すると、MSR復活。元のドラゴンフライのパフォーマンスが戻ってきた。

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連日地味~に脚にくる

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川に落ちて全焼したトラック                久々に快適なテン場

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ビシュケクへの道 その2:二つの峠

2012/9/3 月
始:9:30 ~ 終:18:40 走行:65km
~ Ala Bel峠(3,175m) ~ 峠から40km下ったところ

朝は寒かった。シュラフにくるまっているのが気持ちよくて、いくらでも寝ていられる感じ。
ここのところ連日しごかれていて、出発前から既に疲れていたりする。

アラベル峠に向けて昨日の続きを上る。
ちょっと走ると養蜂家の人たちは姿を消し、代わって遊牧民の世界となる。蜂蜜の代わりにクムス(馬乳酒)が道端で売られている。
夏の間遊牧地にユルタ(ゲル)を張り、山間の草原で馬、牛、羊を放牧する生活。おそらくこの人たちの生活スタイルは何百年、いや千年以上前から基本的には変わっていまい。
南部のチョン・アライ地方同様、人も素朴になった。おそらくこれがキルギス本来の姿であろう。
遊牧民の多くは車など持っていない。持っていても、町の生活者のように無駄に乗り回すようなことはしていない。
馬に乗り、もしくは徒歩であたりを動き回っている。彼らの生活に車など必要ないのだ。

今日は行動食が乏しい。おまけにそろそろお金もない。
ビシュケクの近くまで行かないと両替えはできないだろう。
途中、道路脇のユルタでカフェをやっているおっちゃんに釣られ、ナーンとチャイで空腹を満たした。
おっちゃんがビスケットも少し持っていたので、それも譲ってもらった。

アラベル峠までは25km、途中から時々日が翳り、風も強くて寒かった。
アラベル峠の上りはハッキリ言ってきつかった・・・。決して勾配がきついわけではないのだけれど、とにかくきつかった。
たぶん長いからだろう。ドゥシャンベで会ったワタナベ君が、ここの下りは100km以上あったと言っていた。峠からトクトグル湖までずっと下りだから、確かに100km以上あるだろう。

峠というのは自転車で旅する者にとって特別な意味がある。
が、いつも思うのだけれど、苦闘の末に上りきっても達成感というものがほとんどない。
これはたぶん、峠からの眺めと関係してるのではないかと思う。
峠というのはそういう地形なのだけれど、周りをより高い山々にグルリと囲まれていて、たいてい見晴らしがよくない。車も通れる道となれば、最も通しやすいところに道を通すのだからなおさらだ。
実のところ、これまで国内、海外を問わず、自転車で峠を上って達成感に浸れたことなどほとんどない。

山登りとは違うところだ。
どんな山でも山頂からの眺めは素晴らしい、と言うか山頂に立てばある種の区切りを実感できる。
究極的にはより困難なルートから、山頂を極めようとする登山で得られる達成感ないし充実感はとても大きい。
自分としては、なかなか他のことでこれだけ明確に達成感の得られることはない。
その昔、イギリスのマロリーは「なぜ山に登るのか?」という問いに、「そこに山があるから」と答えた。
山に登る理由なんてあるようなないような・・・問われてもうまく答えられないけれど、おそらく多くの人にとってその理由は、この達成感ないし充実感に浸って自己満足するためであろう。過程が困難であればあるほどより「生」を実感できる、とも換言できようか・・・。

山頂がゴール(もちろん無事に下山せねばならないが)であるのと対照的に、峠というのは単なる通過点に過ぎない。
写真だけ撮ってアラベル峠もサクッと通過しようと思っていたら、そこに二人組のバイカーがいた。
近寄って声をかけてみたのだが、なんだかいつもと様子が違う。いつものような明るい反応が返ってこない。
彼らはモスクワから来たロシア人のバイカーだった。やっぱロシア人て暗いんだよなぁ・・・。これからナルン方面に向かうらしい。

峠の東側はやたらと寒く、峠から先はカッパを着っぱなし。
峠の先は、山裾に広大な草原の広がる、完全なる遊牧民の世界だった。
ユルタが点在し、ものすごい数の馬、牛、羊がいる。ここはアフリカのサバンナか?という感じ。
そんな光景が峠から40km下っても、なおずっと続いている。

なけなしの金で明日の行動食を買おうと寄ったマガジンで、客の人がリンゴをくれた。
ありがたい。実にありがたい。キルギスでこんな親切を受けたのは初めてだな・・・。

草原の中をSuusamyr川が流れている。
道路を外れて草原に入り、川岸に近いところに幕営した。標高2,300mほど。

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アラベル峠への上り

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もう少し・・・                         到着:アラベル峠(3,175m)

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峠にいたロシア人サイクリスト              峠からの下り

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遊牧民の大地を下る

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羊や馬、牛、ロバがいっぱい

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二階建てのユルタ                     道路沿いにあるのはお店

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本日のテン場

2012/9/4 火
始:9:00 ~ 終:18:50 走行:100km
~ Too Ashuu峠 ~ Sosnovka ~ Bokso Jol ~ Bokso Jolの5km先

昨晩は寒くてあまりよく眠れなかった。朝も寒く、久々に夜露も降りた。
テョル・アシュー峠に向けて昨日の続きを走る。
15kmも走ると遊牧民の土地は終わった。あれだけあったユルタがパタッと姿を消し、代わりに定住している人たちの家屋が見られるようになる。道路脇には突如として電線も走っていたりする。
そして驚いたことに一見トルコ並みの、ショップを併設したGSが姿を現した。
お金がほとんどないのに思わず引き寄せられてしまった・・・。
米ドルが両替えできないか試しに聞いてみたが、レートがやたらと悪く、1ドルが40スムにしかならない。今の公定レートは47スムくらいだからかなり悪い。
両替えはやめにして、なけなしの金で缶コーヒーを飲んでGSを後にした。

25kmほど走ると、テョル・アシュー峠への上りに差し掛かる。
峠の標高は3,586mであるが、ここは3,200mほどのところにトンネルが通っている。
それでも上りの標高差はゆうに1,000m以上。ここの上りもなかなかきつかった。

上りの途中、反対方向に下ってくる大型のキャンピングカー20台以上とすれ違った。こいつは珍しい。
何かのイベントか?全車つるんで走っているようだった。
ドイツやオランダ、スイスなど、ヨーロッパのナンバーをつけたキャンピングカーで、どの車にも仕事をリタイアしたくらいの年齢の夫婦が乗っていた。
これがヨーロッパのリッチな人たちの老後の過ごし方だろうな・・・。

峠の上りは、後ろを振り返ると眺めがよかった。
14:30頃、3,200m付近のトンネル入口に到着。
トンネルは2km以上ある。狭くて、大型トラックは中ですれ違えず、大型のみ片側ずつ通行させている。
キルギス人の運転する車の走る、狭くて暗いトンネル・・・これほど恐ろしいものもそうそうあるまい。
自転車の後部にもヘッテンを点滅させて、ビクビクしながら慎重に走った。
トンネルを抜けたときは助かったと思った。いや、決して大袈裟でなく・・・。

トンネルを抜けた峠の北側は景色が一変し、深い山の中となる。
峡谷に向けて一気に下る。
九十九折りの道を下って峡谷に入ると、ものすごい風だった。強烈な向かい風で、下りなのに所々漕がないと進まない。さんざん上らされた挙句に下りでも漕がされるとは・・・こんな理不尽なことはない。
狭い谷で、川沿いの道の両側にガレた山々が迫る。安全に休憩できる場所もなく、一目散に下る。

峠から40kmほど下るとようやく峡谷から脱し、地形が開ける。
さらにしばらくでSosnovkaの集落。ここも町の入口にゲートがあった。
キルギスというより完全に旧ソ連の町といった風。キルギスは場所によってガラリと雰囲気が変わる。
明日の行動食用に甘食のようなものを買って、いよいよスムをきれいに使い果たした。

ここまで来ると山は後方へ去り、あたり一面広い平野が広がっている。
一見どこにでも幕営できそうで、実は道路から身を隠せる場所がない。
そのまま惰性で走ってBokso Jolも通過。ふと道路脇に廃墟となった、と言うか爆破でもされたかのような、瓦礫と化した工場跡のようなものが目に入った。
隣に住む人に聞くと幕営してもよいということで、今晩の寝床決定。
ちょっとアウシュヴィッツを思わせるような不思議な場所。今晩は大手を振ってそこでキャンプ。標高950mほど。

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テン場をあとにする

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ここからテョル・アシュー峠への上り

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振り返ると眺めがよい(霞んでいて写真映えはしないけど)

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                                3,200m付近のトンネル入口

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トンネルを抜けると深い山の中

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一気に下る

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峡谷の中はものすごい風だった             時々牛や羊が道路を塞いでいる

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今宵の寝床

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Author:nakappie
1970年生まれ。妻と二人信州伊那谷在住。
2009年10月~2013年5月の旅を記録するために”なかっぴー通信”をスタートさせました。
現在は伊那谷にて節約生活をしながら充電中。
2014年4月、ブログのタイトルを”なかっぴー通信NEO”に改めました。
信州伊那谷より~旅のこと、山のこと、自転車のこと、そして田舎暮らしのことなどなど・・・気ままに綴ってゆきます。
”おもしろきこともなき世をおもしろく”そんなふうに生きていけたらいいですね。

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