アウシュヴィッツで考えた

2011/10/29 土
始:9:25 ~ 終:16:40 走行:19km
~ Oświęcim ~ Brzeszcze

曇り。朝は特に冷え込むこともなかったが、一日中日が出ず寒い一日だった。特にアウシュヴィッツとビルケナウ・・・強制収用所跡地は何故だか外界よりグッと寒かった。

夜露でびしょ濡れのテントをそのまま撤収して早々にアウシュヴィッツへ向かう。
Oświęcimから933号に入りちょっと走ったところにその場所はあった。道路に沿っていきなり有刺鉄線を張り巡らした塀が目に入る。
アウシュヴィッツの方は現在博物館となって公開されている。
入口の駐車場のところまで行くと、朝早くから大型バスが何台も来ていて人でごった返している。それにしてもすごい人だ。次から次からやってくる。今の時季でこの有様だから、きっと夏にはものすごい数の人が訪れるのだろう。

アウシュヴィッツもビルケナウも基本的に入場料は無料である。
ここは自分たちのペースでじっくり見たいと思っていた。ともに数年前までは自由に見ることができたはずであるが、現在アウシュヴィッツの方はガイド・ツアーでないと入れないようになっていた。係の人に聞いたら、15:00以降なら自由に見て回ることができるという話・・・実質的にはガイド・ツアーで見学することになる。
英語とポーランド語と、他にもいくつか言語があったかな・・・タイミングよく英語のツアーが出発するところだったのでこれに参加。
ガイド料は一人40zł。ヘッドフォンとレシーバーを受け取ってガイドについて回る。
ちなみに、公認の日本人ガイドも一人いて、予め予約しておけばその方に日本語でガイドしてもらうことも可能。

敷地は広く建屋の数も多いから、とてもすべてを見て回ることはできない。ツアーで回るのは収容所内のごく一部である。
あまりにもいろいろな建屋がありすぎて、勝手に見て回っていたのでは何がなんだかわからなかったに違いない。そういった意味ではガイドしてもらってよかった。
アウシュヴィッツについて、ここでは特に何も語るまい。ここで目にするもののすべてがおぞましい事実を静かに語っている。

ガイド・ツアーが次から次に数珠繋ぎでやって来るから、あまりじっくり見ていることはできない。次から次へと案内されてけっこう忙しい。そんな駆け足のガイドでもアウシュヴィッツだけでたっぷり二時間かかった。それでも見ることができたのは収容所内のごく一部。

ビルケナウの方は勝手に見て回るのかと思ったら、同じガイドが案内してくれると言うので引き続きツアーに参加。
ビルケナウ(第二アウシュヴィッツ)はアウシュヴィッツから3kmほどのところにあるさらに広大な収容所である。5~11月の間は両者の間を無料の連絡バスが走っている。
自転車をアウシュヴィッツに置いてバスでビルケナウに移動。「死の門」をくぐって鉄道の引込み線が敷かれていて、広大な敷地の中で唐突に終わっている。
敷地面積1.4平方キロ。とにかく広大な敷地内にバラックが点々と原形をとどめて残っている。立入可能なエリアは基本的に自由に見て回ることができるが、ここもあまりに広すぎて何がなんだかわからないから一通りガイドしてもらった方がいいと思う。
移動時間も含め、ビルケナウの方もツアーはたっぷり二時間。時間があればその後敷地内を自由に見て回ることができる。

収容されていた人たちの寝起きしていたバラックやトイレは当時の姿をとどめているが、もちろん今はきれいにされている。よって当時の状態を思い浮かべるには想像力が必要だ。
一つの狭い棚に五人が寝起き、ダニやシラミ、あたりには排泄物が散乱しネズミが走り回る。劣悪すぎる環境だったろうな、特に臭いが・・・。
こういったバラックなどはよく映画のシーンにも出てくるけど、そこまでリアルに再現されていないから勘違いしがちになる。実際はもっと過酷です・・・これは実際目で見て想像してみないとわからないな。

「ナチの医師がユダヤ人を選別しているところ」とか、写真に写されたまさにその場所に当時撮られた写真が立てられているのも妙にリアリティーがある。およそ70年前に撮られた写真と寸分たがわぬバラックが今目の前に建っている。見ていてゾッとする。

ビルケナウの方のガス室と焼却場とされているところは、証拠隠蔽のため終戦間際にナチの親衛隊によって解体、爆破されており、瓦礫となってその姿を晒している。

さて、ツアーに参加してガイドの説明を聞いていて思ったのは、現地ツアーにドイツ人が飛び入りで参加するのは無理だろうなということ。あまりに辛すぎる。
ガイドはいちいち「ナチのドイツが」という言い方はせず「ドイツは」「ドイツ人は」と言い続けるから、いたたまれなくなってその場から逃げ出したくなるに違いない。
実際にはアウシュヴィッツを訪れているドイツ人は多いのであるが、ほとんどはドイツ人のツアーに参加しているはずだ。でないとちょっと辛すぎる。
ちなみに、自分らのツアーはアイルランドとカナダの団体客が多かった。
もちろんホロコーストは完全にドイツの犯罪であって、弁護の余地はまったくない。
当時ユダヤ人を公然と差別していたのは何もドイツに限った話ではないが、大々的にあのような暴挙に出たのはナチのドイツであり、ヨーロッパの他の国の人たちからすればこの件に関しては完全にドイツだけが向こう側の国、収容所を訪れる人たちを見ていてそんな印象を受けた。

アウシュヴィッツで殺戮されたのはユダヤ人だけではない。最終的には9割がユダヤ人ということになるのだけれど、アウシュヴィッツができた当初に犠牲になったのはポーランド人が多かった。他にジプシーやソ連軍捕虜、同性愛者などが犠牲になった。
被った悲劇からすると当然なのかもしれないが、ホロコーストに対するユダヤ人の執念はすごい。数年おきにホロコーストを題材にした映画が公開されるのも、ホロコーストという事実を未来永劫色褪せないようにせんがため。

昔、自分が高校生の頃だったか、マルコポーロ事件というのがあった。
「ナチのガス室はなかった」という大胆な論を述べた人がいて、それを掲載したマルコポーロという雑誌が(主にアメリカ在住の)ユダヤ人協会の圧力で廃刊に追い込まれたという事件だ。
極東の小さな島国の一雑誌で異を唱えることも許さない。ユダヤ人の執念はすごいなと思うと同時に、ユダヤ人の力はすごいなと当時思ったものだった。
ちなみに、自分は書籍化されたものを読んだことがあるが、内容は何もホロコーストを否定しているわけではなく、ガス室とされている建物の構造などからして実はガス室というものは存在しなかったのではないか、亡くなったユダヤ人の多くはチフスが原因ではないか、というものだ。パレスチナ問題なども絡めて書かれたなかなか興味深い本であったことを覚えている。

アウシュヴィッツは、今後二度とあのようなおろかな歴史を繰り返さぬよう、できればすべての人が一度その目で見たほうがよい場所だ。
人間とはおろかなもので、その後もジェノサイドはいくつも引き起こされている。ルワンダしかり、ボスニア・ヘルツェゴヴィナしかり・・・である。
ユダヤ人とて、ホロコーストでは被害者であった彼らが、今パレスチナの地では加害者になっているのはおろかなことだ。

アウシュヴィッツを後にして933号を西に向かい、Brzeszczeを出てすぐに渡った川の土手の下にある広い草地の木陰に幕営。
車が多く、相変らず道を走っていて不快なポーランドであるが、テン場に事欠かないのはありがたい。

29アウシュヴィッツ_サイズ変更 29P1110861_サイズ変更
「働けば自由になる」                    何故この地に収容所があるのか・・・輸送に好都合だったから

29P1110865_サイズ変更 29P1110869_サイズ変更
犠牲者の義足や義手                   帰るつもりで鞄には名前を書いておいた

29P1110871_サイズ変更 29P1110877_サイズ変更
夥しい数の靴                        いくつもある監視塔

29銃殺に使われた壁_サイズ変更 29P1110883_サイズ変更
銃殺に使われた「死の壁」
              
29P1110886_サイズ変更 29ガス室とされているところの内部_サイズ変更
                                 ガス室

29P1110897_サイズ変更 29P1110904_サイズ変更
ビルケナウの鉄道引込み線と「死の門」         解体、爆破されたガス室と焼却場

29P1110907_サイズ変更 29P1110911_サイズ変更
                                 女用のバラック

29IMGP7864_サイズ変更 29男子用バラックのトイレ_サイズ変更
                                 男用バラックのトイレ

29男子用バラックの室内_サイズ変更
男用バラック

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川の土手下の草地

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(好きでもないのに)三たびポーランド その1

2011/10/27 木
始:10:00 ~ 終:16:00 走行:62km
~ Čierne ~ Skalité ~ 国境 ~ Zwardoń ~ Rajcza ~ Milówka ~ Żywiec ~ J. Żywieckie

夜が明けるとガスで真っ白。川向こうの集落もまったく見えない。日が出ればすぐに晴れそうだが、背後の山に遮られてなかなか日が出ない。
出発の10:00近くになってようやくガスが晴れてきた。ガスさえ晴れればスッキリいい天気かと思いきや、やはり雲が多かった。

ポーランド国境まではちょっとした山岳ステージ。最後はまた10%オーバーの上りで朝からしごかれた。
スロヴァキアという国は、最後の最後まで良くも悪しくも印象の薄い国だった。悪くはないのだけれど、特にこれといった印象がない。
唯一(と言っては語弊があるが)スロヴァキアの車のナンバー・プレートは同じEU圏でもこれまでの国と違って、タトラの峰々を描いた国の紋章が入っていてカッコイイ。

スロヴァキア側の国境近くはちょうどアウトバーンを建設中だった。
国境にはイミグレのあった跡すらなくスルー。が、国境を越えてすぐ異変に気付いた。
国境を越えた先も一本道。が、その一本道がどう見てもアウトバーンっぽい。まだできたばかりの真新しい立派なアウトバーン。
地図上は69号というただの国道であるが、実際の道路標示はS69。これってやっぱアウトバーンだよなぁ・・・いやいやそんなはずはなかろう、接続しているスロヴァキア側は狭い一般道だし、それでは車でしか越境できないことになってしまう。たまには自転車で越境する人だっているはずだ。

半信半疑のままS69を走る。なんてったって道はこれ一本しかないのだから・・・。
道標によると、Żywiecまで28km。Żywiecまで行けば69号から逃れられる。交通量は少ないし路側帯も広い。これなら安心して走れるか。
すれ違うドライバーも特にこちらに注目している様子はないように見える。アウトバーンってのは気のせいだったか?
しばらく走るとトンネルがあった。こいつは珍しい。ここまではじめて見るトンネルだ。トンネル手前のスペースに自転車を止めて写真を撮る。
トンネルの長さは678m。念のためライトを点滅させていざ突入!
と、いきなりどこかのスピーカーからがなりたてる声が・・・。
ビックリして立ち止まる。シーン・・・自分らに言ってるわけではないか。気を取り直して突入しようとすると、またがなりたてられる。そんなことを二、三度繰り返した。
どう考えても自分らに言ってるよなぁ・・・ポーランド語で、何を言っているのかまったくわからないが、明らかに自分らに対してトンネルに入るなと警告している。
突入するのを断念して道路脇のスペースに戻る。いったいどうしろって言うんだよ~
誰か関係者でも飛んで来ないかなぁとしばらく待ってみたが、誰も来そうにない。

ちょっと手前にインターチェンジがあった。アウトバーンをしばらく走ったお陰で、ここまで来ればどうにか迂回できそうである。
そそくさと反対車線に渡って少し戻り、インターチェンジを下りる。
振り返って道標を見ると、S69は正真正銘のアウトバーン。酷いなぁ・・・いったいどういう道路の造りにしてんだよ~!越境した途端なんでポーランド側だけいきなりアウトバーンになっちゃうわけ?自転車で越境した人はどうすりゃよかったんだよ~!
これだからポーランドは嫌いだ。

さて、インターを下りた先から選択肢は二つあった。西からWisła経由で迂回する山越えの道と、東からRajcza経由で迂回する道。
Wisła経由の道は距離は短いのだが、見るからに険しい山岳路。峠を二つも越えねばならず、おそらくかなりの激坂。しかも目指すŻywiecのかなり北に出てしまう。却下。
Rajcza経由で迂回することにした。

Rajcazへの道は、山間を走るのどかな道で感じがよかった。スロヴァキア側のこちょこちょした感じがなくなった。
一歩越えただけでガラリと雰囲気が変わるから国境ってのは不思議だ。
が、よかったのは束の間のMilówkaまで。Milówkaで69号(今度こそ正真正銘のただの69号)に合流すると、おなじみのポルスカらしさ全開!
車が多い!とにかく多い!なんでこんなに車が多いんだ、この国は!しかもいたるところ工事中・・・。自転車で走ってこんなに不快かつ危険な国はヨーロッパに他にない。ダントツの不快さ。
できれば二度と走りたくないポーランド。なんでそんな国に三度も足を踏み入れたのかと言うと、Oświęcimに行かんがため。
オシフィエンチム・・・ドイツ名はアウシュヴィッツ。言わずと知れたナチの強制収容所があったところ。
この町はチェコとスロヴァキアとの国境近くに位置していて、チェコやスロヴァキアからアプローチした方が近い。ポーランド国内で言えばクラクフの西55kmほどのところにある。

Milówkaから不快極まりない69号を走ってŻywiecまで。
ホントになんでこんなに車が多いんだ、この国は。しかもいたるところ工事中だし・・・。
いったいこの先どこへ向かおうとしているのだ、ポルスカよ!

Żywiecで食料の買い出しをして946号に入る。ポーランドは水も飲めないから、5Lのペットボトル入りの水も買う。
946号に入ってようやく逃げられると思ったら、甘かった。
Żywiecは小さな町であるが、信号のある所々で車が渋滞している・・・何で???ホンッッットに不快だ、この国は。
車の多いことをとっても道の造りをとっても工事が多いことをとっても、日本もあまり人のことをとやかく言えた義理ではないかもしれないが、でも酷すぎる!
思えば一昔前、バブル期の頃の日本と似ているのかもしれない、今のポーランドは。

ホトホト嫌になりながら946号を走っていると、J. Żywieckie湖の近くでキャンプ場の看板を発見。
閉まってそうだけど念のためのぞいてみるか、と行ってみたら奇跡的に開いていた。ちょっと中途半端であるが、今日はここに泊まることに決定!
J. Żywieckie湖を見下ろせるなかなかのロケーション。船の整備をしている関係者と、半ばトレーラーハウスに住んでいるおっちゃんくらいしかいない。完全に貸し切り状態で、シャワールームも鍵を貸してくれて自分ら専用。料金が異様に安くて二人で一泊20zł(590円くらい)。
キャンプ場に泊まる日は忙しい。テントを張ったら速攻でシャワーを浴びて洗濯。

27IMGP7798_サイズ変更 27スロヴァキア・チップス_サイズ変更
牧草地から道路に下りる                 ちなみにチェコではボヘミア・チップスになる

27IMGP7803_サイズ変更 27建設中のアウトバーン_サイズ変更
国の紋章が入ったナンバー                建設中のアウトバーン

27三たびポーランド_サイズ変更 27アウトバーンを走る_サイズ変更
ポーランド三たび突入                   国境先の一本道がいきなりアウトバーンに・・・

27突入しようとしたらスピーカーからなにやらがなりたてられた_サイズ変更 27IMGP7817_サイズ変更
突入しようとしたらがなりたてられた・・・        やはりアウトバーンだったS69

27IMGP7819_サイズ変更 27IMGP7821_サイズ変更
Rajcazへの道は気持ちのいい道だった・・・      途中までは・・・

27IMGP7825_サイズ変更 2710/27のテン場 キャンプ場_サイズ変更
すぐにポルスカらしさ全開!               湖畔の高台にあるキャンプ場

2011/10/28 金
始:11:00 ~ 終:15:30 走行:44km
~ Oczków ~ Czernichów ~ Kobiernice ~ Kęty ~ Oświęcimの5km手前

久々に快晴!そして久々にありえないくらい露が降りた。テントも地面の草も何もかもびしょびしょ。
朝もまったく寒くない。いったいハンガリーの寒さは何だったのか?
昨晩シャワー室に干しておいた洗濯物を日に当てて乾かそうと思ったら、管理人のおばちゃんがヒーターの上に移動しておいてくれて既に乾いていた。ありがとう、おばちゃん!
びしょびしょのテントをのんびり乾かしてから出発。

入口の門のところで看板を入れて写真を撮ろうとしていて気が付いた。昨晩泊まったここ、実はキャンプ場ではなかった・・・。いや、キャンプ場も兼ねているのかもしれないけど、あくまでボートを預かるマリーナのような施設。だからあんなに安い料金でテントを張らせてくれたのか。どうりでテント・サイトが狭いと思った。
ちなみに、道路の看板で見たキャンプ場はもう少し奥にあった。(もう閉まっているようだった)
ここも今朝は門が閉まっていたし、昨日開いていたのはただの偶然だと思う。いや~ラッキーだった。

今日も変わらず車の多い948号を北上する。
J. Żywieckie湖はダム湖だった。Czernichówにダムがあり、その先のKobierniceまでダム湖が続いている。
ダムから先はダム湖沿いを走る気持ちのよいルート。晴天とも相まって木々の黄葉がとても美しい。
ヨーロッパには日本のように紅く染まる木はほとんどない。黄葉もせず中途半端な茶色になって散ってしまう木が多い。
チェコ及びスロヴァキアとの国境地帯はポーランドで唯一の山岳地帯。と言っても山はなだらかで、標高は高い山でも1,500mほど。ポーランドは国土のほぼ全域が平坦地である。
その割りに昔から強靭なクライマー(登攀の方の)を多く輩出している。クルティカとかククチカ、etc...。
自然がふんだんに残っていて、気持ちのいい明るい森がそこかしこにある。テン場にも事欠かない。

惜しい・・・実に惜しいぞ、ポーランド!こんなに美しい国で人もいいというのに、どうしてこんなにも車が、それも大型トレーラーが多いのだ、この国は。
この一点だけが唯一の、そして自転車にとっては最大の難点。せっかく美しい国なのに、走っていて不快かつ危険なことこの上ない。
たぶんこれは自転車限定の不快さで、おそらく車やモーターバイクであれば道路の流に乗って走っている限り特に不快な思いをすることはないだろう。
車が多いことに加え、道路の造りにも原因がある。交通量が多いくせに道が狭すぎ・・・。
道幅は大型一台でいっぱいいっぱい、路側帯というものがまるでない。あんな使えない歩道をぶつ切りに造るくらいなら路側帯を設けてくれればいいのに・・・。
道が狭いがために自転車が渋滞を招いてしまう。対向車が途切れず大型にいつまでも後ろにつかれているとのんびり走ってもいられない。それでも後ろについて待ってくれるようなトラックはまだいい。対向車が来ているのに皮一枚ギリギリのところをスピードも落とさずかすめていくイカれたトラックも多いから、非常に怖い思いをする。
路側帯も何もないから逃げ場がない。もしちょっとでも接触したらアウトだぞ、この野郎!
国中どこを走ってもこんな道ばかりのポーランドである。

Oświęcimの近くに間違ってキャンプ場でもないかなぁ、などと淡い期待をしながらやって来たが、やはり望むべくもない。
町の手前5kmほどのところに川に出られそうな枝道があり、入ってみるとSolam川の広い川原に出た。今の時季は水量が少なく、ヨーロッパには珍しい日本の川のようなゴロゴロ石の転がった川床が露出していた。
場所を選定し、整地して幕営。なんかこういう石の上に幕営するのって久しぶり。
それにしても暖かい・・・川原に遊びに来ていた若い衆など半袖である。そこまで暖かくないと思うけど・・・。

余談であるが5Lのペットボトル・・・水の飲める国では何度も繰り返し使っていたペットボトル。水を買っているポーランドでは一度使っただけで即ゴミになってしまう。
なんだかとても罪悪感を覚える。

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車さえいなければ快適                   黄葉が美しい

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なんでこんなに車が多いんだ、この国は・・・      川原に幕営

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スロヴァキアってどんな国?

2011/10/22 土
始:10:00 ~ 終:17:40 走行:82km
~ Bajč ~ Nové Zámky ~ Palárikovo ~ Selice ~ Trnovec ~ Šala ~ Močenok ~ Hájske ~ Pata ~ Pusté Sady ~ Dvorníky ~ Bojničky

無風快晴。朝の冷え込みも弱かった。スロヴァキア南部の平原地帯は比較的温暖なようである。
509号に戻ってBajčまで走り、そこで合流した64号でNové Zámkyまで。Nové Zámkyの先で75号に入ってみたものの・・・
ここまでどの道も非常に退屈。道はまっすぐ伸びていて路面もきれいだから効率よく距離を伸ばせるのだけれど、走っていて面白いことが何もない。激しく退屈。そして面白くない以上に、車がすぐ横を猛スピードで走り抜けていくからとても危険。
明らかにその延長となっている75号を走るのはやめた。

道路番号のない細い道に入る。ようやく安心して走れる感じのいい田舎道になった。が、スロヴァキアの場合、道路番号のないこんな道でも路面はきれいで道幅も割りと広い=車はそれなりに通る。
それでもこの道に入ってようやく小さな村や町も通るようになった。
Seliceのバーで地元の人たちに交じって休憩。皆さん朝からがんがんビールを飲んでいて、中にはけっこうベロベロの人もいる。
ここでおっちゃんに教えてもらって昨日の謎が解明した。二種類併記されている地名、上段はもちろんスロヴァキア語で、下段の方はフンガリッシュつまりハンガリー語ということであった。
昔のハンガリー帝国時代の名残り・・・ということになるのであろうか。
スロヴァキアはハンガリーに支配されていた時代が長かった。
10世紀初頭に大モラヴィア王国がマジャール人に滅ぼされて以降、1918年にチェコスロヴァキアが成立すまで実に1,000年もの間ハンガリーの支配下にあったことになる。今でも国中の地名にその頃の名残りがある、ということになるのか。

「で、あんたらどこから来たの?ベトナム?」
・・・最近はベトナム人と言われることが多い。

Seliceからしばらく走ったところでいったん75号に合流する。
Šala のTESCO(たぶんハンガリーの大型スーパーチェーン)でちょっと早いが食料の買い出し。
小さな町にはだいたいどこでもcoopがあるのだけれど、土日はどこも午前中しか営業していなかった・・・。大型チェーンのスーパーは土日も関係なく開いているので助かる。

遠回りになるが、Šalaからまた名無しの細い道に入る。
多少は田舎っぽくなる。が、やはりこれといった特徴がない。小さな町を通り抜けても、家の造りを見ても、スーパーやカフェに入ってみても、特にこれといった特徴がない。なんか不思議な国だな、スロヴァキア。
どこの国を走っているのかわからなくなる。スロヴァキアらしいというのはいったいどういう感じなのだろう?

Močenokの町中に公共の井戸を見つけて試してみたが、ちょっと鉄臭いので汲むのをやめた。素直にその先のGSで水道水を5Lもらった。
これでいつでも幕営可能。
が、スロヴァキアで最大の問題はテン場が見当たらないこと。道沿いには人が満遍なく住んでいて集落が途切れない上、集落以外のところはきれいに整備された畑ばかりでまったくつけ入る隙がない。
今日も16:00頃からテン場を探し始めたが一向に見つからず、日没の迫った17:30近くになって緊急措置として道路脇のちょっとした牧草地のようなところに幕営した。
これから先が思いやられる。

22IMGP7685_サイズ変更 22スロバキア名とハンガリー名が標示してある_サイズ変更
ひたすら退屈な道                     上:スロヴァキア語、下:ハンガリー語

22IMGP7693_サイズ変更 22IMGP7699_サイズ変更
ようやく田舎道に入ったが・・・              相変らず周りは畑で退屈

22スロバキアのバー_サイズ変更 22ビールを飲みにきていたおっちゃんたちと_サイズ変更
スロヴァキアの田舎のバー                ビールを飲みに来ていたおっちゃんたち

22P1110819_サイズ変更
道路脇の牧草地のようなところ

2011/10/23 日
始:10:50 ~ 終:16:20 走行:54km
~ Hlohovec ~ Jalšové ~ Sokolovce ~ Ratnovce ~ Banka ~ Moravanz ~ Modrovka ~ Hrádok ~ Nová Ves ~ Kočovce ~ Rakoľuby ~ Beckov

昨晩は快晴だったのに6:00頃から雨が降り出し、しばらく様子を見る。
夜は快晴なのに朝になると曇ってしまう、という天気がこのあたりは多い。
9:00前くらいに雨が上がったので出発の準備を始める。
日が短くなってきてだんだん時間との勝負になってきた。最近は行動時間が6時間ほどしかとれなくなっている。

Bojničkyから標高差100mほどの丘を一つ越えるとHlohovec。
今日通る町では一番大きな町で、LiDLがあったのでさっそく買い出し。近くのGSでガソリンも購入。
Hlohovecから507号をひたすら北上。
507号はVáh川沿いの広い谷を北上するルートで、アウトバーンのE75や幹線の61号と並走している。道は驚くほどきれいだが、相変らずこれといった特徴がなく少々退屈な道である。
チェコ同様スロヴァキアも第二次大戦の戦災を免れたはずであるが、古い家は少なく、新しく見える家々にも特にこれといった特徴はない。
自転車に乗りながら眺めている景色、その景色が日本のどこかであると言われてもきっと信じるな・・・。
スロヴァキアらしい、という風景は東部の山岳地帯に残っているのかもしれない。
ところで、山がちなスロヴァキアもハンガリーに劣らぬ温泉国で(と言うかハンガリーから伝わったのかもしれないけど)、地図を見ているとあちこちに温泉がある。

朝こそ冷え込まなかったが、一日中どんよりと曇って寒い一日だった。時折り小雨もパラつき、いつもなら一番暖かい午後の時間帯が一番寒かった。
今日は日曜で、どこの集落もゴースト・タウンのように静まり返っている。
なかなか水をもらえそうなところがなく、Beckovまで北上。道路脇のバーが開いていたので、ビールを飲むついでに5Lのボトルに水をもらった。
世界一美味しいと言われるチェコのビール。ここはまだスロヴァキアだが、さすがにビールは旨かった。
バーの中は暖炉が灯っていてポカポカ。そこで皆さんビールを飲んでいる。

Beckovに入る手前の岩山の裾野にテン場にいい場所があった、とマユミに言われてちょっと戻ってみる。
道路のすぐ脇であるが、茂みがあって一応道路からはほとんど見えない。この先テン場に恵まれる可能性もほとんどゼロ、おまけに天気も怪しい・・・。
ちょっと早いが幕営を決め込む。
地形がちょっと山がちになって多少なりともテン場が見つかるようになった・・・ような気がする、いやそう信じたい。

23IMGP7713_サイズ変更 23ビールも飲んで水をもらう_サイズ変更
道路は驚くほどきれい                   ビールは安くて旨い(生ビール一杯0.75E)

2310/23の野営地 道路脇の草地_サイズ変更
道路脇の草地

2011/10/24 月
始:10:00 ~ 終:16:40 走行:53km
~ Trenč. Stankovce ~ Trenč. Turná ~ Trenčín ~ Trenč. Teplá ~ Nová Dubrica ~ Nemšová ~ Bolešov ~ Slavnica ~ Pruské ~ Horovce ~ Lednické Rovne

曇り時々雨。今朝も6:00頃から雨が降った。9:00頃になるといったん上がり、出発の10:00頃になると時々青空も見えていた。
Beckovには岩山の上に朽ち果てた古城があって道路からよく見える。特に観光地になっているわけでもなければ町の呼び物になっているわけでもない荒城であるが、天空に聳え立つ様はなかなか迫力がある。険しい岩山の上に立つ様がメテオラの修道院を思わせる。
昨日に続いて507号を北上し、Trenčínを目指す。道は相変らずきれいである。
途中で雨が強くなってバス停で雨宿り。今日も天気が冴えない。

Trenčínに入ってすぐ道沿いに自転車屋を見つけ、寄ってみる。いろんな国で自転車屋をのぞいてみるのは楽しい。
ここの自転車屋はAUTHORという、店の人に聞いたらチェコのメーカのバイクや部品、備品を主に扱っている店だった。さすがに部品や備品はなんでも置いてある。こんな店がどこにでもあれば何があっても安心なんだけれど・・・。
いくつか欲しいものがあった。まずはドーズのライト。ダイナモ式のが今着いているのだけれど、今ひとつ使い勝手がよくないし調子も悪いので新調することにした。
せっかくなのでAUTHORのLEDライトを購入。12E也、チ~ン。ご当地の珍しい部品や備品を買うのも実に楽しい。
そしてそのうちどこかで買いたいと思っていたのが冬用グローブ。二人揃ってこれまたAUTHORの防水・防風・透湿グローブ(ホントか?)を購入。16.5E+18.5E也、チ~ン。
フィニッシュラインのチェーンルブが置いてあるのが目に入り、(まだ手持ちのがたんまり残っているけど)ついでに購入。「雪でも大丈夫だぞ」というおっちゃんの言葉に釣られてクロカン用の緑キャップの方を買う。6.5E也、チ~ン。
好きなものの買い物ってのは楽しいもんだ。

自転車屋を出るとまた雨・・・。強い降りじゃないので買ったばかりのグローブを装着して走る。せっかくなのでトレンチーンの町をちょっと見てみることにした。
トレンチーンは、遠くから望むと山の中腹に高層ビルの建ち並ぶなんの面白味もなさそうな町に見えるが、旧市街には中世の面影が残っていてなかなかいい雰囲気。
Mierové広場の前の丘に聳えるトレンチーン城はなかなかの迫力。こちらはBeckovの古城と違って見事に修復されている。
旧市街を離れたら雨が強くなり、タイミングよく現れたLiDLで雨宿りがてら食料の買い出し。

買い物中に雨が上がり、気分よく走り始める。
大きな町でありがちなようにルートをロスト。61号と並走する道をしばらく走ってみたが、結局この道もちょっと先で61号と合流。諦めてしばしの間61号を走る。
Nová Dubricaで57号に入ってアウトバーンを渡り、Váh川の右岸に出てようやく507号に復帰。引き続き507号を辿る。

しばらく走っていると、後ろから気合の入ったロッシンのクロモリバイクに乗ったおっちゃんが追いついてきた。
休憩がてら話をすると自転車好きのおっちゃんで、残念ながら言葉がわからないので言っていることはほとんど理解できないが、昔、自転車でオーストリアまで行ったことがあるみたいだ。
「3km先にバーがあるからお茶でも飲もう」みたいなことを言っている。
おっちゃんは見るからに金がなさそうだった。恥ずかしながら自分は最初、おっちゃんが奢ってくれと言っているのかと思った。
ま、お茶やビールを奢るくらいいいや、とおっちゃんについてしばらく走り、Horovceの道路沿いにあるバーへ。先に着いていたおっちゃんが手招きしてバーに通してくれた。
自分らがバーに入ったときには既にお茶を注文して勘定も済ませていた(スロヴァキアのバーは原則先払いである)。おっちゃんはなけなしの金で自分ら二人にお茶を奢ってくれたのだ。
おっちゃんにたかられているのかと思った自分が恥ずかしい・・・。
おっちゃんの好意に甘えてお茶をいただきながらしばしおしゃべり。おっちゃんはしきりに何かを伝えたそうであったのだが、残念ながら言葉がわからない。言葉の壁ってやつは本当に歯がゆい。
「もう一杯飲むかい?」とまで言ってくれたが、さすがに遠慮した。おっちゃんは自分らがまだ先に進むだろうことを察して長居しようとはせず、お茶を飲み終えるとすぐ促されて店を出た。
おっちゃんと写真を撮り、礼を言って別れた。見えなくなるまで後ろで手を振ってくれていたおっちゃん、不覚にも名前を聞くのを忘れてしまった・・・。

これまでいろいろな国でたくさんの人たちの温かいもてなしを受けてきた。
言葉も通じない見知らぬ外国人の旅人、そういう人間をつかまえてお茶を奢ったり家に招いたり、なかなかできることじゃないと思う。自分を含め得てして日本人はそういうことが苦手かもしれない。外国人というだけで引いてしまうかもしれない。でも、そういうことができる国の人たちは素敵だと思う。ぜひとも見習いたいと強く思った。

おっちゃんと別れてからすぐにテン場を探し始める。
そうそう、お茶を飲んだバーで5Lのボトルに水ももらった。スロヴァキアではバーで水をもらうパターンがすっかり定着した。
隣町のLednické Rovneを出てすぐのところ、Váh川の近くにある大きな池の畔に格好のテン場を見つけて幕営した。
山沿いに来てようやく町の感じもよくなってきたように思える。

24IMGP7745_サイズ変更 24トレンチーンの自転車屋_サイズ変更
Beckovの古城                       トレンチーンの自転車屋

24トレンチーン城_サイズ変更 24ロッシンのバイクで追いついてきたおっちゃん_サイズ変更
トレンチーン城                       ロッシンのバイクで追いついてきたおっちゃん

24IMGP7758_サイズ変更 24バーでお茶を奢ってくれた_サイズ変更
おっちゃんに先導されて・・・               バーでお茶をご馳走になった

24不覚にも名前を聞くのを忘れた_サイズ変更 2410/24の野営地 大きな池の畔_サイズ変更
不覚にも名前を聞き忘れた・・・             大きな池の畔

2011/10/25 火
停滞。
夜が明けると毎度おなじみのどんよりした天気。8:00頃から雨が降り出し、その後風も出てきた。さながら秋の嵐といった様相。
昼まで様子を見たが一向に回復の兆しは見えず、停滞することに決定。天気のせいで停滞するのなんて実に久しぶりだ。
ここ最近の様子を見るに、実のところ停滞してもあまり意味はない。停滞というのは翌日以降の好天を期待してするもので、毎日こんな感じの天気だと停滞しても無駄である。
動けそうなら動いた方がいいのであるが、今日ばかりは停滞してよかった。午後から雨、風ともに強まったから・・・。
テントの設営と撤収には、天気によらず同じ時間がかかる。同じ時間をかけるからにはなるべく長い時間行動したいものである。
明日の天気に期待する。

2011/10/26 水
始:9:15 ~ 終:16:30 走行:81km
~ Púchov ~ Nimnica ~ Udicá ~ Šebeštánova ~ Bytča ~ Kotešová ~ Veľké Rovné ~ Turzovka ~ Staškov ~ Raková ~ Čadca ~ Svrčinovec

夜が明けても相変らずどんよりした天気。でも心なしか昨日よりはマシ。曲がりなりにも停滞した甲斐があった。
今朝も7:00頃からおっちゃんが一人釣りに来ていた。テン場の近くに魚の鱗を落とした跡があったけど、それによると池にはかなり大型の魚がいるらしい。

引き続き507号を辿る。
停滞中に食料を食べつくしたので、Púchovで早速買い出し。先の状況も不透明なので夕食の買い出しも早々に済ませた。
Púchovにダムがあって、Váh川はその上流でドナウ川ほどの川幅になる。
道路がきれいでバイクが前に進む。が、相変らず走っていてあまり面白い道ではない。

Bytčaで再度スーパーに寄っている間に雨になった。強い降りではないし、雨雲の下を脱すればやみそうなのでかまわず走る。
Kotešováで541号に入り、ようやく507号とバイバイ。ここから山岳ステージになる。峠の標高は700mほど、標高差は400mほどである。
道のきれいなダラダラした上りで楽勝かと思ったら、最後に12%の上り。キャ~やめて~・・・と言いつつ坂バカの血が騒ぐ。
嬉しいことに早々に買い出しも済ませてフロントのバッグもパンパン、30Tを回しているのが信じられないくらい重い。シッティングで踏んでいると今にも立ちゴケしそうでダンシングに切り替えると、荷物に振られてその名の通りバイクがダンシング。
でも、クライマーとして途中で足を着いたら負け・・・そんなどうでもいい自分だけのルールに縛られて喘ぐ。久々にしごかれてしまった。
結局そんな激坂が3、4km続き、坂を上り切った時には汗ダラダラ。うまい具合に上り切ったところにバス停があり、そこでマユミを待ちつつクールダウン。
ここまであまり寒くなかったスロヴァキアだけど、さすがに700mまで上ると寒い。
しばらくするとマユミが喘ぎながら上がってきた。それでもまだけっこう余裕があるように見えるのは気のせいか?
ドーズのギアは24×28だから30×27のキャノンデールよりかなり軽い。さすがにこういう坂では威力を発揮するように思えてきた。
道路を挟んでバス停の向かいにバーがあり、図々しくもそこで何も飲まずに水だけ5Lもらった。

上りが12%なら反対側の下りも12%の九十九折り。ウォ~バイクが止まらねぇ・・・。
坂を下りきったところでT字路となり、道は487号となった。道が広くなって交通量も増える。途中からテン場を探しながら走ったが、集落は途切れず左側は線路・・・相変らずつけ入る隙がない。
そのまま走り続けると、Čadcaで幹線の11号に出てしまった。最悪。
大型だらけでひたすら不快な11号を5kmほど走るとSvrčinovec。ここでポーランドのZwardońに抜ける道が分岐する。分岐に入って一息つく。
この付近で三国の国境が交わっていて、チェコとの国境まで4km、ポーランドとの国境まで6~7kmほどである。
分岐に入ってすぐ、道路脇の斜面に牧草地が広がっていた。偵察してみると、ラッキーなことに斜面を上がった先に平坦地がある。幕営決定。
川を挟んで反対側の斜面に家が建ち並び、家々の煙突から暖炉の煙が上がっている。ちょっとだけラピュタの中でパズーの住んでいた村を思わせる光景(鉱山町じゃないけど)。

国土が小さく山がちなスロヴァキア。人口は600万人に満たないが、思えば日本と似ている。
テン場探しに苦労させられるのは、集落と集落の間に無人地帯がなくどこにも満遍なく人が住んでいるためである。

25IMGP7772_サイズ変更 2512%の激坂の終了点_サイズ変更
だんだん山っぽくなってくる                激坂の終了点

25IMGP7793_サイズ変更 2510/26の野営地 道路脇の牧草地の丘の上_サイズ変更
はじめて見たポーランドの標示板(なぜか国境の15kmも手前)    眺めのよい牧草地   

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ドナウを渡ってスロヴァキア

2011/10/21 金
始:10:00 ~ 終:17:30 走行:67km
~ Dömös ~ Pilismarot ~ Esztergom ~ 国境 ~ Štúrovo ~ Gbelce ~ Pribetaの先

昨晩の雨は22:00過ぎに上がった。雨まで降ったお陰で朝の冷え込みは弱かった。
早朝は曇っていたが9:00頃になると青空が見え始め、一日よい天気になった。

まずはドナウ川沿いの11号でエステルゴムまで。
昨日と同様に途中で自転車道が現れたり、消滅したり。人気のルートなのか、久々に荷物を満載したバイカーとも二、三人すれ違った。

エステルゴムは落ち着きのある美しい町だった。
ドナウ川に面した高台に建つ大聖堂が見事だ。想像していたよりずっと大きく、要塞のようにドーンと聳えている。
大聖堂の近くに架かるマーリア・ヴァレーリア橋でドナウ川を渡ればスロヴァキアだ。
小ぢんまりしたエステルゴムの町でラストTejfölを食べてハンガリーのお金をきれいに使い切る。
ハンガリーともこれでお別れ。橋を渡っていざスロヴァキア!

橋の上から、そしてスロヴァキア側に渡った先からの大聖堂の眺めが素晴らしい。おそらくスロヴァキア側から眺めた方が迫力がある。
スロヴァキアとの国境には特に何もなくスルー。イミグレや税関の類があった跡すらなかった。
橋を渡った先からNové Zámky方面に向かって走る。すぐにLiDL(大型チェーンのスーパー)があったので、スロヴァキアの通貨と水が飲めるかどうかチェックするため寄ってみる。
スロヴァキアの通貨はユーロに替わっていた。値段表示はスロヴァキア・コルナでもしてあるから、移行したのはそれほど前のことではなかろう。
水は5Lとか10Lのビッグ・ボトルが売っていないから、おそらく井戸水なり水道水が飲める。

スロヴァキアは面積が北海道の3/5ほどしかなく、かつ国土のほとんどは山岳地帯。国土の北半分がカルパチア山脈に連なるタトラ山地となっていて、2,500m級の峰々が林立している。このタトラの岩峰群はさぞ素晴らしいらしく、山ヤの自分らとしては無論そこに興味があるわけであるが、如何せん時季が悪い。10月末にタトラの峰々を越えるのはおそらくかなり厳しく、泣く泣く西から迂回することにした。

さて、自分が中高で地理や歴史を習ったとき、チェコとスロヴァキアはチェコスロヴァキアという一つの連邦国家だった。連邦を解消し分離、独立したのは1993年のこと。自分が学部の4年か大学院の1年のときのことであるが、不思議とリアルタイムのニュースの記憶がまったくない。気付いたときには二つの国になっていた、という感じ。

入国初日の印象では、ハンガリーよりさらに西欧に近くなったように思える。ただし物価はハンガリーよりちょっと安いか?
そして入国初日にしてなんだが、不思議なくらいこれといった特徴がない・・・。
公用語のスロヴァキア語はチェコ語とかなり近い。おそらく方言程度の差しかなかろう。
チェコ語で「こんにちは」は「ドブリー・デン」(スロヴァキア語ではちょっと発音が異なるみたい)。これはウクライナ語とまったく一緒だから面白い。

Štúrovoから509号で北西に向かう。
車はさすがにシュコダが多い。
チェコのシュコダやスペインのセアトといったメーカは日本では馴染みがないが、ヨーロッパや中東、中南米諸国といったところでは少なからぬシェアを占めていて、けっこう目にする。
話が脱線するが、逆にほとんど目にすることがないのがアメ車だ。これらの地ではフォード以外はまず目にしないと言っていい。フォードの場合は欧州フォードであろうから、実質的には欧州車と言って差し支えないと思う。
特に影が薄いのがGMとクライスラー。一歩本国の外に出ると悲しいくらい影が薄い。本国の内と外でこれだけ受け入れられ方に差のあるメーカというのも珍しい。
それでもまだシボレーはメキシコや中米あたりでポツポツ目にしたが、大半はオペルやデーウ、スズキといったメーカのOEM・・・こうなってくると、ブランドとして存在する意味が果たしてあるのか?とさえ思えてくる。
昔から不思議なのだ。飛行機を作らせたらあんなに機能的でカッコイイものを作るのに、どうして車だけこうなっちゃうのかと・・・。
自転車だって欧州車を凌駕するようなものを作れるのに、何故車だけこうなっちゃうのかと・・・。実際アメリカン・ブランドの自転車はヨーロッパでもたくさん走っている。
車だけどうしてグローバルな価値観からズレてしまうのか・・・実に不思議だ。

509号を走っている途中、Gbelceの町で井戸を見つけ水を汲もうとした。キコキコ動かすと水が出るには出たが、茶色く濁っている。しばらく出していればきれいになるかと粘っていたら、近所に住むおっちゃんが家から見えたのか井戸のところにやって来て、「こいつは使えない」と教えてくれた。
自宅の水をくれると言うのでありがたくいただくことに。おっちゃんは、ありがたいことに一緒にリンゴもいっぱいくれた。本当にありがたいことです。

スロヴァキアに入国以来、道路標識を見るたび疑問に思っていることがある。
町の名が必ず二通り書かれている。地図にも同様に町の名が二通り表示されている。
例えば「Gbelce」なら上段に「Gbelce」、下段に「Köbölkút」といった風に。
上段のものはもちろんスロヴァキア語の地名であろうが、果たして下段の地名は何を意味しているのか?謎である。
もしかしてチェコスロバキア時代は地名が違っていたのか?チェコでの呼称を付記しているのか?(この謎は翌日解明した)

509号は、幹線ではないのだが予想以上に大きな道だった。畑の中をズドンと道が通っている。走っていて楽しくないし、横を車が猛スピードで追い越していくから危険。
そして何より困ったのはテン場が見当たらないこと。どこまで行っても道の両側は畑・・・テン場がまったくない。
Pribetaを過ぎてしばらくの、Dvory方面行きの道(511号)が分岐したところで509号に見切りをつけ、511号に入ってみた。511号はしばらく森の中を走っていて、枝道が現れたところでダートの枝道に入り、雑木林の中にようやく幕営。
ハンガリーより北にあるスロヴァキアの方が暖かいのか、このあたりはまだ木々の葉が青々としている。

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いざスロヴァキアへ                     エステルゴムの大聖堂

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小ぢんまりしてて感じのいいエステルゴムの町    スロヴァキア突入

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橋の上から見るエステルゴムの大聖堂         道路の周りはずっと畑

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雑木林の中・・・木々の葉がまだ青々としている

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アジア系遊牧民の末裔たちの国ハンガリー その5 ヴィシェグラードでドナウ川は直角に曲がる 

2011/10/20 木
始:11:30 ~ 終:16:30 走行:35km
Szentendre ~ Leányfau ~ Tahitótfalu ~ Dunabogdány ~ Kisoroszi ~ Visegrád

夜が明けてもどんより曇った天気。お陰で今朝も冷え込みは弱かった。
ロッジはキッチンも使えるので楽チン。天気も冴えないし、快適なロッジに後ろ髪を引かれ思わず腰が重くなる。
まぁでも明日天気がよくなる保証はないし、動けるときは動いておくか・・・。
すっかりお店を開いた荷物をまとめ、ササッとバイクの整備をして出発。

ここのキャンプ場は島全体がキャンプ場といった感じでかなり広い。が、今の時季その広い敷地内にはたいてい誰もいない。日によって掃除のおばちゃんがいたり、冬の間の休業準備をしているおっちゃんなんかがいたりしたのだけれど、今日は見事なまでに誰もいない。昨日宿代を払っておいてよかったわ・・・。
最後にお礼を言ってから発ちたかったのだが仕方ない。誰もいないキャンプ場に礼をして出発。

Visegrádまでドナウ川沿いに走る。時々自転車道が現れたり、また消滅したり。もっとも川と並走する11号もセンテンドレのあたりまで来るとだいぶ交通量が減り、車道を走っていても安心。ブダペストの中心からわずか25kmほどなのにずいぶん極端に車が減るもんだ。
途中、大型トレーラーと乗用車が事故っていて、一方の車線を完全に塞いでいた。いつ見ても事故ってのは嫌だねぇ・・・。

ドナウ川はヴィシェグラードのあたりで直角に向きを変える。スロヴァキアとハンガリーの国境沿いに西から東へ流れてきた川が、このあたりで小さな山々を迂回して南に向きを変える。
このヴィシェグラードのあたりは、静かで落ち着きがあってなかなかよいところ。ドナウ川に沿ってオレンジ色の屋根の家々が点々と並んでいる様は趣があり、ブダペストのドナウとはまた違った魅力がある。(個人的にはこっちの方が好きだなぁ・・・)

ヴィシェグラードには小山の上に要塞があり、そこから屈曲するドナウ川を見下ろせる。要塞のある山頂は315m、250mほどのヒルクライム。ちょっとルートから外れるけど行ってみるべし。
荷物があるとやっぱ重いなぁ・・・。せっかくシャワーを浴びたばかりだというのに大汗をかいて山頂に到着。
Pに大型バスが止まっていて、ちょうど日本からの団体ツアーの人たちが見学を終えて要塞から下りてくるところだった。声をかけられて話をすると、長野から参加されているおばちゃんたちだった。うぅぅん、完全に個人的な思い込みであるが、やはり長野の人はどことなく品があって人当たりが柔らかいなぁ・・・。
肩肘張ったところがなく実に感じのいい人たちだった。「懐かしいでしょ?」と言って柿ピーやら明治のアーモンドチョコやらいろいろいただいた。ありがとうございました。

その方たちと別れて要塞に上る。無料でドナウ川を見下ろせるものと勝手に思い込んでいたのだが、要塞に入るには入場料が必要だった。いや、要塞なんて別にどうでもよかったのだけれど、そこに入らないとドナウ川を見下ろせない。
入場料は1,700Ft・・・二人で3,000Ft。何が問題かと言うと、手持ちが4,000Ftほどしかないから、入場料を払ってしまうと夕飯の買い出しができなくなってしまう。かと言ってせっかくここまで自転車で上ってきてドナウ川を見下ろさずに帰るのも残念すぎる。
学割使えんかなぁ・・・聞いてみたら使えると言うので学生証を出そうとすると、受付にいた女性は必要ないと言って学生証も見ずに学割で入れてくれた。自分らの貧相ななりを見て察してくれたのだと思う。ありがたや~
晴れて要塞に入って見下ろしてみると、その眺めは素晴らしかった。天気は今ひとつ冴えないが、なかなかの絶景!こりゃ見られてよかったわ・・・。

山から下りて麓の井戸で水を5L汲ませてもらい、町のスーパーで食料の買い出し。
要塞からよく見えて目をつけておいたドナウ川右岸の湖、その湖の畔に快適なテン場を見つけて幕営。
今日は朝から雨が降らないのが不思議な天気であったが、18:00過ぎからパラパラと降り始め、その後本格的な雨となった。

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お世話になったキャンプ場                ヴィシェグラードの要塞からの眺め・・・写真だとパッとせんなぁ

20P1110792_サイズ変更 20P1110812_サイズ変更
左に写っている湖の湖畔に幕営した          その湖畔

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Author:nakappie
1970年生まれ。妻と二人信州伊那谷在住。
2009年10月~2013年5月の旅を記録するために”なかっぴー通信”をスタートさせました。
現在は伊那谷にて節約生活をしながら充電中。
2014年4月、ブログのタイトルを”なかっぴー通信NEO”に改めました。
信州伊那谷より~旅のこと、山のこと、自転車のこと、そして田舎暮らしのことなどなど・・・気ままに綴ってゆきます。
”おもしろきこともなき世をおもしろく”そんなふうに生きていけたらいいですね。

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