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熊野古道から 2017冬 12日目 浜の道

2017/2/12 日
始:7:30 ~ 終:15:55 晴れ 朝-4℃
0540起/0730発(道の駅ウミガメ公園) ~ 0910(道の駅パーク七里御浜) ~ (市木) ~ 1305(花の窟) ~ 1415(松本峠) ~ 1445(鬼ヶ城) ~ 1540(大吹峠入口) ~ 1555(棚田跡に幕営)

無風快晴の朝。川岸に幕営したのにテントは乾いている。
雪雲は昨日よりさらに内陸の山のほうへ引き、海沿いはスッキリ晴れている。天気は朝から一日よかった。

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道の駅の前でR42を渡り即浜に出る。風が冷たい。

浜は砂利浜。おもしろい形や模様の石の宝庫。
川原などで石を物色して珍しい石を見つけるのを何といったか、珍しい石の視点がちょっと違うけど、自分ら二人も石を拾い集めるのが好きである。
ここみたいな浜なんてまさに宝の山で、石を物色しながら歩いているとまったく先へ進まない。一日中石を探していても飽きない自信がある。たぶん探しているうちにあっという間に一日が終わることだろう。

ところどころ川が海に流れ込んでいて、浜をずっと歩き続けることはできない。
川に出合うたびに橋を渡るためR42に上がらないといけない。
まずは井田川を渡って再び浜へ。また国道に戻り、旧道の橋で尾呂志川を渡る。

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路側帯の狭い区間であるが、ここも下に旧道があってそこを歩けそうだった。前方に見えているのは御浜町の中心部。
歩行者や自転車を旧道へ導く標識が一枚でもあれば、こういう危ない場所を歩かずに済むのだけれど・・・。

そして再び浜へ。道の駅パーク七里御浜はスルー。
目の前にも後ろにも七里御浜が延々と続く。
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ちなみに、厳選して持ち帰った今旅の戦利品・・・荷物になるだけなのはわかっていても、持ち帰らずにはいられない(笑)

道の駅パーク七里御浜を過ぎたあたりから、国道以外にルートの選択肢がいくつかある。
まず防風林の中に道があり、これが一応熊野古道に指定されている(その旨標示されている)。
そのほかに堤防の上も歩けるし、浜ももちろん自由に歩ける。

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(左)防風林の中の道と、(右)堤防の上

気持ちの上では石を探しつつ砂利浜をいつまでも歩いていたいし、実際はじめのうちはそのようにしていたのだけれど、いつまでもそうしてばかりはいられない。
砂利浜を歩くのは時間がかかるし、なにより疲れる。いつまでも歩いていられるものじゃない。
市木で国道に出て市木川を旧道の橋で渡ってからは、浜には下りず堤防の上を主に歩いた。飽きると時どき防風林の中の道を歩く。

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いやーきれいな海ですねぇ

11:30頃適当にR42に出て、国道沿いのスーパーに寄る。
スープと行動食を買い足し、昼食にかつ丼とコロッケを食べる。
完璧だ。昼時のいいタイミングでスーパーに寄ることができた。
これで心置きなく距離を稼げる。

花の窟の手前で堤防が終わる。
しばらくR42を歩くが、このあたりは歩道がしっかりしていて歩きやすい。
日曜ということもあり花の窟の付近はけっこうな人出だった。

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(左)正面の岩が露わになっているところが花の窟
(右)花の窟のすぐ先にある獅子岩

獅子岩を過ぎてしばらく行くと国道を離れて旧街道に入れる。
木本通りというのが旧街道で、熊野市の旧市街の中を通っている。古い町並みがなかなかよい感じ。
熊野古道の標示がしっかりしているところも高ポイント。

旧市街を抜けて松本峠への登りに入る。
樹林の中を行く気持ちのよい道。夏なら木陰が実にありがたいところだろう。
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途中にはトイレがあり(水が取れる)、テン場もポツポツ得られる。
そして松本峠。
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熊野古道は松本峠からまっすぐ北東へ下っているが、峠にある説明板によると、半島の先端のほうにある鬼ヶ城(戦国時代に築かれた城跡がある)からの眺めが素晴らしく「熊野古道随一の眺望」とある。
これはやはり見たほうがいいだろう。ということで、少々遠回りをして鬼ヶ城経由で下ることにした。

果たして眺めは素晴らしかった。
途中にある展望所からは美しい弧を描く七里御浜が見渡せる。新宮までずっと、歩いてきた浜が全部見える。
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鬼ヶ城からは大泊の湾と熊野灘が望める。こちらの眺めも素晴らしい。
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おまけに鬼ヶ城はいいテン場なのであるが、大きな駐車場のある東口からも遊歩道が延びているからけっこう人が来る。
遊歩道沿いには桜が植えられていて、特に花見の時季はすごい人出なのではあるまいか。
この時季でも東口の駐車場には乗用車のほかに大型バスもとまっていた。どうやらバスの人たちは船に乗って海から岩場を見に行っているらしい。けっこうな観光地のようである。

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春は桜がきれいだろうなぁ、人もすごそうだけど・・・

R42と合流したところにあるトイレで水を汲む。これで幕営準備完了。
R42とはその先すぐ分かれ、R311に入って湾を回り込みながら大泊の集落を抜ける。遠目にはもう少し人がいそうに見えた大泊だが、行ってみたら驚くほどひっそりしていた。小さな海水浴場があるのだが、トイレ等は何もなくて幕営するのはちょっと無理。
集落の中で、旅をするのが好きだというお婆さんに声をかけられた。昔はあちこち旅をしたというお婆さんだったが、こうして旅好きの人と話をするのは誰であれとても楽しい。

集落を抜けてしばらく行くと大吹峠への登り口がある。
登り始めると古道沿いに棚田や段々畑の跡がポツポツあり、これがいいテン場を提供してくれる。もうどこでも幕営可能という状況だ。
峠まで600mのところ、そんな棚田跡のひとつに幕営。
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Trackback [0] | Comment [0] | Category [■ 004_Iseji / 伊勢路] | 2017.04.04(Tue) PageTop
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熊野古道から 2017冬 13日目 すばらしき哉、伊勢路

2017/2/13 月
始:7:10 ~ 終:15:50 晴れ 朝0℃
0530起/0710発(大吹峠手前棚田跡) ~ 0730(大吹峠) ~ 0745(波田須登り口) ~ (波田須) ~ 0845(波田須の道終点) ~ (新鹿) ~ 1020(逢神坂峠) ~ 1100(二木島峠) ~ 1120(国道合流) ~ 1140(二木島駅) ~ 1200(二木島登り口) ~ 1325(甫母峠) ~ 1430(賀田登り口) ~ (賀田駅下トイレ) ~ 1550(羽後峠)

昨晩はなぜだか鼻づまりと喉が痛くて息苦しく、ほとんど眠れず。夜中に二度もトイレに起きてしまった。
テン場は鹿の影が非常に濃いところだった。

そして迎えた無風快晴の朝。
冬型がさらに緩み、風はまだ冷たいものの、風がなければ海沿いの低いところは上着が不要なくらいの暖かさだった。

7:10にテン場を発ち、20分ほど登ると大吹峠。
峠付近には孟宗竹が植えられているが、しっかり管理されていて明るい竹林となっている。
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説明板によると、大吹峠には昭和二十五年頃まで大吹茶屋があったとのことである。
茶屋近くには殺菌作用があるバラン、ハナミョウガ、竹が植えられ、おにぎりや寿司をこのような葉で包んでいたとのこと。今に残る竹林はその名残りだ。

峠付近には猪垣も残っているが、ここの猪垣は江戸時代中期頃に築垣されたものらしい。
延々と約10kmも続き、さながら万里の長城を思わせると説明板にあるのは言い過ぎにしても、石垣を築いた先人の苦労、というか終わりなき猪との戦いを続けてきた先人の苦労が偲ばれる。

峠の波田須側は登り口までテン場がないが、登り口にはトイレのある駐車場があって幕営可能。
いったんR311に出て波田須へ。

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(左)波田須の道入口付近から熊野灘を望む
(右)鎌倉期の石段が残る波田須の道

波田須の道を抜けると、山の斜面に波田須の集落が広がっている。
そこは桃源郷のように見えた。
山で隔絶された地にありながら日当たりがよく、明るくて、山村に漂う悲壮感というものが感じられない。
ま、山村というほど山深くはないし、周りの山が低いということが大きいのだけれど・・・。

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明るい波田須の集落。なんだか懐かしいような、とても感じのよいところです。

今から約二千二百年前、秦の始皇帝の命により不老不死の仙薬を求めて大船団を組み東方に向った徐福が、途中で台風に遭って流れ着いたのが熊野の波田須、矢賀の磯。
帰国を断念した徐福は永住を決意し、焼物・土木・農耕・捕鯨・医薬など大陸の文明を里人に教えたといわれている(その頃の日本は縄文時代から弥生時代への転換期のあたり)。
今も波田須に残る窯所、窯屋敷の地名はその名残りだといわれており、陶器の破片も多く出土している。また、秦の時代の半両銭も見つかっているとのことである。
かつて波田須は秦住と書かれた。

「楠の巨木が茂る蓬来山とよばれる徐福の宮には徐福の墓がたてられており、ご神宝の摺鉢も里人により大切に守られている」とも説明板にあり、大いに興味をそそられたのだが、ルートから大きく外れていたため寄るのは諦めた。

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波田須の集落を抜けてすぐ、新鹿へ向う途中の小さな峠にあった西行松。その説明板。
かつてはこの場所に茶屋があったらしい。写真のように茶屋の軒先に松の巨木があり(紀伊国名所図会より)、松の下で西行が一服して世の中の無情を説いたといういわれがあるが、残念ながら明治時代に枯れてしまって今はない。

西行松(跡)を過ぎて再びR311に合流、しばらく歩いて新鹿への古道に入る。
新鹿は白砂の海岸が美しいところで、海水浴場がある。
海水浴場はきれいに整備されていてトイレもある。シーズン中はけっこう賑わう場所であるように見えた。
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新鹿の集落に一軒だけあったGSでガソリンを買うことができた。
ここのGSにはトレーナーを着たブルドッグがいて、ブルのくせに臆病なこいつがとても可愛かった。
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犬好きの自分は比較的犬に好かれるけど、ここまで足下にへばりついて離れないのは、もしかして同じ臭いがしますか???

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新鹿の集落を抜けたら細い橋を渡って古道に入り、逢神坂(おおかみざか)峠(290m)、二木島峠(240m)と小さな峠を二つ越える。

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途中にはやはり猪垣や石垣が多く残っている。

正直に言って、来てみるまで伊勢路には何の期待もしていなかった。伊勢神宮までの歩きはただのおまけだと思っていた。
が、来てみてビックリ。実にすばらしいではないか、伊勢路!
予想以上に古道が要所要所に残っていてメリハリがある。案内標示もしっかりしているし、丁寧に記された説明板を読んでいるだけでおもしろい。

熊野へ至る道にはかねてより「紀伊路」と「伊勢路」の二大ルートがあり、ともに平安時代の後期(十二世紀)には既に開かれていた。
伊勢路は熊野詣や西国三十三所など庶民の信仰の道として発達、江戸時代になると紀州徳川家によって熊野街道の整備が大いに進められた。
熊野古道の代名詞ともいえる石段や石畳の道、それらが今日まで見事に残っているのは紀州徳川家による道の維持整備によるところが小さくない。
伊勢路は伊勢から熊野三山へ向うときは熊野道とか巡礼道と呼ばれ、逆に熊野から伊勢に向うときは伊勢道と呼ばれた。
伊勢参宮を終えて西国三十三所の一番札所青岸渡寺へ向う巡礼者が、最盛期には年間数万人通行したといわれる。

キリシタン灯籠や巡礼墓標の脇を通って二木島へ下り、二木島駅のトイレ脇の東屋で休憩。
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(左)二木島の集落と、(右)二木島駅前のトイレと東屋

二木島から再び登りとなる。甫母(ほぼ)峠(305m)越えの道で、曽根次郎太郎坂と呼ばれる。
甫母峠は大化二年(646年)から天正十年(1582年)までの長きにわたり志摩国と紀伊国の国境であった峠であり、曽根次郎太郎坂の次郎は「自領」、太郎は「他領」が訛ったものであるらしい。紀州領になってからも地名の通称として残り、現在は尾鷲市と熊野市の市境になっている。

橋を渡って登りに取り付く手前、人家の前を通ると、おっちゃんが家の前で立派なタコを解体していた。
今しがた橋の下で捕まえたという。おっちゃんが満面の笑みで教えてくれた。とても旨そうなタコだった。

二木島からの登りは長く感じた。特に出だしが急登である。
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やはり石垣や猪垣が多く残っている。はっきりいって、ここまでくるとへたな山城よりすごい。

特にここの猪垣は見事で、高さが2~3mほどもある。
珍しい猪垣記念碑なるものも残っていて、それによると寛保元年(1741年)三月上旬から翌年二月までの一年がかりで築かれたとある。
戦時中の昭和二十年前後には猪垣の下まで開墾され芋や麦が作られたといい、その後昭和三十年代後半になってみかん栽培が全盛期を迎えたが、高度成長期に入って廃れ、今ではほとんど自然にかえってしまった。

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猪垣記念碑

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尾根上の道を行くと木々の間から楯ヶ崎を望むことができ(左)、さらにしばらく登ると甫母峠(右)。

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甫母峠には高床式のすばらしい東屋があり、イスやテーブルの類がないので屋根の下にテントを張れるが、残念ながら付近で水が取れない。

峠からの下りの途中に石切り場跡があった。
説明板によると、江戸城の石垣修復に四十個の石を供出したらしい。
山全体に巨石がゴロゴロしており、ここにも見事な猪垣がある。
石垣や猪垣がこんなにあるのは付近にそのための石がいくらでもあったから、ということも大きそう。

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見事な猪垣

道の途上には「行き倒れ巡礼供養碑」というものも多数ある。
巡礼中に行き倒れになった人を供養するためのもので、これはやはり四国遍路の途上でもよく見かけた。
時代は違えど行き倒れになる人がそんなにもいたのか、そこまで厳しい道ではなかろう、お遍路のときからずっとそんなふうに不思議に思っていたのだが、それはこういうことだった。
以下、説明板による。

「西国三十三所巡礼の旅に出る人は心に悩みのある人や身体に病を持つ人が多かった。
旅人は一生の念願である伊勢参宮を無事終えると、田丸で巡礼姿に改め伊勢路を南下、曽根浦を通行して一番札所の那智山青岸渡寺を目指した。
難所の曽根次郎太郎坂で急に容態が悪くなる巡礼もいた。村人たちは医者にも診せて看病し、不幸にして死亡すれば、国許へ訃報を出し、地元の負担で手厚く仮葬して初七日の供養も怠らなかった。」

これは四国遍路でも同じだったと思う。
身体に病を持つ人と聞いて納得。以後は行き倒れ巡礼供養碑を見かけると合掌するようになった。

賀田へと下りる。
賀田は大泊以降の集落と比べると大きな集落である。

賀田駅の下にある公衆トイレで水を汲む。
トイレの周辺は広場のような公園のような感じになっていて、幕営可能であるようにも見えたが、やはり人の住むところでは落ち着かない。
集落を抜ければ羽後峠(140m)への登りに入るので、思いとどまってもう少し先へ行くことにした。。

峠への登りに入ると、やはり棚田だか段々畑の跡と思われる平坦地がいくつもあったが、ここでは檜がビッシリ植えられていて取り付く島なし。
途中に猪垣が延々と続く。ここの猪垣はまさに万里の長城のようだった。人にとってはちょっと低すぎるが、猪にしてみれば万里の長城のようだろう。
今もしっかり機能しているに違いない見事な猪垣だ。
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果たして幕営できる場所があるのか、なんとなく怪しい様子になってきて期待せず羽後峠に着いたのであるが、そこはすばらしいテン場だった。
こんな開けたスペースがあろうとは思ってもみなかったので、小躍りして幕営。
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熊野古道から 2017冬 14日目 八鬼山越え

2017/2/14 火
始:7:20 ~ 終:17:00 晴れのち曇り 朝-1℃
0530起/0720発(羽後峠) ~ 0815(三木峠登り口) ~ (ヨコネ道) ~ (三木里) ~ 1025(八鬼山峠三木里側登り口)1050 ~ 1135(十五郎茶屋跡)1145 ~ 1230(桜の森広場) ~ 1245(八鬼山山頂) ~ 1310(九木峠) ~ (八鬼山峠尾鷲側登り口)1445 ~ (尾鷲市内スーパー)1630 ~ 1700(馬越公園)

羽後峠で無風快晴の朝を迎える。
天気は晴れのち曇り。午後になって寒気が入り不安定な空に。14:00以降時どき雨に降られた。

7:20発、峠より下っていったんR311に出る。
そのまましばらくR311を辿るところまではよかったのだけれど、三木峠へ登る道の入り口がわからず。おかしいと思いつつ国道を歩いているとようやく案内標示が現れたのだが、よく見るとそれは三木里側の登り口だった。
三木峠は海沿いの国道を歩いて巻いてしまったらしい。

このあたり、昨日の賀田のあたりから薄々感じていたのだけれど、どうやら案内標示が伊勢方面から来る人に対してのみなされている。熊野方面から来ると非常にわかりにくい。
時どき見かける標示も、なんでこんなところに?という場所に立っているのだが、それも逆から来ると目立つ場所であったりする。
完全に片手落ち、どころか標示に従うと思いもよらぬ場所にミスリードされてしまうから性質が悪い。
三木峠へ登る道の入口がわからず、と書いたけど、実はこれ標示がなかったわけではなく、三木峠と標示されたほうへ案内に従って歩いてきたら思いもよらぬ反対側の登り口に導かれてしまったという顛末。
伊勢方面から来る人に対する案内というより、通しでなく部分的に残る古道のみを歩きに来る人に対する案内というほうが正しいかもしれない。
そういう人が圧倒的に多いだろうから行政の対応としてはたぶん間違っていない。が、通しで歩くとけっこう惑わされるので要注意。

わざわざ戻って歩き直すという選択肢はないので三木峠は諦め。120mの小さな峠であるからまぁいいか。
そのまま国道を北上してヨコネ道に入った。
国道と並走するヨコネ道は1kmほどで終わり再び国道に合流、そのまましばらく行くと三木里。

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三木里の集落の中は細い路地を歩くことができて楽しい

79歳になるという爺さんに声をかけられた。
曰く、20歳の頃まで八鬼山越えの道しかなく、尾鷲へは八鬼山を越えて行っていたとのこと。三木里側から登るのはたいへんで、尾鷲側から来るより一時間余計にかかるなんていうリアルな昔話を聞かせてくれた。
今でこそ海沿いをR311が通っていて尾鷲には比較的簡単に出られるが(ちなみに幹線のR42はさらに内陸の山中をトンネルでズドンと抜けている)、八鬼山越えの道を歩いていた当時、尾鷲に行くのは半日仕事であっただろう。

爺さんと別れ、今しがた教えてくれた八鬼山越えの登り口を探してR311を歩く。
三木里海水浴場を過ぎたあたりで反対方向から旅の自転車が走ってきた。今旅はじめて見かける長旅の旅行者。
何かの縁があったのだろう。
道路のこちら側と向こう側、手を振って行き違うだけだったらそれまでだっただろうけど、自転車が止まってこちらにやって来た。

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埼玉からというナルタ君。最近仕事を辞めて日本一周しているらしい。
旅に出て一週間、自分らも経験あるけど一番楽しいときではないかな。
これからいろいろなことに出会えるよ。よい旅を!

「人間、働かなくても生きていける」
というのがお互いに共通した価値観。どことなく同じにおいがして話をしていて楽しかった。
いい出会いだった。

30分くらい話し込んでいたか、ナルタ君と別れて再びR311を辿る。
が、どうも様子が変だ。八鬼山越えの登り口がない。
道路脇で木を伐っていた爺さんに道を尋ねると、やはり通り過ぎていた。
爺さんに登り口の場所を教わる。とても丁寧に教えてくれた。この年代の人は実際にその道を使っていた人たちなのでよく知っている。

結局、ナルタ君と話し込んだ場所まで戻ってきてしまった。うぅぅむ、よくわからない。
海水浴場の中を歩いていた老人グループを捉まえて再び訊くと、やはり先ほどの爺さんと同じような説明をしてくれる。さらにもう少し戻ったところだという。
「一緒に行ってやろうか」などと言ってくれるとても親切な方たちだった。
大きく書いてあるというのだが、そんなものがあっただろうか?

果たしてその場所には大きな標示があった、道路の上に。
てっきり道路脇に道標が立っているものと思い込んでいたので二人揃って別のところを見ていて、車に向けたこんな大きな標示板を見落としてしまったらしい。
実は、ナルタ君と出会ったときには既に来すぎていたのだ。
ミスコースがなければ出会わなかったわけだから、やはり何かの縁があったのだろう。

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気を取り直して登り口へと向う

10:25、八鬼山峠の登り口に着く。ようやく八鬼山越えのスタート地点。
ここはかつて西国一の難所と恐れられた道。
熊野詣を終え伊勢参宮を目指すには、狼や追い剥ぎが出没する難所へ挑まねばならなかった。

江戸道と明治道がある。
比較的近年まで、明治期に敷設された明治道(往時の石畳を今に残す)を主に利用してきたが、近年になって江戸期のものと思われる古道が発見され行政による整備が行われた。
最近ではもっぱら江戸道の整備、保全が進められており、逆に明治道のほうが廃れ荒れてきている。
案内標示に従うと自動的に江戸道へと導かれ、自分らも江戸道を普通に歩いた。
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途中にある十五郎茶屋跡。
現在東屋が建っているところにはその昔、十五郎茶屋があった。
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この茶屋がいつ開業していつ店をたたんだかは不明であるらしいが、嘉永元年(1848年)に刊行された「西国三十三所名所図会」には往時の茶屋の風景が描かれている(右の写真)。
杉皮屋根に石を載せた平屋建ての茶屋の前に紐につながれた飼い猿がいて、二人の旅人が手を差し出している。茶屋の中にはかまちに腰掛けてキセルで煙草を吸う旅人と草鞋の緒を締め直す旅人。そんな往時の賑わった茶屋の様子が描かれている。
すごいのは、茶屋の建っていた場所や前の広場、その先が断崖になっているところなど、地形が今も当時と変わっていないこと。道も絵と同じように通っている。
絵の描写がとても正確であるということだが、江戸時代に描かれた絵と同じ風景が今目の前にあるというのはなんだか不思議な気分だった。

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その後も樹林の尾根道がしばらく続き、そこを黙々と登っていくと忽然と切り開かれた場所に出る。
何のためにそうしたのか知らないが、そこだけ見事に木が切り払われ芝生が植えられている。

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まさに天空の広場、天空の天場。吹きっさらしであるが天候次第で最高のテン場になる(ただし水はない)。

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広場からは展望がよく、正面に熊野灘、そして九鬼水軍の根拠地であった九木浦(九鬼浦)がよく見える。

八鬼山山頂は芝生の広場からすぐ。
山頂のすぐ下にも広場にあったのと同じ東屋があり(三木峠茶屋跡、八鬼山峠は三木峠ともいう)、やはり快適なテン場となっている(ここにも水はない)。
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八鬼山からしばらく下ると荒神堂(荒神茶屋跡)があり、そのすぐ下が九木峠。
荒神堂の横の平坦地にも幕営可能である。
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七曲と呼ばれる石畳の道が続く。七曲を下りると尾鷲の町が遠望できるようになる。

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籠立場(紀州藩主や幕府の巡見使が街道を通行する際に籠を止めて休憩した場所)にある樹齢三百年とされる檜の巨木。
杉ならもっと大きな木が各地にいくらでもあるが、檜となるとこのクラスの木は珍しい。

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籠立場付近の見事な石畳。
尾鷲地方は雨の多い日本の中でも有数の多雨地で、年間降水量は4,000mmを超える。
石畳の敷設は大雨による路面の流失や崩壊を抑え、夏草やシダ類の繁茂を抑えて道筋を確保するためである。

14:45に尾鷲側の登り口に下りた。
しばらく車道を辿って天然ガスのタンク群をぐるっと回り、やがて矢浜道に入る。

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尾鷲側登り口の手前、前方の空が怪しい。

怪しかった雲が山から張り出してきて、矢浜公園のところで雨に降られた。
幸運にもちょうど東屋のあるところで、屋根の下で10分ほど雨宿り。
住宅地の中にある公園で、幕営するのはちょっと厳しい。雨が上がってから再び矢浜道を辿る。

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矢浜道は尾鷲の旧市街の細い路地を行く道で、迷路のようでなかなか楽しい。

新市街のほうへ出ないとスーパーなんてとてもなさそうな雰囲気だったのだが、矢浜道をグングン前進していると運良くスーパーが現れた。
その名も「主婦の店」。たぶん熊野地方では一番ポピュラーなスーパーで、今のところ三重県に入ってから寄ったスーパーはすべて「主婦の店」。

そんな主婦の店で手早く買い出しを済ませる。
米、スープ、ふりかけ、行動食とフルに買い出し。
サラダ巻きとコロッケを食べて空きっ腹を満たしたら、引き続き北上する。目標は馬越公園。
登りに入ると笑っちゃうくらいの急坂で、かなり上のほうまで家がある。
この感じはどこかと似てる・・・そうだ、ケープタウンだ。ケープタウンの高級住宅地と似ている。
そこまで豪邸が建ち並んでいるわけではないのだが、立地が似ているのか、どことなくケープタウンの高台にある高級住宅地を思わせる。

馬越公園は思っていたより近く(助かった)、暗くなる前に到着。
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あまりにシンプルな案内で笑ってしまったが、要するにかなり大きな公園らしい。
公園といっても普通の公園とはちょっと違って、平坦地はほとんどない。

荷物を置いて近場だけ偵察した後、駐車場とあるスペースの一番端に幕営。
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熊野古道から 2017冬 15日目 馬越峠を下ると・・・

2017/2/15 水
始:7:40 ~ 終:15:45 晴れ 朝-2℃
0545起/0740発(馬越公園) ~ 0810(馬越峠) ~ 0850(海山側登り口) ~ (船津) ~ 1245(始神峠登り口) ~ 1305(始神峠) ~ 1340(三野瀬側登り口) ~ 1420(三野瀬駅) ~ 1500(熊ヶ谷橋) ~ 1525(三浦峠) ~ 1535(道瀬側登り口) ~ 1545(道瀬海岸休憩所)

最初に言ってしまいますが、実感として伊勢路のハイライトは馬越峠を下ったところで終了。以後は伊勢神宮までの長いリエゾン(まだ余裕で100km以上ある)といって差し支えないと思います。

無風快晴の朝。
いつものようにMSRでお湯を沸かしていると、まだ暗い中車が一台やって来てとまった。
テントを撤収して出発準備をしているときに車の持ち主が戻ってきて言葉を交わす。
どうやら歩きに行っていたようだ。暗いうちからすごいな・・・毎日の日課だろうか。

7:40に出発。石畳の道を峠へ向かう。
途中、歩いていた人と三人ほど行き会った。公園の駐車場に車はなかったから、たぶんすぐ下に住んでる人たちだ。
そりゃ確かにこんないい場所があれば毎朝歩きに来るよなぁ・・・とても羨ましい環境である。

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(左)見事な石畳の道が延々と続く  (右)馬越峠

30分ほどで馬越峠(325m)に着く。
馬越峠で道がいくつか交差する。尾鷲から海山へ抜ける熊野古道のほかに、天狗倉山(522m)や便石山(599m)へ登る登山道が整備されている。
本当に羨ましい環境だ。これなら毎日歩く場所に事欠かない。
(こういう毎日歩く場所というのは自宅からそのまま歩いて行ける場所ということがポイント。わざわざ車で来て歩くんじゃ馬鹿らしいですから。)

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下りの石畳も見事。ここなどまさに紀州徳川家がきちんと維持管理していたおかげだ。

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下りの途中から大台ヶ原が望める。なだらかで広い、なんとも不思議な山容をしている。
まさに「大台ヶ原」という名に相応しく、眺めていると歩きたくなってくる。

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それにしてもすごい石畳だ。まさに敷石舗装。

馬越峠から下ってしまうと、その後は辛い一日だった。
ほとんど舗装路の歩きに終始する。しかも、基本的にR42。
時どき脇道に入れるけど舗装路歩きに変わりはなく、R42に沿って北上する。
長大なリエゾンと言っていい。こんなお遍路ばりの歩きは今旅はじめてである。

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それでもまだこのように脇道を歩いているときは救いがある。
この鋸店はぜひのんびりのぞいてみたかった。さすがに今どきはチェーンソーを多く扱っているようでしたが。

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麓から見る大台ヶ原

手持ちの現金が乏しくなってしまったので、船津の郵便局で少々下ろす。
その勢いでどこか食堂かスーパーでもあれば昼に何か食べようと思っていたのだが、結局何もなし(泣)。
修行のような舗装路歩きが続く。

舗装路を離れることができたのは、僅かに始神峠(147m)と三浦峠(140m)の登り下りだけ。
ともに小さな峠なのですぐに越えてしまう。
始神峠へは江戸道と明治道があるが、ここもやはり江戸道を辿った。

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始神峠への登りの途中、斜面が大きく崩れている場所があった。木が何本も根こそぎ倒れて逆立ちしているのだが、その根元からひこばえが逞しく生えている。
自然の力はすごい!

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海山と紀伊長島の境となる始神峠。標高147mの峠に過ぎないが眺めはなかなか。手前の入り江が三浦、その奥が道瀬の海。

始神峠では二人組の女性が休憩中で、珍しく賑やかだった。
三野瀬側の登り口には広い駐車場があり、そこにトイレや東屋もあって付近は広場のようになっている。いいテン場であるが、明るいうちからテントを張れそうな雰囲気ではない。

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三野瀬駅へは、手前の分岐を気付かず通り過ぎてしまい激しく大回りしてたどり着く。
水を確保するため駅に寄ったのだが、トイレが見当たらず一寸固まった。あるはずだと何度か見回ってようやく見つけたが、これはわからないだろ・・・。

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アロエの花に来ていたメジロ

水が確保できたところで三浦峠へ。
峠までのどこか適当な場所で幕営しようと思っていたのだが、幕営適地なし。どうにも山が小さすぎる。

立派に修復された熊ヶ谷橋を渡ったところで始神峠にいた二人組とすれ違う。
切り通しとなっている三浦峠に着くと、なぜかその二人が下から登り返してきた。
どこからだったか、三重県に入ってからだったか、熊野古道の残っているポイント、峠やその登り口などにスタンプ台が置かれていて、集客の手段として自治体がスタンプラリーのようなことをやっている。どうやら二人組はこれをやっていたらしい。
峠からの下りは二人に先行してもらったものの、道瀬側の登り口を過ぎたところでまた前方から引き返してきた。車をとめた登り口を忘れて通り過ぎてしまったらしい・・・。

テン場が得られぬまま海岸の堤防の上を歩いていると、またも二人組が車で現れた。
タイミングが悪くどうにも行動しにくい。

しばらく堤防の上を行くと、地図にはない道瀬海岸休憩所なる建屋が現れた。
トイレがあり、見たら水も出た。なんで地図に出てないんだろ?
ありがたく建屋の間のスペースに幕営させてもらった。目立たないし、もし雨が降っても屋根があるので大丈夫という完璧な場所である。
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Trackback [0] | Comment [0] | Category [■ 004_Iseji / 伊勢路] | 2017.04.12(Wed) PageTop
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熊野古道から 2017冬 16日目 ツヅラト峠

2017/2/16 木
始:7:15 ~ 終:15:20 快晴 朝0℃
0530起/0715発(道瀬海岸休憩所) ~ (若宮神社) ~ (佐甫道) ~ (古里) ~ (平方峠) ~ 0815(一石峠) ~ (島地峠) ~ 1105(志子 R422分岐) ~ 1140(ツヅラト花広場) ~ 1205(ツヅラト石道登り口) ~ 1305(ツヅラト峠) ~ 1345(大内山側登り口) ~ 1410(定坂小公園) ~ (梅ヶ谷駅) ~ (大内山駅) ~ 1520(車瀬親水公園)

今日も無風快晴の朝。しかも一日中快晴。気温が上がってポカポカ陽気だった。

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道瀬海岸の日の出

7:15発、今旅はじめてタイツを脱いで歩き始めたら、朝のうちは下半身がスースーした。
堤防の上を行き、若宮神社の脇から佐甫道を歩く。

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(左)若宮神社。鳥居をくぐった先の社殿の脇に登りの道がつけられているのだが、最初これがわからずしばらく付近を右往左往してしまった。
(右)山の斜面につけられた佐甫道。途中に展望台があり、道瀬の海がよく見える。

トンネルの先でR42に合流。しばらくR42を歩き、古里で旧道から県581に入る。
上り坂でぐるりと回りこむと平方峠。平方峠から山道に入り、しばらく行くと一石峠。
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一石峠

一石峠から人工林の中を下ると加田教会前バス停でR42に合流するのだが、標示がないためそのままさらに山道を詰めたら行き止まりとなり、分岐まで戻ってR42に復帰した。
加田西交差点を通り過ぎ、その先にある踏切を渡る。渡った先に加田の石仏道標がある。
舗装の上り坂をしばらく行き、島地峠をそれとわからず通り過ぎる。

島地峠の付近で山に自生している柑橘をひとつもぎって食べてみた。いよかんくらいの大きさで、里の畑にたわわに実っているものとたぶん同じものである。
甘味のかけらもない酸味の塊のようなものだったが、体が欲していて非常に旨かった。
里の畑ではたわわに実りながら収穫している様子がまったくないので、まだ早すぎるのかもしれない。もう少しおくと熟して甘味が出るのかも。

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山に普通に自生する柑橘。なんて羨ましい・・・。
これまでにもたびたびあったが、はじめて採って食べてみた。すごい酸っぱさ。

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峠から下り、集落の中を適当に歩いていくとR422に出合う。

しばらくR422を歩き、志子の集落を抜けてツヅラト峠の登り口へと詰める。
途中でR422は離れるが、その先もずっと舗装路。これがめちゃくちゃ長い。
トイレのあるツヅラト花広場にようやく着くが、舗装路はさらにその先1kmほど続く。

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ツヅラト花広場のトイレ。ここから右手の山道に入るのかと思ったら、まだまだ下の舗装路のほうを行く。
昨日に次いでお遍路ばりの舗装路歩きが続く。辛い上に退屈なのが特徴だ。

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そしてようやく着いたツヅラト石道登り口

熊野街道が平安末期に開かれた当時、大内山川上流の栃古集落より標高357mのツヅラト峠を越えて志子集落に下り、赤羽川を上流に遡って島地峠を経て海岸部に達するルート(つまり今歩いているルート)をとっていたといわれる。
江戸時代に入り、新しく開かれた荷坂峠を越えるルート(これは現在R42の通っているルートにほぼ相当)に本街道の地位は取って代わられた。

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登りの途中に中世のままの石道が残っている。

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ところどころ古道の側面が石垣で補強されている。これは野面乱層積と呼ばれる手法で築かれているらしい。
千年を経てなお道が原型を止めているのだから見事としか言いようがない。

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ツヅラト峠は伊勢国と紀伊国の国境でもある。
「ツヅラト」というのは「九十九折れ」から来ているらしい。

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ツヅラト峠からの眺め。紀伊長島の赤羽川河口一帯が望める。
その昔、伊勢参宮を終えた巡礼たちは、伊勢より十五里ほど宮川沿いの山間の道を歩き続け、この峠に辿り着いてはじめて光り輝く熊野の海を目にすることができた。

舗装路のアプローチが長かったわりにツヅラト峠の登りはあっという間で、大内山側の下りさらに短い。
下るとまた舗装路歩きである。
とても暖かく、ツヅラト峠の登りでは途中からジャージも脱いだ。

しばらく下った先にある定坂小公園は絶好のテン場だった。
時間によってはここで、と予め目星をつけていた場所だったが、いかんせんまだ14:00を過ぎたところ。さすがに早すぎるだろうということで、もう少し先へ進むことに。

梅ヶ谷駅の先でR42に合流。
しばらくR42を歩き、大内山駅でいったん国道を外れて水を汲む。
駅で水を確保して、その先の近畿自然歩道を歩きながらテン場を探す目論見だった。
が、駅近くのトイレへ行ってみると、目の前に車瀬親水公園という素敵な場所があった。川岸に遊歩道がつけられていて散策できるようになっている、というような公園だ。
舗装路歩きに疲れてしまって足がほとんど限界。やはりまだ少々時間が早いように思えたが、偵察しているうちにすっかり幕営モードとなってしまいここで切ることに。

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川原から石を拾ってきて幕営。
テントの中でいつものように日記を書いていると、ウォーキングに来た人がすぐ前にある遊歩道を行き来していた。

Trackback [0] | Comment [0] | Category [■ 004_Iseji / 伊勢路] | 2017.04.14(Fri) PageTop
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Author:nakappie
1970年生まれ。妻と二人信州伊那谷在住。
2009年10月~2013年5月の旅を記録するために”なかっぴー通信”をスタートさせました。
現在は伊那谷にて節約生活をしながら充電中。
2014年4月、ブログのタイトルを”なかっぴー通信NEO”に改めました。
信州伊那谷より~旅のこと、山のこと、自転車のこと、そして田舎暮らしのことなどなど・・・気ままに綴ってゆきます。
”おもしろきこともなき世をおもしろく”そんなふうに生きていけたらいいですね。

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