イスタンブール その1

2010/6/22 火
「旅の定義は第一に移動の途中にあること」。沢木耕太郎もどこかで言っていたが、自分もそのように捉えていて、どこかに滞在しているときよりも移動の過程にあるときが一番楽しかったりする。
したがって、できる限り陸路移動にこだわりたい。点と点を結ぶ空路での移動は、自分が思うに異空間へワープしているようなもんだ。途中の過程がまったく見えない。移動した途端、人も景色も気候も一変しているわけだ。
現実の世界ではそんなことはあり得ない。アフリカからヨーロッパでもアジアからヨーロッパでも、少なくとも陸続きであれば人も気候も変化はかなり連続的である。そんな変化を五感で感じることが自分は好きだ。
中東ではかなり小刻みに動いていたので長い移動は久しぶり。アレッポからイスタンブールまでバスに揺られることおよそ24時間、久々に距離を稼いだ感じだ。
4:00過ぎに宿を出て近くのバス乗り場まで歩くと、バスは既にスタンバイしていた。安いチケットのためまったく期待していなかったのだが、想像を遥かに超えるキレイさと快適さに驚いた。
出発予定の5:00前に出発。車内はとても空いている。
およそ1時間でバーブ・アル・ハワの国境に到着。シリアの出国税は550SP。シリア側にもトルコ側にもキレイな免税店があり、シリアからトルコへ抜ける人の多くはタバコをたくさん買い込んでいる(トルコはタバコが高いので)。荷物チェックがあるため当然何人かで分散して持ち込むことになる。
トルコ側の国境は巨大だ。シリア-トルコ間のメイン・ルートで、昼間は相当混むのではなかろうか。トルコは、日本人は3ヶ月以内の観光目的の入国ならビザ不要。菊の御紋のパスポートは強力だ。
国境に1時間半ほどストップ、再スタートしておよそ1時間半でアンタキアに到着。アンタキアでバスの乗り換えになる。
トルコは物価が高いが、主に税金のためと思われる。ほぼ全てのものに付加価値税の18%が掛かっている。そんなわけで物価は高いのだが、裏を返すと政体はとてもしっかりしているように見受けられる。町も道路もとてもキレイでかなり計画的に整備されている。バスターミナルなどどこも空港のようである。
トルコのバスがまたかなりすごい。後輪が二軸の巨大なバスで、南アフリカのインターケープに次ぐ快適さである。路線やバス会社によっては車内にWiFiが飛んでいたり、飛行機のようにモニターが一人一台ついているらしい。さすがに今回乗ったバスはそこまで豪華ではなかったが、3~4時間に一度ティーサービスはあるし、十二分に快適なバスだった。
トルコに入るとガラッと環境が変わる。もはや砂漠は存在しない。広大な草原と畑の海、青い空と白い雲、明灰白色の石灰岩の山とそこに疎らに生える木と下草の緑、山の稜線付近にはかなり雪も残っている。色合いが単調だった砂漠の世界から来ると、色のコントラストがとても鮮明に映る。圧倒的に平原が多いが、山のあるところの景色はもう完全にヨーロッパの景色だ。
日本車もあまり目にしなくなった。走っているのはほとんどが欧州車で、そんなところからもヨーロッパの匂いを感じる。
トルコの面積は日本の2倍強、もっとずっと大きな国かと思い込んでいたので意外な気がした。実は面積だけで言えば日本はそれほど小さな国ではないのだ。ヨーロッパで日本より大きな国は2、3国しかないはずだ。あくまで面積だけなら日本はドイツより大きいのだから・・・ただし山がちで人の住めるような平地が少ないというだけの話だ。
トルコに住んでいるのはトルコ人やクルド人。ムスリム圏ではあるが、もうアラブ世界ではない。本をただせば遊牧騎馬民族、そしてオスマン・トルコ帝国の末裔たちの住む世界、アラブとは異質な世界である。
言語的には、トルコ語を話す人たちは元来モンゴル高原一帯を中心に住んでいたが、時と共にシルクロードを中心にシベリアからアドリア海にかけてのユーラシア大陸を横切る広範な範囲に分布するようになったらしい。そこからいくつもの言語に分かれて発展し、現在に至っている。これらのトルコ諸語(テュルク諸語)にはトルコ語のほかにアゼルバイジャン語、トルクメン語、ウズベク語、キルギス語、カザフ語、ウイグル語などがあり、互いにとても似ていて意思の疎通は普通にできるようである。
トルコ語を話す人たちは大部分がトルコ国内に住んでいるが、トルコ語が話せれば中央アジア一帯で意思の疎通が可能ということだ。実に壮大な話だ。
さらに一説によると、トルコ諸語はモンゴル語、ツングース語などと起源を同じとするアルタイ語族に属するらしい。日本語がどのような言語系統に属するのかについては定説がないが、トルコ語と日本語の間にはかなり文法的な類似性があるらしい・・・人称代名詞は省かれ述語は文末に置かれる、前置詞はなく日本語の助詞に相当する接尾辞がある、冠詞がない、など。非常に興味をそそられる話である。
今回旅に出て一番面白いと思ったのは「言語」だ。実に多種多様で、歴史を絡めて考えると非常に興味深い。もう一度学生に戻るなら、ぜひともその辺の勉強をしてみたいものである。
21:00頃アンカラを通過。アンカラのバスターミナルは特に巨大で3階建て、ホントに空港のようだった。
アンカラを通過したら突然雷雨となった。雨なんていつ以来だろうか?おそらくエチオピアのマケレで一度だけ夕立に遭って以来だ。
車内のTVでW杯を見てから眠りにつくと、知らない間にボスポラス海峡を越え、まだ暗いイスタンブールに到着した。

22jun2010 イスタンブール行きのバス 22jun2010 バスの車窓から

2010/6/23 水
イスタンブールは雨だった。到着したのは4:30で、まだ外は真っ暗。どこに着いたのかも定かでない。
アンタキアのように空港のような快適な待合室を思い描いていたのだが、バスを降りると近くにはキオスクのようなところしか居られそうなところがない。仕方なくキオスクのテーブルに座ってお茶を飲みながら明るくなるのを待つ。肌寒くてとてもTシャツではいられない。
トルコの人も総じて親日的でフレンドリー。ここのキオスクで働くアフメットもとても親切なやつだった。彼はイラン国境に近いヴァンという町の出身でクルド人ということだった。イランやアルメニア、グルジアとの国境に近いトルコの東部はクルド人が多く住む地域とのことだ。
クルド人もイギリスなど大国の利権争いに翻弄され、複雑で暗い歴史を持っている。トルコやイランではクルド語や民族衣装の使用が禁止されていたが、規制がだいぶ緩くなったのか、彼も時折り堂々とクルド語を話していた。たまたま人にもらったガイドブックの切り抜きにいくつかクルド語が出ていて、それを見せたら、同じくキオスクで働いているというクルド人の友達と一緒になって大喜びだった。
アフメットの教えてくれたところによると、どうやらバスはオトガルに着いたようである。夜中寝ているうちにボスポラス海峡を越え、アジア側からヨーロッパ側に渡っていたらしい。
オトガルから安宿のある旧市街のスルタンアフメットまではメトロとトラムヴァイを使って行くことができる。メトロが6:00から動き出すらしいので、6:00過ぎにアフメットに礼を言ってオトガルを後にする。別れ際、彼は出会った記念にムスリムのアクセサリーをくれた。
メトロもトラムヴァイも運賃は一人1.5YTL。トルコの通貨は新トルコリラ(YTL)で、1YTL=65円くらいである。メトロとトラムヴァイの駅の間は少し歩く。トラムヴァイというのは路面電車のことだ。
スルタンアフメットでトラムヴァイを降りると、二人組に声を掛けられた。スルタン・アフメットには宿が腐るほどある。目をつけていたところが2、3軒あったのだが、話を聞くと悪くなさそうなので部屋を見せてもらうことに。
暫し歩いて着いたのはハーモニー・ホステルという宿。まだオープンして1年という新しい宿だ。ハッキリ言って当たり!14人部屋のドミが1ベッド20YTL(10ユーロ)。WiFiはフリーで朝食のほかに何と夕食までついている。レセプションのある屋上からはボスポラス海峡が一望の下。アヤソフィアも見える。即宿泊決定。
屋上のレセプションにいると突然激しい雷雨になったのでとてもラッキーだった。あのままトラムヴァイを降りて宿探しをしていたらびしょ濡れになったことだろう。
暫し部屋で横になってから早速朝食をいただき、それから荷物の整理。トルコに来た目的の一つはいらない荷物を送り返すこと。荷物を仕分けしてから外に出る。
永遠の都、イスタンブール。ローマ帝国、ビザンティン帝国、オスマン・トルコ帝国の首都として1,600年の長きに渡って栄えたかつてのコンスタンティノープルである。イスタンブールと名を変えたのは15世紀半ばのオスマン・トルコ時代。
アジアとヨーロッパ、古いものと新しいものがうまく融合し独特の景観を醸し出している美しい町だ。とても巨大で見所も多く、隅々まで見て歩くにはけっこうな日数を要するだろう。
トルコにはまたゆっくり来るつもりなので、今回の滞在ではあまり忙しく動き回らずのんびりするつもりだ。
それにしてもキレイな町だ。路面電車の走る町というのもまたいい。アレクサンドリアもそうだったし、日本の広島や長崎、高知もそうだけど、路面電車の走る町というのはいいもんだ。
物価が高くても町がこれだけキレイだと妙に納得してしまうところがある。観光客の多さで言ってもこれまで訪れた町の中でダントツだ。
食のレパートリーが増え、何を食べても美味しい。食の単調だったアラブ世界から来ると感動モノである。
WiFiも至る所で利用でき、町中のちょっとした公園がフリー・ゾーンになっていたりする。
イスタンブールのモスクはとにかくデカイ、そして美しい。これまで見てきた他の国のモスクとは一線を画すスケールだ。これを見るだけでもイスタンブールに来る価値は十二分にある。
二軒ほど郵便局を回ってみたがちょうどいい大きさの小包箱がなく、町中のネジなどを扱う店で箱をもらってきた。宿に帰って荷物を詰めてみたらジャスト・フィット!
夕方、また激しい雷雨があった。この時季のイスタンブールは毎日こんな天気なのだろうか?
緯度がだいぶ上がり、20:30過ぎまで外は明るい。宿の夕食は20:00過ぎから。おっちゃんが屋上のレセプションで手間暇かけて作ってくれるトマトソースのパスタはかなり旨い!トマトソースと一緒にヨーグルトをかけて食べるのだが、酸味が増してこれがイケル。

2010/6/24 木
今日も曇りがちで天気が悪い。そして何より寒い。宿の人に聞いたら通常6月のイスタンブールでこんなことはなく初めてのことらしい。何ヶ月か前に噴火したアイスランドの火山の影響だろうと言っていた。真意の程は確かでないがホントにそうかもしれん・・・。
朝食後にまずは郵便局に小包を出しに行った。宿から一番近い郵便局は本局なのか、建物がやけに立派である。荷物は予想外に重く、4.2kgもあった。送料は船便で64YTL。
天気がよくないので、今日は心なしか町中の人足も少ないように思える。イスタンブールに来てまだモスクすらまともに見に行ってないが、どうせなら天気のいい日に見たいので今日はたまった日記を書いたりして宿の近くで一日まったり。
昼過ぎに同じドミに泊まっているタケヒロ君と昼食に出かける。行きつけの店などを案内してもらったが、やはりトルコは何を食べても旨い!米も食べられるし、(食べないけど)ちょっとお金を出せば魚やステーキも食べられる・・・きっと旨いに違いない。あれだけ飽き飽きしていたカバブだけど、トルコのケバブは旨そうに見えるから不思議だ・・・今度一度くらい食べてみるか。
タケヒロ君に旨いと聞いてハマッタのが、プリン(のようなスイーツ)とアイラン(飲むヨーグルト)。
(まだ治らないんだけど)腕や首がブヨに刺されたようにボコボコになって痒いのは、虫にやられたのではなく実は栄養バランスが崩れているのかも。間違いなくビタミンやカルシウムは不足しているだろうから・・・ということもあって、アイランは昨日から一日3本は飲んでいる。
トルコでのマユミはと言うと、もう誰も「ジャパン?」とは聞いてくれない。ここに来て多いのは「マレーシア?」と「フィリピン?」・・・他にどんな国が出てくるのかけっこう楽しみだったりする。
夜は日本のW杯一次リーグ最終戦、対デンマーク戦!こちらの時間だと21:30のキックオフで、宿の最上階にあるレセプションの大画面TVで観戦。日本人3人のほかアメリカ人、イギリス人、宿の従業員の人たちと一緒に日本を応援・・・みんな日本を応援してくれたので気持ちよく観戦できた。
日本チームの素晴らしい戦いっぷりもあって応援に熱が入る。今の日本チームはまとまりがあってなかなかいい。特に本田のキープ力はすごいと思う。あまり目立たないけどディフェンスも安定していて安心して見ていられる。異国の地で日本を応援するというのは、また格別な気分だ。
3-1でデンマークに快勝!おめでとうニッポン!

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アレッポ 再び

2010/6/21 月
トリポリでもW杯ブラジル戦のある日は町中大騒ぎだ。昨晩もブラジル vs コート・ディボアール戦があり、花火が上がったりクラクションを鳴らしたりの大騒ぎ。自分の国の試合でもないのにどうしてここまで盛り上がれるのか、ちょっと理解に苦しむ。ブラジルもまさか中東の地でこれほど応援されているとは夢にも思っていないだろう。
中東で人気のある国はダントツでブラジル、次いでドイツ、アルゼンチン、イタリアといったところか。サポーターの人たちは自分の家や車に応援する国の国旗を掲げていて、ブラジル国旗やドイツ国旗はホントによく目にする。
派手なサッカーで見栄えのするブラジル、アルゼンチンはともかく、手堅くどちらかと言えば地味なサッカーをするドイツ、イタリアを応援する人が多いということの裏には何かしらの意識が読み取れるような気がする。やはり無意識のうちに反米英になっているような・・・。
今日は再びアレッポまで移動する。当初の予定ではベイルートからダマスカスに抜けようと思っていたのだが、トリポリと回る順序が逆になってしまったため北に抜けることにした。
8:00過ぎに宿をチェックアウトし、時計塔の周りのセルビス乗り場へ。セルビス乗り場は行き先ごとに場所が異なっている。
まずはベンツのセルビスでシリアのホムスまで行く。運賃は一人16,000LP。セルビスに乗り込んで30分もしないうちに残りの客も集まって出発となった。
やはり運ちゃんも他の乗客の人も皆親切、国境では付き添って手助けしてくれるのでとてもスムーズ。今回は一人$8でトランジット・ビザを取得できた。
国境からホムスまでは1時間弱。セルビスを降りたところからガラージュ・ミクロバスまで、一緒にセルビスに乗ってきたシリア人の二人がタクシーで一緒に連れて行ってくれた。タクシー代を出してくれた上、アレッポ行きのバスを聞いて回ってくれ、そのバスの前まで案内してくれた。シリア人の親切さには本当に頭が下がる。
アレッポ行きのバスは小さくて窮屈だった。久々に苦痛な移動となった。2時間ちょっとでアレッポに到着。またしてもガラージュには着かず、どこで降ろされたのかまったくわからない。アレッポも旧市街の一部しか見てなかったけど、新市街まで含めるとかなり巨大な町だったのね・・・。近くの路線バスのところに行って聞くと、一台のバスが町の中心まで行くらしいので乗り込む。運ちゃんにここだと言われたところはまったく見覚えのない場所・・・こちらの説明が悪く、どうやら行きたいところとはまったく別の新市街の中心あたりに着いたらしい。旧市街にある時計塔の写真を見せると、なんだそこかといった感じで近くの人に話をつけてくれた。結局運賃は受け取らなかった。
その人について旧市街方面に行くらしい別のバスに乗り込む。運ちゃんにここだと言われて降りた場所は今度は見覚えがあった。この運ちゃんも運賃は受け取らずタダで乗せてくれた。
宿は前回泊まったスプリング・フラワーとは別のところにしようと思って何軒か当たったのだが、安い宿がなく結局スプリング・フラワーにチェックイン。悪い宿ではないのだが、相変らず宿の兄ちゃんは愛想がない。
すぐに明日の足を確保しに行く。明日はアレッポからイスタンブールに移動する。
最初に鉄道駅に行ったら、どうやらイスタンブールまで行く列車はなくなったらしい。トルコ国境を越えてすぐのガジアンテプというところまでしか行かないらしく、そこでまたイスタンブール行きの列車を当たらねばならない。切符が取れれば列車で行こうと考えていたのだが、あえなく却下。3年前のガイドブックにはイスタンブール行きの国際列車があると書いてあるんだけどなぁ・・・。
仕方なくトルコ行きのバスが出るターミナルでバスを当たる。何社か運行しているのだが、どこも直通バスは毎日あるわけではなく、水曜と日曜だけだったり水曜だけだったりする。
明日運行している会社が一社あったのだが、何故か運賃が安い。他が軒並み2,500SPと言っている中で唯一1,700SP・・・よくよく聞いてみると、国境に近いアンタキアでバスを乗り換えることになるらしい。だから安いのか・・・。しかも直通バスは午後1時にアレッポを出て次の日の朝6時頃イスタンブールに着くのだが、このバスはアレッポ出発が朝の5時、イスタンブールに着くのが夜中の2時頃らしい・・・うぅぅむ、どうしたものか。朝5時に出発するのはまぁいいとして、夜中の2時にイスタンブールに着いてどうするのよ。
しばらく考えたが、アレッポにもう一泊するのも何なんで結局このバスに乗ることにした。
アレッポではまたソフトクリームを食べまくり。

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トリポリ

2010/6/19 土
「物質的に豊かなことが必ずしも幸せなことなのだろうか?」ベイルートからトリポリに向かうバスの中で、窓の外を見ながらふとそんなことを考えていた。
レバノンを走っている高級車の数には驚く。高級セダンやSUVからスーパーカーまで、ちょっと異常なほどだ。日本ほど車が高くないのかもしれないが、ここまで高級車が走っているのはやはりちょっと異常だ。
所得格差に基づく歪な社会構造が大きな要因であることは容易に想像がつく。高級車に乗っている人のほとんどはキリスト教徒である。
事の発端は第一次大戦後のフランス統治時代に遡る。フランスは統治が容易になるように少数派のキリスト教徒を優遇する政策を取った。その歪は独立後も残り、'70年代には内戦に発展した。レバノン内戦にはそんな背景がある。単なる宗教戦争ということではない。
別にだからと言ってキリスト教徒がどうこう言うつもりは毛頭ない。ただ事実として、この国には現在も尚そのような歪な社会構造が残っているということである。
余談であるが、高級SUVの中ではインフィニティのFX35が最高にクールだ。価格はどうだか知らないが、ポルシェのカイエンやBMWのX5より断然カッコイイと思う。かなりの数を見かけるからなかなかの人気車種である。
今日はトリポリに移動する。トリポリ行きのバスが出るガラージュ・シャール・ヘロウまでは、バスがつかまらず30分ほど歩いてしまった。
客は4、5人しかいないが乗って少しするとバスは出発、途中で客を拾いながらトリポリに向かう。トリポリまで一人2,000LP。
およそ2時間でトリポリに到着。降りるときに荷物代を請求されたが、地元の人は誰も払ってないので(ここまでデカイ荷物を持ってる人もいないが・・・)突っぱねた。そういうことは乗る際に運賃を確認したとき言ってもらわないと・・・。
ベイルートの宿のおっちゃんにも勧められたハダッド・ペンションまでは歩いてすぐ。ドミが一人$10(15,000LP)。
ハダッド・ペンションは主にばあちゃん二人が切り盛りしている。ばあちゃんたちの住んでいる普通の民家の一室を客に開放しているといった具合の、まさにレバノン版民宿といったアットホームな宿だ。
ドミ部屋のドアの向こうがすぐレセプションで、昼間はばあちゃんやその友達?が居眠りしていたりおしゃべりしていたり。どことなく老人ホームのようでほのぼのとしている。
ばあちゃんたちはとても働き者で、昼間の暑い時間はイスに座って居眠りしているが、朝から夜遅くまで一日中働きずくめだ。よく掃除をしてくれている高齢の方のばあちゃんはとてもチャーミングである。
今日は日本のW杯二戦目。宿のTVで観戦させてもらった。惜しくも0-1で敗れはしたが、試合内容は悪くなかったと思う。街に出ると土地の人も「日本はいい試合をした」と声を掛けてくれた。まぁそれでも負けは負けというところが勝負の世界の厳しさ。
夕方、ペトラとアンマンで同じ宿だったシンヤ君が宿に来た。彼はアンマンからイスラエルに行っていたのだが、パレスチナ自治区はかなり興味深いところだったらしい。イスラエルに入国せねばならないが、こちらも大いに関心のあるところなのでパレスチナ自治区には後日行ってみたいと思う。

2010/6/20 日
レバノン杉のあるカディーシャ渓谷へ。
レバノン杉というのはレバノン国旗の中央に描かれている木のことで、杉とは言うがヒマラヤ杉と同じくマツ科の高木である。
宿の近くのインフォメーション前からバスに乗り、およそ1時間でカディーシャ渓谷にあるブシャーレに到着。運賃は4,000LP。
カディーシャ渓谷は広くて明るく、どことなく伊那谷を思い起こさせる。緑の山の斜面に白壁の家が点在する美しいところで、レバノン一の景勝地である。
標高1,500mほどの教会前から歩き始める。主なルートは二つあり、車の通る広い道を上りに使った。途中、道端でさくらんぼを売るおばちゃんが手招きしてくれ、二人の両手いっぱいのさくらんぼをくれた。シリアもそうだったけど、このあたりのさくらんぼは瑞々しくて甘くとても美味しい。
ちょうど1時間ほど歩いたところで一台の車が止まってくれ、残りの半分はありがたく車に乗せてもらった。
レバノン杉の保護区は標高2,000mくらい、ちょうどこのあたりの森林限界に位置している。森林限界より上の山肌は明るい緑の草に覆われていてヨーロッパの山並みのような景観だ。山腹にはスキーのリフトも見える。うぅぅむ、ここでスキーをしたらさぞ気持ちいいだろうなぁ。
シンヤ君とは朝別に出て、保護区の中で合流した。
木目の美しさと腐りにくさからその昔、船や建物の材料として乱伐された結果、今では1,200本にまで激減し国が保護をしている。保護区の杉はほとんどが樹齢1,200~2,000年の大木である。
エジプト以降ここまでカラカラに乾いた遺跡ばかり巡ってきた観があるので、久々に見る木と森は実に新鮮であり、ホッとする。やはり山の国、森の国の人ですもの・・・。そんな山の国から来た自分らにとって正直レバノン杉自体は驚くようなものではないが、やっぱ木はいいもんです。何時間でも木陰に座ってボーっとしていたい衝動に駆られる。もしレバノンに来ることがあったら、ぜひレバノン杉を見に来ることをお勧めする。
帰りは行きと違うもう一本の道を教会まで下った。こちらの道の方が眺めはよい。
16:00の最終バスに乗ってトリポリに帰ってきた。
明日でレバノンともお別れだ。結局レバノンの美味しいアラビア料理というのは食べられなかったなぁ。悲しいかな、それ相応のレストランに行かないと食べられないようで・・・。

20jun2010 カディーシャ渓谷 20jun2010 レバノン杉

20jun2010 レバノン杉の葉 20jun2010 レバノン杉の森からレバノン山脈の峰を望む

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ベイルート

2010/6/17 木
シリアではどこに行ってもしきりにお茶に誘われる。昨晩も夕食がてら夕景の水車を見に行ったところ、帰り道でお茶に誘われまくった。むげに断るのも申し訳ない気がして手招きされるままちょっと立ち寄ってお茶をいただく。(言葉は通じないけど)しばらく談笑してからお礼を言ってお暇すると、100mも歩かないうちにまた手招きされるからなかなか宿に帰りつかない。まったくシリア人のホスピタリティには頭が下がる。
通常、自分が声を掛けられるときは「ジャパン?コレア?」もしくはせいぜい「チャイナ?」といったところだが、マユミの場合はちょっと事情が異なる。いきなり「タイランド?」と声がかかるのだ、それも一人や二人ではなくけっこうな数の人から・・・エぇぇ~やっぱシリア人から見てもタイ人に見えるのぉぉ?果ては「キューバ?」と言い出す人までいた・・・。
シリアの女性は肌を晒さないこともあって驚くほど肌が白い。そんなシリアの人たちから見ると、日焼けして真っ黒になったマユミはやはりタイ人にしか見えないのかも・・・ジョークではなく皆100%本気でそう聞いてくるところがすごい。
さて、今日はトリポリに宿泊する予定だったのだが、着いたところはベイルート。ま、いっか。回る順番が変わってしまったがたいした問題ではない。
朝9:00過ぎに宿をチェックアウトし、昨日と同様にしてホムスまで出る。ホムスからレバノンに行く足はセルビス。すぐに一台のセルビスが見つかって一番乗り。客引きのおっちゃんに「トリポリ」と言っておいたのに・・・運ちゃんにキチンと伝わってなかったようだ。
料金は一人当たりセルビス代が500SP(結局ベイルートまでの運賃だったわけだが・・・)、出国税が600SP。これも後でわかったことだけど、600SPのうち純粋な出国税は500SPで、残りの100SPはおそらく代書屋の代行手数料と荷物チェックをパスするための賄賂のようである。
人が集まるのに2~3時間はかかるかなぁと思っていたのだが、1時間もすると人が集まり出発と相成った。一番前の客席を確保できたので足元も広くて快適だ。
1時間も走ると国境の手前に到着。どう見ても普通の商店にしか見えない店の前に車を止め運ちゃんがまとめて出国税を払うと、パスポートや他のシリア人(かレバノン人)の人たちはIDを提示するだけで自動的に納税したことを示すカードができてくる。
そのまま車に乗って国境のイミグレまで移動。運ちゃんや乗客の人たちがとにかく親切で、窓口まで一緒についてきてくれ手取り足取り教えてくれる。シリアもヨルダンからの入国はかなり煩いが、出国はかなり緩い。
スタンプをもらったところで車に乗ってレバノン側の国境に移動。途中の検問で荷物検査があり、他の車やトラックは荷物検査を受けていたが、運ちゃんが車から降りて一人の兵士にコソコソッと賄賂らしきものを渡すとノーチェックであっさり通過。至ってスムーズである。そのままレバノン側のイミグレへ。
レバノンのビザ代は掛からなかった。事前情報通りトリポリ北方の2ヶ所の国境ではビザ代が無料らしい。
レバノンに入ると景色が一変、久しく見ることのなかった針葉樹の高木が青々と茂っている。シリアも野菜や果物が豊富で豊かであったが、レバノンの土壌はさらに豊かである。
並木道を15分も走ると、突然目の前に海が広がる。地中海だ。そして海と並行して青々と木の茂るレバノン山脈の山裾が目に入る。
中東3国はどこも小さく、ヨルダンは日本の1/4、シリアは1/2、レバノンに至っては岐阜県と同じくらいの大きさしかない。レバノンは小さいながら地形や気候が変化に富んでいる。2,000m級の山々(最高峰はサウダ山、3,083m)は冬にはかなりの積雪があり、なんとスキーができる。そしてレバノンには砂漠がない!
右手にエメラルドグリーンの地中海、左手に白い石灰岩が点々と露出したレバノン山脈を見ながら海沿いの道を南下。
トリポリに近づくと、道路沿いにテント村が点在しているのが目につく。パレスチナ難民キャンプだ。未だにこんな粗末で不衛生なテント村で生活しているのかと思うと誠に気の毒である。
道に沿って点在する検問所にはアーミーが駐在している。シリアなどと異なるのは装甲車まで道路脇に待機していることだ。そして兵士の持っている自動小銃はM16。
走っている車はドイツ車だらけになる。特に多いのはベンツ!これだけベンツが走っている町というのをこれまで見たことがない。ちなみにシリアでは、韓国車とよくわからない中国製の車をよく目にした。
車窓の景色が変化に富んでいて面白く久々に釘付けになっていたら、気付くとトリポリを通り過ぎていた。トリポリで降りる人は他におらず、皆さんベイルートまで行かれるようで・・・。ま、いっか。このままベイルートまで行くことにしよう。
ホムスから国境まで1時間ちょっと、国境からトリポリまでは30分ほどで、ベイルートまではさらに1時間といったところだ。
ベイルートに近づくにつれ、途端にアラブ色がなくなっていく。英語表記の看板が増え、ここまでのアラブの国々では絶対目にすることのなかった水着の女のバカデカイ看板がそこかしこにある。近代的なビルが連なり、欧米のファーストフード店が立ち並ぶ。髪や肌を隠すことなくランニングシャツやキャミソール姿の女性が車を運転していたり歩いていたりする。ここは本当にアラブ人が95%を占めるアラブの国なの???70%以上の人がムスリムのはずなんだけど・・・。
このカルチャーショックとでも言おうか、ついさっきまでいた世界とのギャップはすごいものがある。まるで猿の惑星にでも来てしまったかのようだ。
特に衝撃的だったのは、タバコを吸っているムスリムの女性を何人か見かけたことだ。シリアなどではまったく考えられないことだ。これを自由と言ってしまえばそうなのだろうが、明らかに堕落と言うのではなかろうか・・・。
ベイルートはかなり大きな都市だ。特に途中通り過ぎた新市街は凄まじいものがある。
バスはガラージュ・シャール・ヘロウに着いたようである。ここからタラルズ・ニューホテルは近いので大汗をかきつつ、人に尋ねつつようやく辿り着いたらあいにく満室だった。
もう一つの安宿までは歩くにはしんどい距離っぽいのでバスかタクシーを使うことに。が、レバノン・ポンド(LP、100LPが6.5円くらい)の手持ちがないのでまずは金を下ろす。出てきたのは100,000LP札・・・レバノンの銀行は午前中しか開いてないらしくATMは使えたのに両替えはできず。ユカちゃんにもらった5,000LPが役立つことになった。
セルビスの運ちゃんに声を掛けると、2kmもない距離なのに10,000LPとか8,000LPとか・・・アホか。しかもバスはないとか嘘をつき出す始末だ。あぁシリアと何たる違いか。
ガラージュに戻って右往左往していると一人の親切なおっちゃんが現れ、道路脇でバスに乗れると教えてくれた。ありがたい。
バスで宿の近くと思しきところまで移動、一人1,000LP。もう一つの安宿ペンション・ホーム・バレリーは誰に聞いても知らない。それもそのはずで、一人のおっちゃんの案内について行ってみたら、看板も何もない・・・これじゃここがホテルか廃墟かもわからんぞ。他の宿泊者は半分住んでいるかのような人たち数人だけ。
覚悟はしていたが、やはりベイルートは物価が高い!トイレ、シャワー共同のこんなぼろい部屋が一泊$20だ(3Fの方。2Fの方はクソ狭い窓もない部屋が$25)。ベイルートにここより安い宿はおそらくないので選択の余地なし。宿のおっちゃんがいい人ということだけが唯一の救いだ。
ちなみに、立地条件はペンション・ホーム・バレリーの方が断然いい。タラルズの方は周囲に商店や食堂が見当たらない感じであった。

2010/6/18 金
今日は金曜であるが、レバノンにおいては休日ではない。こんなところもムスリムっぽくない。
朝からバールベックに出かける。行き方と料金の目安は昨日宿のおっちゃんに聞いておいた。
宿からコーラのセルビス乗り場までセルビスで一人2,000LP。レバノンのセルビスはわかりにくい。長距離を走るセルビスはミニバンなのだが、町中を流しているセルビスはセダンがほとんど。何がわかりにくいのかと言うと、セルビスとタクシーがまったく一緒であること。運ちゃんがその日の気分でタクシーにするかセルビスにするか決めているから見た目では識別不能、道路脇で車を止めてセルビスかどうかを確認せねばならない。既に人が乗っている車を見つけるのがわかりやすい。
コーラでミニバスのセルビスに乗り換える。既にけっこうな人が乗っていて自分らが乗るとすぐに出発となった。
バールベックはベイルートの東北東、レバノン山脈とアンチ・レバノン山脈に挟まれたベカー高原に位置するローマ遺跡である。
ベイルートの町中はけっこうな渋滞。車が多い上あちこちに検問があるためだ。
乗ったのはてっきりバールベック行きのセルビスかと思っていたら、途中の町で乗換えとなった。料金はバールベックまで通しで一人6,000LP。
ベカー高原に入ってレバノン山脈の東面に出ると、一部の山に雪が残っているのが見える。知識としては知っていたが、ちょっと意外な気がする。山の標高はせいぜい2,000mくらいだし、1,200mほどのベカー高原はかなり暑いのだから。
ベイルートから2時間ちょっとでバールベックに到着。これまでの遺跡と比べて人が少なくかなりひっそりしている。入場料は学割で一人7,000LP。
バールベックでは毎年夏に中東やヨーロッパから多くの芸術家を招いてフェスティバルが開催されるそうな・・・で、タイミングの悪いことにちょうど今がその準備中。壮大な神殿の前にドーンとステージや観覧席が仮設されていてせっかくの景観が台無しである。貼られたポスターによると、ここでオペラが上演されるらしい。
神殿自体は巨大で、中でもバッカス神殿は石柱の他に屋根の部分まで一部残っていて見栄えがする。が、ちょっと視線をそらすと目に入る仮説のイスやパイプが全てをぶち壊している。
一番驚くのは、遺跡の基礎や外壁に使われているブロックの巨大さ。エジプトのものよりずっと巨大で、こんなバカデカイ一枚岩のブロックを見たのは初めてだ。
2時間ほどでバールベックを後にする。帰りのセルビスも30分ほどで人が集まり出発となった。
行きは山ばかり見ていたり居眠りしていたりで気付かなかったが、ベカー高原にもパレスチナ難民キャンプがいくつかあった。パレスチナの地に帰れる見込みは全くなく、今ここにいる人たちはおそらく一生難民キャンプで生活することになるのだろう。本当に気の毒なことだ。国際社会におけるパレスチナ問題は、ここへ来て風化しつつあるように見える・・・。
帰りは一本のセルビスでベイルートまで辿り着けた。やはり2時間ほどで、運賃も行きと同じく6,000LP。降りたところからセルビスを乗り継いでハムラ地区まで帰ってきた。
ベイルートは今、急速に発展しつつあるように見える。新しいビルがポコポコ建てられていて、2006年のイスラエルによる空爆の痕すらほとんど残っていない。一部に残る古いビルに弾痕が見られる程度だ。
発展するのは喜ばしいことかもしれないが、一方でレバノンらしさ、中東らしさを急速に失いつつあるのもまた確かだと思う。少なくともベイルートは完全に自分を見失っているように見える。おそらく目隠しをして連れて来られたら、ここがベイルートどころか中東の都市ということすらわからないに違いない。バブル期の頃の日本と同じだ。
不思議なことに、レバノンはどことなく親米に見える。アメ車がこれだけ(と言っても比率でいったらたいしたことないが)走っている国というのも珍しいし、マックでW杯のスロベニア vs アメリカ戦を見てたら、学生らしき若い女の子がしきりにアメリカを応援していた。もちろんどこを応援しようが個人の勝手だけれど、まさかアラブの国で大手を振ってアメリカを応援する人を見ようとは夢にも思わなかった。
アメリカ=イスラエルってことになりゃせんの?ちょっと短絡的過ぎるか。歴史的に見たらどう転んでも親米になりようがないと思うのだが・・・こんなところも戦後の日本と同じということか。

18jun2010 バールベック ジュピター神殿の石柱 18jun2010 フェスティバルの準備中のバッカス神殿

18jun2010 バッカス神殿の石柱 18jun2010 バッカス神殿

18jun2010 バッカス神殿遠景

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ハマ

2010/6/15 火
朝、散歩がてら市街の西にあるキリスト教徒地区を歩いてみた。この地区はアルメニア人が多く住んでいる。トルコでのジェノサイドから逃れて住み着いた人たちの子孫も多い。
店の前に並べた椅子に座っておしゃべりしている老人、日向でパンを干している人、市街の喧騒が嘘のようにひっそりとした時間が流れている。実に平和な世界だ。
宿に戻る途中で朝食を食べ、昨日と同じ店でソフトクリームに舌鼓を打つ。店には朝からけっこう人が来る。いったい一日にどのくらいの数が出るのだろう?機会の前にはイスがあり、一人が座ってひっきりなしにソフトクリームを作っている感じである。
アレッポからトルコ国境までは50kmくらいであるが、レバノンに行くため一度南下する。
次の目的地はレバノン国境に近いクラック・デ・シュバリエ。当初ホムスを拠点にしようかと思っていたのだが、ハマの方が居心地がよさそうなので手前のハマに向かうことに。
地図を頼りにガラージュ・ハナノ(バス・ターミナル)に向かって歩くがたどり着かない・・・庁舎か何かのビルを横切るときに守衛所のようなところに居合わせたおっちゃん連中に尋ねようとしたら、コーヒーでも飲んでけってことに・・・シリアの人はホントに皆親切だ。コーヒーをご馳走になりながら身振り手振りで会話を交わす。
半分冗談交じりだがやはり皆アメリカは嫌いらしい。ヒロシマ、ナガサキのことは知っていて、言葉は通じないが妙に気が合ったりする。中東における日本の印象は今でもすこぶるよく、どこに行っても大歓迎してくれる。この後も変にアメリカ寄りの政策を取って中東の人たちの反感を買いませんように・・・。
おっちゃんたちの教えてくれたところによると、ハナノのターミナルは廃止されラモーサというところに移ったらしい・・・さすが3年前のガイドブックだ。
ガラージュ・ラモーサまではここから10kmもあるらしい。バスで行けと言って一人の人が近くのバス停らしきところまで案内してくれた。
待っていると、近くにいたおっちゃんがあのバスだと言ってバスを止めてくれた。路線バスの運ちゃんもとても親切だ。
バスに乗って20分ほど、ラモーサまではホントに10kmくらいあった。着いたガラージュは巨大で、バス会社の窓口がいくつもある。窓口の呼び声に吸い寄せられるまま、一番近くの窓口でチケットを購入。ハマまで一人95SP。
相変らずバスの移動は快適。2時間足らずでハマのガラージュに到着。そこから市内まではセルビスで一人6SP。
セルビスを降りたところから中東一と呼び声の高いリアド・ホテルまではすぐだった。うぅぅむ、中東一ねぇ・・・確かに部屋は驚くほどキレイだけど、料金もスーパーだ。トイレ、シャワー共同のWが800SP、トイレ、シャワー付きだと900SPもする。トイレ、シャワー付きの部屋には冷蔵庫まであってビックリしたが・・・。まぁいいか、ということで800SPの部屋にチェックイン。
ハマは水車で有名な町だ。オロンテス川沿いを歩くと、農地に水を汲み上げる木製の水車がいくつもある。ビザンチン時代に造られたもので(もちろん木製の水車自体は造り替えたものだろうが)、今でも現役でギーコ、ギーコといい音を響かせている。
アル・モハンメディーエという名の、直径が20m以上ある水車の近くを歩いていたら、建物の中からおっちゃんに声を掛けられた。招かれるまま中に入ってみると、10人くらいのおっちゃんたちが食事中でそのまま呼ばれてしまった。コフタ(肉団子)に肉に野菜、これをパンに包んで食べる。実に旨い!どうして食堂でこういうものが食べられないのかなぁ・・・。
おっちゃんたちは水車で穀物を粉に引く職人と、その関係者らしい。無骨だけど、皆陽気でとても親切。言葉も通じないただの通りすがりの旅人にどうしてここまで親切にしてくれるのか、まったくシリアの人たちの底抜けのもてなしに頭が下がるばかりだ。
デザートのフルーツとお茶まで、すっかりご馳走になってしまった。ホントに何とお礼を言っていいものやら・・・いつかシリアの人たちに恩返ししたい。
水車の近くでは子供たちが元気に遊んでいる。川に飛び込んだり泳いだり・・・皆陽気でとてもフレンドリーだ。変に馴れ馴れしくないところも実に好感が持てる。
町は想像してたより大きかったけど、ゆったりしててなんかいいなぁ・・・ハマに来てホントよかった!

15jun2010 最大の水車 アル・モハンメディーエ 15jun2010 ハマの水車

15jun2010 夕飯をご馳走してくれたおっちゃんたち 15jun2010 夕飯をご馳走してくれたおっちゃんたち2

15jun2010 川で皿を洗うおッちゃん 15jun2010 宿の近くにて 町の人と

2010/6/16 水
朝からクラック・デ・シュバリエに出かける。クラック・デ・シュバリエはシリアで最も有名な十字軍時代の城である。
宿の近くからセルビスに乗り、まずはガラージュ・ミクロバスまで(一人6SP)。ガラージュでホムス行きのセルビスに乗り換える。ここのセルビスは乗る前に窓口でチケットを買うようになっている。ホムスまで一人35SP。
セルビスはすぐにいっぱいとなり出発、1時間ほどでホムスのガラージュに到着。ここでまたクラック・デ・シュバリエ行きのセルビスに乗り換える・・・が、観光のハイシーズンでもないこの時季の平日にクラック・デ・シュバリエに行こうなんて人がそうそういるはずがない。
人に聞いてクラック行きのセルビスまで行ってみると、乗っているのは日本人と韓国人の旅行者が一人ずつ・・・彼らはもう2時間も人待ちをしているらしい。
クラックまでセルビス一台600SP、つまり人数が多いほど各人の負担が軽くなるわけだ。運ちゃんも待ちくたびれたのか「一人150SPで行こう」としきりに誘ってくるのだが、まぁせいぜい100SPまででしょ・・・せこい結論に至ってもう少し待つことに。
1時間ほどすると地元の人がどやどやと6、7人やって来た。待った甲斐あり!晴れて出発と相成った。
クラックまではおよそ1時間、結局一人50SPで来ることができた。標高750mの丘の上に巨大な城が聳えている。ハマやホムスとは天気が一変し、雲が多く風が強い。
さっそく城の中へ・・・あっさり学割が使え、入場料は一人10SP。どうやらシリアでは学割が使えると半額などではなく、どこでも10SPくらいで入れるようである。スバラシイ!
クラック・デ・シュバリエはまさにラピュタ、天空の城ラピュタだ!丘の上に聳え立ち下界を見下ろせるこの城を見たら、日本人なら誰でもラピュタを連想するに違いない。緩やかな緑の起伏の中に白壁の家が建ち並ぶ下界の眺めがまたスバラシイ。
城は巨大でどこでも自由に歩き回ることができる。ここでかくれんぼをしたらさぞ楽しいことだろう。ただし海外の遺跡はどこもそうであるように、柵や手すりといったものはないからうかうかすると危険である。塔の上に出ると冬山並みの強風で、吹き飛ばされそうで怖いくらい。怖くてあまり縁の方には近づけない。
他の観光客は大型バスで来ている団体客ばかり。よって帰りは自分ら4人以外セルビスをシェアできる人は見当たらない。4人でセルビスをチャーターしホムスまで一人150SP、致し方なし。
ホムスからは行きと同様に帰ってきた。
何にかぶれたか刺されたか、昨日あたりから腕や背中がブヨに刺されたようにボコボコで痒くてたまらない。
明日はレバノンのトリポリに移動する。

16jun2010 クラック・デ・シュバリエ 16jun2010 クラック・デ・シュバリエ2

16jun2010 天空の城 16jun2010 クラック・デ・シュバリエ遠景

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1970年生まれ。妻と二人信州伊那谷在住。
2009年10月~2013年5月の旅を記録するために”なかっぴー通信”をスタートさせました。
現在は伊那谷にて節約生活をしながら充電中。
2014年4月、ブログのタイトルを”なかっぴー通信NEO”に改めました。
信州伊那谷より~旅のこと、山のこと、自転車のこと、そして田舎暮らしのことなどなど・・・気ままに綴ってゆきます。
”おもしろきこともなき世をおもしろく”そんなふうに生きていけたらいいですね。

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