丘の国モルドバ その1

2011/9/24 土
始:9:20 ~ 終:17:20 走行:47km
~ Ямпіль ~ Coşăuţi ~ Soroca

朝起きると薄曇りで肌寒い。夜中にパラッとだけ雨が降った。
早朝から牛を追った人たちがテン場の近くにやって来た。

Ямпільを目指して南下する。
ダートの道は3kmも走るとガッタガタの舗装路になった。シャカリキに漕げないのでとにかく寒い。
途中に分岐があって自転車を止めて立ち往生していると、後ろから来たバスがわざわざ止まってくれて、「Ямпільはこっちだ」と親切に教えてくれた。
最後の最後までウクライナの人たちの優しさには頭が下がる。

ドニエストル川に向かって延々と下ったところがЯмпільだった。
このあたりはドニエストル川がモルドバとの国境になっている。が、モルドバに関する道路標識がまるでない。
Ямпільから本当に越境できるのか?ちょっと心配になる。

道を聞き聞きドニエストル川の川岸に出る。地図ではいかにも道路が繋がっているように見えるが、どうやら橋はないらしい。渡し舟も見えない。
イミグレと思しき小屋が見えたので行ってみたが、閉まっていた・・・。嫌な予感・・・。
川で釣りをしていたおっちゃんに聞いてみると、どうやらイミグレはちょっと下流に引っ越したらしい。とりあえず一安心。
途中で道が川から離れるので歩いていたおばちゃんに確認すると、どうやらあっているらしいのだが、話し始めたらおばちゃんの話が止まらなくなった。
もちろんおばちゃんの言っていることはまったく理解できないのだけれど、それでも楽しそうに話してくれるのでなんだかこっちまで楽しい気分になってくる。

おばちゃんと別れてからイミグレはすぐだった。どうやら渡し舟でモルドバへ渡るらしい。
イミグレの係官もとてもフレンドリー。出国印をもらって渡し舟へ。
乗っているのは自分らと同じタイミングでやって来たブルガリア・ナンバーの車以外は全員徒歩のモルドバ人。
ラテンの血が入っているからかとにかく陽気。ちなみに、ラテンの血が入ったのはローマ帝国の頃の話。

第二次大戦後はソ連邦の一部となっていたが、モルドバは本来民族的にも言語的にもルーマニアに極めて近い。
公用語のモルドバ語はルーマニア語と一方言程度の違いしかない。
ルーマニア語≒モルドバ語はラテン文字を使っていて、響きもどことなくイタリア語やスペイン語といったラテン系の言葉に近い。ウクライナ語やロシア語に比べれば、まだなんとなく言っていることがわかるような気がする。

舟が出るまでの間、乗客のモルドバ人たちと楽しくおしゃべり。
ビスケットを分けてくれたり、最初に声をかけてくれた夫婦と母親の三人組(マルガリータ、アウリカ、アレッグ)など「泊めてあげるから電話して」と電話番号まで教えてくれた。
三人は奇遇にも自分らが通る予定のDrochiaという町に住んでいた。明日Drochiaに着いたら必ず電話しよう。

渡し舟は30分ほどすると出た。
一寸タダかと思ったらタダではなかったのであるが(当たり前か・・・)、なんと三人が自分らの分まで払ってくれた。
ウクライナ人同様とても優しいモルドバ人。いきなり好印象。
支払いはモルドバのお金じゃないとダメみたいだったので助かった。ちなみに運賃は二人+自転車で25MDLだったようである。
モルドバの通貨はレイ(MDL)、レートは1E=16MDLくらいである。

10分ほどで対岸に着く。
渡し場からすぐのところにイミグレの小屋があった。
舟で渡る人しか利用しない、実にのどかなイミグレ。一応形だけ荷物検査があった。
ソ連時代の名残りでロシア語が幅を利かせている。
イミグレでも「ロシア語話せる?」と聞かれた。残念ながら二言三言知っているだけなので、片言の英語で対応してもらう。
入国スタンプはすぐに押してくれたのであるが、ちょっと不安に思っていることがあった。
ルーマニアに越境する際に通ろうと思っている国境には地図の上ではチェック・ポイントがない。
果たしてそこからルーマニアへ越境できるのか、係官に聞いてみたら、親切にどこかに電話して確認してくれた。どうやら通れるらしい。
確認してもらうのに思いのほか時間を要し、後ろで待っていたモルドバ人のおっちゃんに申し訳なかった。

さて、何はともあれモルドバのお金を手に入れないと・・・。
ウクライナのお金が少々余っていて、場合によっては両替えで済むかと思っていたが、両替えなどできそうなところはまずなさそう。
国境の町であるCoşăuţiは小さな町でATMもないから、ひとまず最寄の大きな町であるSorocaを目指す。

ドニエストル川沿いにあるCoşăuţiからいきなり激坂を上り、M2を南下する。
天気は午後から回復して快晴。
着いたSorocaは激坂の上り下りが大変な町だった。ひとまず市街へ。
ATMでお金を下ろし、ミニマーケットで食料の買い出し。ヨーロッパ最貧国と言われるモルドバであるが、Sorocaの町にはそこそこ物が溢れていた。
物価はウクライナと同じくらいかむしろ安い。タバコも安いからスモーカーには大助かり。

人がとにかく陽気で、道行く人たちがしきりに声をかけてくれる。
水はウクライナ同様そこかしこに共用の井戸があり、どこでも汲ませてもらえる。
モルドバは起伏に富んだ国で、平らなところがほとんどない。険しい山ではなくなだらかな丘がどこまでも広がっている。まさに丘の国。

Sorocaを出てすぐに見つかるだろうと思っていたテン場探しが難航した。
時間もいい時間になってきて結局、トウモロコシ畑の間にあった草地に幕営。
テントの近くを農作業を終えた人たちが馬車で通りかかる。テントの中から手を振ると、どの人も皆溢れんばかりの笑顔で手を振り返してくれる。
ウクライナに続いてのどかで温かな国。

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朝も高台に牛たちがやってきた             イミグレを抜けると渡し場

24渡し舟の上でマルガリータたちと会った_サイズ変更
ドニエストル川を渡す舟の上

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そこでマルガリータたちと会った

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のどかな渡しの風景                    10分ほどでモルドバ側に着く

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トウモロコシ畑の間にあった草地             夕日がなかなかきれいだった

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丘の国モルドバ その2 マルガリータ一家との素敵な日々

2011/9/25 日
始:10:00 ~ 終:13:30 走行:33km
~ Zguriţa ~ Chetrosu ~ Drochia

快晴!美しい丘の国モルドバをゆく。
モルドバは小さな国で特に東西方向が狭く、100kmも走ると横断してしまう。シャカリキに走ってしまってはもったいない。じっくり噛み締めながら走る。

Sorocaの分岐からR7をDrochiaに向かう。実にのどかで美しい・・・。
人々は底抜けに明るく、往来する車もしきりにクラクションを鳴らして挨拶してくれる。
陽気な上にとても親切で、道に自転車を止めようものなら「どうかしたか?何か問題か?」と車を止めてしきりに声をかけてくれる。
馬車が人々の重要な足になっているのはウクライナと同様。

これぞまさに丘の国といった地形で、走っていて平らなところというのはほとんどない。常に上っているか下っているといった感じ。
美しい丘の景色を堪能しながらのんびり走って13:00頃Drochiaに到着。
昨日渡し舟で会った三人が、「Drochiaの入口の教会に着いたら電話して」と言ってくれていたので、教会の傍にあったGSで電話を借りてかけてみた。
スペイン語の方がまだ通じるんじゃないか、ということでマユミがスペイン語で電話。電話にはばあちゃんのマルガリータが出て、どうにか話が伝わったようである。
迎えに来てくれるということなので教会の前に移動して待っていると、10分ほどでアウリカが歩いて迎えに来てくれた。
自転車を押して歩いてみたら20分近くかかったから、きっとアウリカは小走りで迎えに来てくれたに違いない。

家にはマルガリータとアウリカの息子さんのワディム(17歳)がいた。アレッグはどこかに出かけているらしい。
自転車を地下室に置かせてもらい、荷物を持って家にお邪魔させてもらう。
すぐにあれこれおしゃべりに花が咲く。
アウリカもマルガリータもワディムもみんな、ロシア語が話せる。マルガリータが家にあった露英辞典を持ってきてくれて、それを引きながらのおしゃべり。

家は集合住宅で、そのうち同じところに住んでいるマリアばあちゃんと息子さんのアンドレイがやって来た。マリアとマルガリータは大の仲良しだ。
アンドレイは英語が話せた。他の人たちも英語は話せないが、みんな所謂バイリンガル。
モルドバ語≒ルーマニア語のほかにロシア語が話せ、複雑な時代背景の中幼少の頃をドイツで過ごしたと言うマルガリータは(もう忘れてしまったと言っていたが)ドイツ語も話せる。
アウリカはフランス語ならちょっと話せると言っていた。

すぐにマルガリータがやかんにお湯を沸かしてくれたので、汚れた体を順番に流させてもらった。気持ちよすぎ・・・。
お湯浴びから上がると豪華な食事となった。
どうやら来るかどうかもわからない自分らのために予め準備をしておいてくれたようで、美味しそうなモルドバ料理がズラリ。
こんな豪勢な食事はオクサーナのところでご馳走になって以来だ。
マルガリータの料理はどれも絶品だった。
食事の後で洗濯までさせてくれ、その後、帰ってきたアレッグとアウリカの二人がドロキアの町を歩いて案内してくれた。
二人がその昔式を挙げた教会、町中にあるサッカー・スタジアム、開いているお店をいろいろのぞきながら町中を楽しく散歩。
バーに寄ったり買い物をしたり・・・町中をグルリと一周して家に戻ってきた。

また皆でテーブルを囲んで楽しくおしゃべり。
アレッグは酒が好き。が、大好きなウォッカはアウリカに止められていてブーブー言っていた。
ここでもウォッカのことは(決して自分らが日本人であるからではなく)普通に「サケ」と呼んでいた。
もう一種類ワインのようなのがあって、こっちは「カンポ」と呼んでいた。たぶん「漢方」から来ているのだと思う。ちょっと薬っぽい味で、日本の養命酒のようなものか?
カンポはちょっとなら飲むことが許されているようで、アレッグは渋々カンポを飲んで我慢していた。

さっき死ぬほど食べさせてもらったばかりだけれど、夕食に日本の水餃子のようなものを作ってくれたので美味しくいただいた。
旨い!・・・がもう動けないです。
お茶をいただきながら楽しくおしゃべりしていると、アウリカの娘さんナターリアの一家が遊びに来た。
ナターリアはまだ23歳ということであったが、サブリーナとマラットという二人の子の母親である。
そもそもアウリカが自分と一歳しか違わないのだけれど、既に二人の孫持ちということだ。モルドバでは結婚するのがかなり早いのかな?

マルガリータが熱心に辞書を引いていろいろ話しかけてくれる。いろいろ写真を見せてくれたり、アドレスの交換をしたり。
アウリカとアレッグの二人は仕事でモスクワとドロキアの間を行き来していて、今はちょうどドロキアに里帰りしているところだった。次は11月にモスクワへ行くと言っていた。
息子さんのワディムはちょっと引き篭もり気味。目が悪いらしく、明日はアウリカ、アレッグ、ワディムの三人で首都のキシナウの病院に行く。
キシナウはドロキアから150kmほどのところにある。キシナウに一泊して火曜にドロキアに帰ってくるという話で、自分たちが戻るまで泊まっていけと言ってくれた。
一泊だけさせてもらってすぐに発つつもりでいたが、またお言葉に甘えさせてもらうことに。
アウリカたちは明朝5:00に出かけるということなので、22:00過ぎにお開きとなってそのまま一番広いリビングのソファーベッドで寝させてもらった。

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ドピーカン!                         ザッツ丘の国モルドバ!

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石造りの道標が可愛い                  馬車は人々の生活の足

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こう見えてもけっこう起伏があります          底抜けに明るいモルドバの人たち

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景色に浸ってのんびり走る・・・こう見えても坂がけっこうキツイです

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マルガリータの家にお邪魔して早々ご馳走になる・・・右からアウリカ、マルガリータ、アンドレイ、マリア

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お茶目なアウリカは同年代・・・こう見えても孫が二人いる

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アウリカの娘さんナターリアの一家が遊びに来た・・・サブリーナ(右)とマラット(左)はつまりはアウリカの孫です

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モルドバのワインは美味しい

2011/9/26 月
アウリカたちはまだ薄暗い5:00に予定通り出掛けていった。
ゆっくり寝ていろと言うので、8:00頃までのんびり寝させてもらった自分たち。
結局、当の本人のワディムは頭が痛いとかで家にいて、アウリカとアレッグの二人でキシナウへ行ったようである。二人で薬だけもらいに行けばいいのかな?
この日ワディムはほとんど部屋から出てこなかった。
マルガリータと一緒に朝食をいただき、一日のんびりさせてもらった。アウリカとアレッグは今日のうちに帰ってくるらしい。

水道は一日のうちで出る時間が決まっているようである。午前中はほとんど断水している。
そんなわけでマルガリータのところも大きなたらいに水をたくさん溜めてある。
アパートのすぐ前にも井戸があるから飲み水に困ったりするようなことはないのだろうけど、こういう集合住宅だと階段を上り下りして水を汲みに行くのも大変だろうな。

お返しにワインとコーヒーでもと、昼間買い物に出かけて町の中をぶらぶらした。
マルガリータの家はネットが引いてあった。夕方になってワディムが外出するとき、「使うかい?」と声をかけてくれたのでちょっと使わせてもらった。
その夕方、マルガリータが地元の新聞社で働いているというマルチェラと旦那さんのヴィタリーを家に連れてきた。おそらく、英語が話せるということでマルガリータがわざわざ呼んできてくれたのだと思う。
一緒にお茶をいただきながら、マルチェラに通訳してもらってあれこれおしゃべり。
マルガリータは、「この人たちは何でも残さずきれいに食べてくれるから嬉しい」と言ってくれていた。
残さず食べるという日本人の美徳がマルガリータに通じてこちらも嬉しい。
マルチェラが帰り際に、「もし明日何も予定がなければうちに招待するから、これまでの旅の話を聞かせて。新聞に載せたいから」と誘ってくれた。

アウリカとアレッグは20:00過ぎに帰ってきた。
帰ってくるなり二人にバーに誘われ、近くのバーでビールをご馳走になった。
どうやらキシナウの病院に行っているのはワディムがメインではなく、アレッグの治療のためであるらしい。
手首や肘といった関節が悪いらしいのだが、アウリカにアルコールを止められているのはそのためか・・・。
翌日聞いた話によると、モスクワの建設現場でブロックなんかを運んでいて腕の関節をおかしくしたようである。
明日もなんと朝の4:00にキシナウへ行かねばならないという話。「でもゆっくりしていけ。明日はまだ発たないだろ?」と言ってくれる。

家に帰ってカンポを飲みながらマルガリータの美味しい料理をいただいた。
いやーそれにしてもマルガリータの料理は絶品だ。

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マルガリータがマルチェラと旦那さんのヴィタリーを連れてきた

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キシナウから戻ったアウリカとアレッグがバーでビールをご馳走してくれた

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酒好きのアレッグだが医者からサケ(ウォッカ)は止められている・・・飲んでいるのはカンポ(漢方?モルドバ版養命酒?)

2011/9/27 火
アウリカとアレッグはまだ真っ暗な4:00前に出かけていった。今日はワディムも8:00頃学校へ。ゆっくり寝ていろという言葉に今日も甘え、自分らは9:00近くまで寝させてもらってしまった。
天気は連日快晴でポカポカ。
マルガリータと一緒に朝食を腹いっぱいいただく。
朝食の後マルガリータがマルチェラのところに電話をかけてくれた。
マルチェラのいる新聞社はマルガリータの家から歩いてすぐのところにあり、結局14:00過ぎにマルガリータと三人で新聞社にお邪魔させてもらうことになった。
外出するとあってかマルガリータがまたお湯を沸かしてくれた。ありがたく体を流させてもらったが、実は大変な作業なのでマルガリータにちょっと悪い気がする。
水道は一日のうちほとんど断水している(毎日)。水の出る時間に大きなたらいに溜めておかねばならないし、なくなれば階段を上り下りして外の井戸に汲みに行かねばならない。もちろん水汲みは手伝ったけれど、高齢のマルガリータにとって毎日けっこうな重労働であると思う。

14:00過ぎにマルガリータとマルチェラのところへ出かけた。すぐ近くとは言え、外出するときには髪を整えたりするマルガリータはまだまだ元気だ。
マルチェラのオフィスはとあるビルの二階。小さいけれど小奇麗で素敵なオフィスだった。
お茶をいただきながら、旅のことを中心にマルチェラの質問に答える。
大学で英語を勉強したというマルチェラ(専攻はジャーナリズム関係)は流暢に英語を話す。そしてなかなか難しい質問をする。
日本人の宗教観(信仰)についてとか、その日本人の宗教観≒仏教徒の宗教観と自分たちキリスト教徒の宗教観の違いについてとか、その宗教観に基づいて日本と違うヨーロッパはどう映るのか、とか・・・。
「これまでどこの国が面白かった?」などという軽い質問に、「インドやエチオピア、それからムスリムの国々はとても興味深かった」なんて答えると、「どのへんが興味深いのか詳しく聞かせてもらっていいかしら」などと返されたり・・・。
日本語でならうまく説明できるだろうけど、貧弱な英語で自分の意思を的確に表現するのはなかなか難しい。

一通り質問が終わると、「そちらから何か聞きたいことはある?」と聞いてくれたので、せっかくの機会にいろいろ聞かせてもらった。
まずはモルドバ人の渡航について。
マルチェラが教えてくれたところによると・・・ロシアや旧ソ連邦の国々(CIS)へはビザなしで自由に行くことができるが、日本はおろかEU圏の国々へ行くにもビザが必要という話。
そのビザを取るのがこれまた大変で、何度も大使館に足を運んだりしなければならないらしい。
マルチェラ自身もお姉さんがすぐ隣のルーマニアにいて、会いに行きたいのだけれどなかなか行けないと言っていた。
EU圏を旅していると感覚が鈍ってしまうが、生まれる国がちょっと違っただけで今でも外国に行くのはこんなにも大変なことなのだ。
もちろん金銭的な問題もあろうが、ビザというのはそれ以前の問題だ。自分たちはたまたま日本に生まれたことを感謝しなければならない。
ちなみに日本人はウクライナ同様、モルドバにもビザなしで楽々入国することができてしまう。通常、国の間の相互協定であるはずのビザであるが、この場合もモルドバ側の一方的な措置でそのようになっている。

かなり繊細な問題だと思うけど、疑問に思っていることをもう一つ聞いてみた。
モルドバは、将来的にルーマニアと統合したいと考えているのかどうか・・・。
国民一人一人考えは違うと当然の答えが返ってきたが、政治的にかなり難しい問題のようである。
ソ連邦時代の名残りで、ドニエストル川東岸の地域には今でもロシア人が多く住んでいる。彼らはむしろモルドバからの独立、もしくはロシアとの統合を望んでいて、数年前には内戦状態にまで陥った経緯がある。
ドニエストル川東岸地域の帰属については今でもロシアと紛争状態にあり、実質的に同地域にはモルドバ政府の力が及んでいない。
一見のどかで平和に思えるモルドバにも、こういった複雑な問題が内在していたりする。

マルチェラの新聞:Glia Drochiană


マルチェラのところをおいとました後、マルガリータが町の中をあちこち案内してくれた。
町の中に線路が走っていて、アウリカとアレッグはこの列車でモスクワまで行くと教えてくれた。
そっか、この線路を辿るとモスクワまで行けちゃうのかぁ・・・などと考えるとちょっと感慨深かった。
マルガリータは1939年生まれの72歳。まだまだ足腰はしっかりしていて元気なばあちゃんだ。
戦時中だったか、ソ連がモルドバ国内からルーマニア系の住人を強制的に国外へ移住させた時期がある。
そのためかどうか詳細はわからないが、マルガリータは幼少期を旧東独で過ごしたようである。

家に帰って外のベンチであれこれおしゃべりしていると、アウリカとアレッグが帰ってきた。
マリアとアンドレイも後からやって来て、家でビールやワインを飲みながら楽しくおしゃべり。
マリアは、実はゼンマイで動いているんじゃないかと思うくらい可愛らしいばあちゃんだ。
「真理亜」と名前を漢字で書いてあげると、とても嬉しそうにしていた。アンドレイがどれどれとマリアの手から紙切れをとって眺めていると、「あんたちょっと返しなさいよ」と言って奪い返し、大事そうに紙を懐に仕舞っていた。

マルガリータの家に来てから、ろくに動きもしないで飲んだり食べたりしっぱなし・・・。マルガリータの作る料理はとにかく美味しい。
夕食の時間になるとマリアたちは帰ってしまい、美味しい料理をいただきながらマルガリータたちと楽しくおしゃべり。
あぁぁロシア語が話せたらなぁ・・・。露英営辞典を引きながら話をしているのだけれど、相手の言わんとしていることがなかなかわからずもどかしい。

この家には通常マルガリータと孫のワディムが二人で住んでいる。アウリカとアレッグの二人は出稼ぎでドロキアとモスクワの間を行ったり来たり。
二人でモスクワで働いても月に600ドルにしかならないらしい。それでもモルドバで働くよりはずっとマシで、モルドバだったら二人で200ドルにしかならないと話していた。
マルガリータは年金をもらっているが、その支給額は月に90ドルほど。
お金の話をすると毎回暗い気持ちにさせられるが、日本や西欧との間にはいかんともしがたい経済格差が存在する。
ビザの件もあるし、気軽に日本に来てなどと言ってはいけないのかもしれないけれど、それでもいつかぜひ日本に来て欲しい。恩返しをさせて欲しい。
今の自分らには折り紙を折ったり、何か日本っぽいものをあげたりするくらいしかできない。実はその日本っぽいものすら、日本を出て二年も経つとほとんど持っていなかったりするのだけれど・・・。

22:00過ぎにマルガリータ特製の料理がまたまたたくさん出てきた。こんなにまでしてもらってホントに申し訳ないです・・・。
せめて残さずいただきたいところだったが、さすがにおなかがはちきれそうで今回ばかりはあまり手が出なかった。
最後にマルガリータがお茶を入れてくれようとしたら、ガスが止まっていた・・・。
水道に続いてガスまでも・・・。マルガリータたちは普段かなり不便を強いられているに違いない。
アウリカとアレッグはまた明日もキシナウへ行く。

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マルガリータと三人でマルチェラの新聞社へ

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その後は町中をあちこち案内してくれた・・・そうそう、マルガリータは立派な髭が生えているがばあちゃんです

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これでモスクワまで行けるのかぁ・・・          餌をくれるマルガリータによくなついている

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そして今日も美味しい料理をいただく

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たまには料理の写真

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マリアたちも遊びに来た

2011/9/28 水
始:11:55 ~ 終:15:40 走行:30km
Drochia ~ Riscaniの先

別れの日がやって来た。毎回別れるのが辛くて去り難くなる。
みんな何日でも泊まっていけと言ってくれたけれど、今日は発つことにした。ここまで親切にしてもらってしまってちょっと申し訳ないような気もしていた。

今日は自分らも7:00に起きてアウリカとアレッグを見送った。いつか日本に来て欲しい。メールや手紙を出すから・・・。
8:00過ぎには学校へ行くワディムを見送る。
ワディムが学校へ行く前、マルガリータたちと撮った写真をワディムのpcにコピーしてもらった。写真をマルガリータに渡せただけでもよかった。

今朝になってもガスは止まったまま。
朝食をいただいた後、マルガリータがちょっと外に出てくると言って出かけていった。
しばらくすると、電気ポットと電熱棒を買って帰ってきた。水といいガスといい本当に不便を強いられていると思う。

マルガリータが外出している間にネットを借りた。
マルチェラに頼まれていた旅中の写真を何枚か送り(自分らのことを記事にしてくれるらしい)、グーグル翻訳で自分らの感謝の気持ちをロシア語に翻訳。
帰ってきたマルガリータにそれを見せたらとても喜んでくれたので、どうにか自分らの気持ちは伝わったらしい。

昨日からマルガリータがあれも持って行けこれも持って行けといろいろ持たせてくれた。
ワイン、パン、ジャム、瓶詰めのインゲン、バスタオル、etc...。ホント申し訳ない。
マリアもトマトソースとか、自分の名前を書いたお札とか(たぶんそういう習慣があるのだと思う)、体にいいからと言って特別なウォッカを持たせてくれた。
そしてお別れのとき。
マルガリータのほかにマリアも見送りに来てくれた。
あぁぁ別れるのが辛い・・・去り難い・・・。必ず手紙を書くから。ワディムのところにメールも出すから・・・。体に気をつけて。いつかみんなで日本に来てください。

マルガリータとマリアに見送られてドロキアを後にした。
たぶん食べすぎで、昨晩からマユミが絶不調。本人曰く、昨晩はほとんど眠れなかったらしい。
のんびり走って今日は早めに幕営することにした。

天気は昼前まで快晴であったが、午後になって雲が出て風も強くなった。そして夕暮れ時にはまた晴れた。
R7を西に向かう。
今日もたくさんの人たちが道行く自分らに声をかけてくれた。
Riscaniの町で食料の買い出しをし、町外れの井戸で5Lのペットボトルに水を汲ませてもらう。
Riscaniから10kmほど走った沼地の畔にテン場を見つけて幕営。

28アウリカの息子さんのワディム_サイズ変更
そうそう、まだワディムと写真撮ってなかった 顔小さっ・・・決して遠近法というわけではありません

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マルガリータとマリアとその友だち

28マルガリータとマリアが道路まで見送ってくれた_サイズ変更
マルガリータとマリアが道路まで出て見送ってくれた

28P1110555_サイズ変更 28IMGP7045_サイズ変更
今日はマユミが絶不調                  次々現れる坂にTKO寸前・・・こう見えても10%以上あります

28IMGP7047_サイズ変更 289/28の野営地 沼地の畔_サイズ変更
今日も井戸で水を汲ませてもらう            沼の畔に幕営

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Author:nakappie
1970年生まれ。妻と二人信州伊那谷在住。
2009年10月~2013年5月の旅を記録するために”なかっぴー通信”をスタートさせました。
現在は伊那谷にて節約生活をしながら充電中。
2014年4月、ブログのタイトルを”なかっぴー通信NEO”に改めました。
信州伊那谷より~旅のこと、山のこと、自転車のこと、そして田舎暮らしのことなどなど・・・気ままに綴ってゆきます。
”おもしろきこともなき世をおもしろく”そんなふうに生きていけたらいいですね。

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