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ブハラで休養の日々 その1

2012/7/24 火

昼前に外出するとき、ロビーにマネジャーがいたので延泊する旨を伝える。ついでに泥棒が見つかったか聞いてみたが、案の定まだ見つからないという話。
甘い・・・ま、本気で捜す気などないのだろうけどね。客のものに手を出すようなやつを置いといたらためにならないよ。そんなやつは速攻でクビにしないとダメだ。

真夏の今の時季、ブハラは観光のオフシーズン。町中はどこも閑古鳥の鳴いている状態。
バザールの土産物売りなんかも暑くて皆やる気がない。
暑いといってもブハラの暑さは十分許容レベルで、真昼の陽射しの下を普通に歩ける。だいぶ過ごしやすくなったなぁと感じる。
ツーリスティックな雰囲気が多分にある点は否めないが、町自体は落ち着きがあって歩き回るのがけっこう楽しい。
のんびり休養するにはちょうどよい町である。

諸々の事情があって今はウズベキスタン領となっているブハラであるが、歴史的にはタジク系の住民の多い土地である。現在の町の住民も大半がタジク系。
テュルク系モンゴロイドのウズベク人に対して、タジク人はイラン(アーリア人)系で彫りが深い。
長年にわたるタジク人との混血の結果か、ウズベク人は同じモンゴロイドでもトルクメン人などと比べて彫りの深い顔立ちをしているように感じる。
ちなみに、今のウズベク人に直接連なるのは、14世紀頃南シベリアから南下を始め16世紀にティムール帝国を滅ぼした人たち。それほど歴史が古いわけではない。

同じ宿にいるフランス人夫婦のバイカー、ドミニク&マルティネと言葉を交わすことができた。
たぶん五十代前半くらいの感じのいい二人。山と自転車が好きで、自分らと近い価値観を持っていて話をしていてとても楽しい。
肩の力を抜いて旅している姿がとても好印象。今回は18ヶ月の旅ということだった。
彼らはパミールの後その足でカラコルム・ハイウェイを走り、パキスタンからインドへ抜ける計画で旅していた。
一度にカラコルム・ハイウェイも走っちゃうのかぁ・・・自分らが思ってもみなかった壮大な計画にちょっと刺激を受ける。
こんなところで会うバイカーは猛者である場合が多い。彼らにしてもユーラシアはもう何度か走っていて、そっちは前回走ったから今回はこっち、といった風である。
ちなみに、やはりトルクメは全行程を自走してなくて、時間切れによりマリから先はバスで移動したということだった。

奥さんのマルティネの方がおなかの調子を崩していて、夕方、別の宿に泊まっているドイツ人夫婦のバイカー、レオ&カチャが二人を見舞いに来ていた。
ドミニク&マルティネの二人とはどこか途中のルート上で出会ったらしい。
実はこの二人のことは自分らもウズベキスタンの国境で見かけていた。チャイハーナでダウンしているとき国境を越えてきたバイカーがこの二人だった。髭もじゃのレオの風貌がとても目立つから、まず間違いない。
この二人もまた実に感じがよかった。やはり完全に肩の力を抜いて旅している姿がとても好印象。
年の頃はやはり五十代前半くらいだと思う。
バイカーというよりは、今回たまたまバイクで旅してます、といった風な二人で、国境で見かけたときもいやに荷物が少ないなぁと思ったりした。パニールは使ってなくて、荷台にバクパックを豪快に縛りつけてあった。
やはりユーラシアは何度か旅している彼らも、パミールの後はカラコルム・ハイウェイに行く計画。
なんか、こんなことを普通にやっているヨーロッパの人たちってのはやっぱすごいなぁと思わずにおれない。
ちなみに、レオ&カチャの二人もやはりトルクメは全行程自走しているわけではなく、マリから先は列車を使ったということだった。
轍を途切れさせない、なんてことは彼らにとってどうでもいいことで、なんかそんな力の抜けたスタイルにちょっと憧れてしまう。

「タジキスタンのパンジャケントの国境についてなにか情報あるかい?」とレオに聞かれた。
情報もなにも普通に通れるんじゃ・・・
レオの話だと、ここの国境はたびたび閉鎖されるらしい。去年は閉鎖されていて通れず、別の国境に迂回せねばならなかった人たちがいたという話。
レオがドイツ大使館に確認した結果では、今年は今のところ通れる見込み、ということだった。
いやー何も知らなかった・・・。情報ありがとうございます!

レオ&カチャの二人は明日ブハラを発つ。
偶然にもタジキスタンの入国日は(予定では)同じ8/5。またどこかルート上で会うことだろう。
サマルカンドから直接パンジャケントの国境に向かう自分らに対し、ヨーロピアンの彼らは一度タシケントに行ってキルギスや中国のビザを取らねばならない。
ヨーロピアンにとって中国ビザを取るってのがかなりハードルの高いことらしい。会うバイカー会うバイカーが誰も彼も皆、中国ビザのことを心配していた。人によっては端から中国はパスしてロシアに抜ける計画でいる。

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プロフとガルプツィ                    ミル・アラブ・メドレセ

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タキ(丸屋根で覆ったバザール)            どこも閑古鳥が鳴いている・・・

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ドミニク&マルティネ(前)とレオ&カチャ(後)

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ようやく辿り着いたブハラで引き当てたのは・・・泥棒宿かよ!

2012/7/23 月
始:10:45 ~ 終:15:20 走行:28km
~ Bukhara

「明日はラグマンがある」てなことを昨日店のおっちゃんが言っていたのでレストランをのぞいてみたが、さすがに朝はまだなかった。
が、胃腸の調子が悪いのを察して、店の人が玉子とジャガイモのスペシャルメニューを準備してくれた。
美味しくいただいて食休みしてからのんびり出発。まだ体の調子が冴えない。

今日も向かい風の中をたんたんと走る。
途中、休憩のため寄った商店でアイスを買って食べている間に、マユミがサングラスを盗まれた・・・。
毎度のことながら、旅人の物を盗むってのは酷いと思うな。命に関わるとは言わないけれど、この陽射しと砂埃の中、サングラスはけっこう重要な装備だ。ないととても困る。

その先にあったカフェで食事をとる。
残念ながら、ここにもラグマンはなかった。ショルバ(肉と野菜のスープ)があるというので、こいつをいただく。
トルクメ以降、注文する前に値段を確認するようにしている。
が、これがまたうまく伝わらない場合が多い。今回も二人で7,000Usと確認したつもりが、蓋を開けてみたら一人7,000Usだった。
アジア的になったと言うべきなのか、人にものを尋ねたときに「Yes」なのか「No」なのかはっきりしなくなってきた。
それから、トルクメ以降そうなのだけれど、頼みもしないナーンが出てきて別料金てのはやめて欲しい。
このナーンが特に美味しくもないから、出てきた段階でいらないと断るようにしている。

ブハラの手前数キロのところまで来ると、ブハラのシンボルと言うべきカラーン・ミナレットが見えてくる。
その昔、砂漠を旅してくるキャラバンの大切な道しるべであったと言うが、これは確かに遠くからでもよく見えたことだろう。

さて、ブハラの宿であるが、数ドルで泊まれるような安いところがないということは情報として知っていた。
唯一の好材料は、暑い今の時季が観光のオフシーズンで町は閑古鳥が鳴いている状態だろうということ。
旧市街からちょっと離れた方が安いのではないかと、途中で見かけたホテルをまず当たってみる。
が、このホテル、外見とは裏腹にドアを抜けて中に入ってみたらプールがあった・・・一番安いWの部屋が$80也。
安い宿はどこにあるかと聞いてみたら、旧市街だと教えてくれた。
ひとまず旧市街を目指す。

ブハラはこちら側からアプローチすると、新市街を経ずにいきなり旧市街に入れる。驚くほどあっさりしていて走りやすかった。
アルク城の脇で客引きに声をかけられたホテルはWが$50。とても無理。
カラーン・ミナレットの脇を通り、ラビハウズに向かう途中で少年たちに声をかけられる。これまでが嘘のように英語を話す人が増えるから観光地ってのはすごい。
見るからに高かろうといぶかるが、少年たちは「高くないよ」とホテルの人を連れてきた(これまた少年)。
言い値がいきなり朝食付きで$25。ズバリ、ストライクゾーン。
「最低三泊するし、朝食いらないから$20にして」とお願いするとあっさりOK。
中庭に自転車を置かせてもらって部屋を見せてもらうと、本当に$20でいいのかよってくらいの部屋。
もう一度宿代を確認すると、間違いなく二人で一泊$20、一人$10。もちろん即決。

いやーあっさり宿が決まってよかった。きっとブハラには呼ばれていたんだなぁと大満足。
荷物を運び込んで部屋のクーラーを入れ、さっそくシャワーを浴びる。いやー別天地。
後になってもう一組、フランス人のバイカーが宿に入ったのであるが、結局この日は顔を合わさなかった。

新市街にホテルと同系列のレストランがあって安く食べられると少年が言っていた。車でレストランまで無料で送迎してくれるとも。
外に出るのも億劫だったので、試しに今日はそのレストランで食事をすることにした。
宿のマネジャーが直々に車で送ってくれ、案内役に少年がついてきた。
そこはレストランではなく要するにバー。もちろん食事はできる。
メニューがあってそこに表示されている値段は確かに高くはないのだけれど、量がめちゃくちゃ少ない上に、けっこうなサービス料がとられる。
ま、明日からここに来ることはないだろうなって感じのところ。

食事をしに外に出たこの間に事件は起こった・・・。

帰りは旧市街を抜けて二人で歩いて帰ることにした。
途中で買い物してから部屋に戻ってみると・・・
まず、消していったはずのバスルームの明かりがつけっぱなしになっていた。
で、貴重品の入ったバッグを見ると、明らかに位置が変わっている。
自分の貴重品は防水袋に入れてバッグの中に入れてあるのだが、その防水袋がベッドの上に転がっていた。
やられた!と言うか、何とわかりやすい泥棒。
さっそく貴重品のチェック。
パスポートやカード類、カメラなんかは無事だったけれど、10ドル札と20ドル札の束の中から50ドル抜かれてる。かつ、別のところに入れておいた1万円札がない・・・。

こんなのホテルのスタッフの仕業に決まってる。他に誰も部屋になんか入れやしない。
「貴重品は部屋にあるセイフティーボックスに入れろ」とマネジャーがしつこく言っていたが、こういうことか?
盗まれた金は戻ってこないだろうが、言ってやらにゃ気が済まん。
すぐに階下に降りて、フロントの兄ちゃんに「金が盗まれたからポリスかマネジャーに電話しろ」と迫る。
慌てる素振りもなく電話をする兄ちゃん。ひょっとして全員グルか?
どうやらマネジャーのところに電話したらしい。
電話を代わって「部屋で金が盗まれた。ホテルのスタッフの仕業に違いない」と怒りをぶちまける。
いくら盗まれたのかと聞かれたから、「日本円の1万円と50ドルだ」と答える。

マネジャーの対応がおかしい。
セイフティーボックスを使っていたのかとだけ聞かれたけど、本当に盗まれたのかどうかもろくに確認しないまま盗まれた金は返すと言う。
は?やっぱ全員グルなのか?
「明日の朝・・・」とか言っているから、「明日じゃねぇ、今持って来い」と電話で怒鳴る。
「自分は今行けないが、別の人間が15分後に金を届ける」と言う。
は?本当かよ?
ロビーのソファーに憮然と座って誰かがやって来るのを待つ。
いけね、慌てていて1万円が約100ドルとかって言っちゃったけど、1ドルが80円を切っている今、1万円は125ドルくらいになるはずだ・・・。

待つこと15分。本当に若いのが一人、150ドルを持って現れた。
すぐに札を確認するが、たぶん偽札ではない。
「金は問題なく届いたか?」と再度マネジャーと電話がつながる。
「いや、実は25ドル足りなかった。今のレートは1ドル80円を切っているから、1万円てのは125ドルだ」と返すと、
「じゃあそれは明日の朝・・・」とか言っているから、「ダメだ、今持って来い」と怒鳴る。
すると、「ドルの手持ちがないからスム払いでいいか」ときた。
「もちろんOK。ただし$1=2,800Usのレートでね」
先ほど金を持ってきた兄ちゃんがどこかに走る。で、70,000Usを持って戻ってきた。

信じられないことに、金は耳をそろえて返ってきた。が、どうも腑に落ちぬ。
なんだこの手際のよさは・・・。
フロントの兄ちゃんはまったく慌てる素振りもないし、マネジャーはマネジャーでなんでろくに確認もせずに金を返すんだよ!
やはり全員グルか?
どう考えたってフロントのやつが怪しい。本人が直接盗んでないにしても、誰が盗んだのか知っているはずだ。
あーーー腑に落ちねぇ・・・。
だいたい一言も謝りもしないのが気に食わねぇ。

後になってマネジャーが部屋に謝りに来た。
70km離れたところから車を飛ばしてきたらしい。
聞くところによると、数年間アメリカで働いていた彼。ウズベキスタンに戻ってばあちゃんの家のあった場所でこのホテルを始めたらしい。オープンしてまだ6ヶ月。変な噂が立つのを極度に恐れていた。
何も調べずに金を返してきたのはそのためか。
今晩の宿代もタダでいいと言う。
「泥棒騒ぎは今回が初めてじゃないだろ?」といぶかると、「オープン以来今回が初めてだ」と言い張る。ふ~ん・・・ま、一応信用しよう。
「部屋のセイフティーボックスは本当に安全なのか?誰かが開けられるんじゃないのか?」といぶかると、「鍵は自分が管理しているから安全だ」と言い張る。ふ~ん・・・ま、これも一応信用しよう。
明朝、スタッフを集めて犯人を捜すこと、ゆくゆくは防犯カメラを設置することを約束して彼は帰っていった。

ついさっきまで明日宿を移ろうとマユミと話していた。
が、おそらくブハラにここと同等の安い宿なんてない。
マネジャーはきちんと謝りに来たし、どうやら彼は信用できそう。騒ぎになった部屋にもう一度泥棒に入る間抜けもいまい。
ここに連泊でいいか・・・ということにした。
そんな自分らもどうかと思うけど・・・ない袖は振れないのだから仕方ない。
ちなみに、宿はHOTEL OROM。タキ・ザルガランの目の前。泥棒さえいなけりゃ快適な宿である。ご利用の際はご用心。

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お世話になったレストラン                ロバ大活躍

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そこまで暑くないだろ・・・

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ラグマンを探して三千里

2012/7/22 日
始:9:05 ~ 終:18:45 走行:44km
~ Karakol ~ Bukhara手前25kmほど

ブハラまで残り70km。通常なら余裕のはずが、衰弱していて今日も辿り着かず・・・。
ちなみに、ウズベキスタンでは原則として滞在するすべての町で滞在登録(レギストラーツィヤ、略してレギ)が必要となっているが、雰囲気的にそんなのなくても問題ないんじゃないか、と勝手に思い込んでいる。たぶんそんなのチェックされるのはタシケントくらいなものだろう。
参考までに、トルクメニスタンはトランジット・ビザで入国した場合、レギは不要である。

テントを撤収し、昨日もらったスイカを半分食べて9:00過ぎに出発。スイカの半分は(たぶんスイカなんていくらでもあっていらないだろうが)GSの人に強引にもらってもらった。
自転車に乗っている人がたくさんいて、ロバ車がたくさん走っていて、久々に自転車に乗っていて楽しいのであるが、相変らず体が重い。
ラグマンを求めて最初に入ったカラコルの町。
でも、この町にはラグマンがなかった・・・。
人に聞き聞きカフェやレストランに何軒か寄ってみたのだけれど、どこにもない。あるのはキャバーブやサムサのみ。どうにも触手が動かない。
商店でアイスを食べ、カフェでコーラとサムサを一口食べてカラコルの町を後にする。

カラコルの商店でおっちゃんに両替えしてもらったのだけれど、ここのレートも$1=2,700Us。
ちなみにウズベキスタンのスム、最高額の紙幣が1,000Us。これって日本円にしてたったの28円くらい。よって$20両替えするだけでけっこうな札束になる。
物価はまぁ比較的安いのだけれど、一度食事をすると飲み物込みで二人で10,000Usは下らないから、その度に十枚以上の紙幣を払わねばならない。
毎回数えるのも面倒くさい・・・もっと考えましょうよ!せめて10,000Us、最低でも5,000Usの紙幣は必要だと思うけど・・・。

12:00過ぎ、20km地点でまたもキャノンデールの前輪がパンク。
どうもここのところパンクに呪われている。
例によって今回もまた、原因はバーストしたタイヤの残骸の細いワイヤ。これがまた天晴れなほど見事にタイヤに刺さっていやがる。

そこからちょっと先のところでカフェを発見。
すかさず寄ってみるが、ここにもラグマンはなかった。
ちょうどおっちゃん二人が食事中で、食べていた羊肉の煮込みやウォッカを勧めてくれたが、とても無理っす。胃の調子が悪いとゼスチャーして遠慮させてもらった。
この店で飲んだコーラのお代は、そのおっちゃん二人が払ってくれた。ありがとう!
で、15km先にラグマンの食べられるカフェがあると教えてくれたので、そのカフェを目指す。
日曜だからか閉まってました、そのカフェ・・・。
隣の開いていたカフェも、食べられるのはキャバーブだけ。
はぁ・・・いったいどこまで行けばラグマンに出会えるのだろう。

ウズベキもキンキンに冷えた飲み物ってのにはまずお目にかかれないのだけれど、途中道端で女の子の売っていたサトウキビジュース?のようなやつは冷えていて旨かった。
で、40km過ぎのところにあったカフェ。ラグマンはなかったのだけれど、鶏のキャバーブがあるというので諦めて食べていくことにした。
体調もかなり回復し、鶏のキャバーブなら食べられるようになっていた。
そのカフェに着いたのが15:45。ブハラまで残り30kmほど。
明るいうちに十分ブハラに辿り着けるところだけれど、今日はこのあたりで切ることにした。
3時間近くカフェの木陰で休憩。

そのカフェも幕営するには今ひとつ不快。
テン場を求めてもう少し走る。と、1kmほど走ったところにレストランがあった。裏手が低木の茂る緑地帯となっていて幕営するのに最適。
レストランの兄ちゃんにお願いしてそこにテントを張らせてもらった。久々に会心のテン場。
そのレストランでもやはりラグマンは食べられなかったのだけれど、中央アジア版の雑炊と言うべきマスタヴァが食べられた。
ラグマン同様、これも弱った胃腸に最適。ちょっとピリ辛で旨かった。
ウズベキスタンの料理はどれも量が少ない。胃腸の弱った今ならちょうどいいが、元気なときならとても一品だけでは腹が満たされまい。

結局、今日は愛しのラグマンに出会えなかった・・・。
ブハラに行けば食えるのかな???

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泊めてもらったGS                     今日もロバ車がたくさん

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                               カラコルにはラグマンがなかった・・・

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前輪パンク                        冷えていて旨かった!

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調子悪くてウォッカも羊の煮込みも無理っす     レストランの裏手に幕営させてもらった

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そしてラグマンに救われる

2012/7/21 土
始:17:00 ~ 終:20:40 走行:25km
~ Alat

ラグマンというのは中央アジア版のうどんのことである。

明るくなってからもしばらく寝ていた。目の前のトラックの列がさらに延びている。
8:00過ぎになると暑くて寝ていられなくなって起き出してみるものの、もう疲労がピーク。立っていることすらできない。
ブハラまで97kmと標識にある。通常なら一日で走れる距離であるが、今の自分らにはとても無理。
チャイハーナでしばらく休ませてもらうことに。
が、一見親切そうに見えたチャイハーナの兄ちゃんが、愚にもつかぬウ○コ野郎だった・・・。

ウズベキのお金がないので、ひとまず外にいたおっちゃんに$20だけ両替えしてもらう。レートは$1=2,700Us(スム)。
チャイハーナの兄ちゃんに何か食べられるか聞いてみると、ここでも玉子とソーセージなら食べられると言う。ラグマンはないのか、ラグマンは・・・。
とりあえず目玉焼き三個とソーセージ三本、それからコーラで腹を満たす。

体調は最悪で、吐き気はないがとても動けそうにない。
しばらくチャイハーナで休んでいくことにした。
昼近くになってマットが越境してきた。その後自転車のカップルが一組。チャイハーナの窓から眺めるのみで、もはや彼らに声をかける元気すらない。
昼頃から風が強くなった。ほとんど暴風、外は砂嵐状態。ますます動く気が失せる。

15:00頃、近くのレストランへ歩いて食事に出かけた。
待望のラグマンがあった!
初めて食べたラグマンはあっさりしていて旨かった。これなら食べられる。どうしてこういうあっさりした食べものがもっとないのだろう・・・。
ここのレストランのおっちゃんはとても親切で、今のレートなんかも教えてくれた。$1=2,830Usくらいが今のレートであるらしい。
レートがよくないから国境では両替えしない方がいいぞと教えてくれたが、先ほどのレートはそれほど悪くなかった。
値段も良心的で、払う段になって違う値段を言ってきたりしない明瞭会計の素敵な店だった。

一転。休ませてもらったチャイハーナは酷かったなぁ・・・。
戻って清算しようとしたら、とんでもない額を吹っかけてくる。
目玉焼き三個=4,000Us、同じくソーセージ三本=4,000Us、1.5Lのコーラが8,000Us・・・アホか。
そこのレストランで同じコーラが4,500Us、ラグマン一杯が4,000Usだよ。こちらも完全にキレる・・・。
どう高く見積もっても全部で8,000Usだろ!8,000Usだけ叩きつけて去ろうとするが、もっと払えとうるせぇ。
兄ちゃんと怒鳴り合い、というかこちらが一方的に怒鳴り散らしていると、助っ人のおっさんが一人やってきやがった。
今度は二人に向かって怒鳴り散らす。
何が幾らかもう一度紙に書かせてみると、コーラが6,000Usと書きやがる。なにさっきより安くしてんだよ!それでも高けーよ!
さらに、、、休憩に使った部屋代が一人50,000Us・・・とか書いていやがる。
こ・の・ヤ・ロ・ウ・・・そんなのどこだってタダだよ。今までそんな金取られたことねーわ!
完全に頭に血が上った。もう少しで手が出そうだった。
グッと堪えて二人に怒鳴り散らす。全部で10,000Usだ!これで文句ねぇだろ!
10,000Usだけ叩きつけて店の外に出る。尚も払えとすがりつく二人を振り払い、自転車を押してチャイハーナの前にたむろするタクシーの運ちゃんらの所へ。
運ちゃんらに話を聞いてもらう。「このコーラって幾らするの?」
「4,500Usくらいじゃねーか」と運ちゃんら。
「この店8,000Usも取ろうとするんだぜ」
「そりゃ酷いな」

しばらくしてチャイハーナのウ○コ野郎と助っ人オヤジが外に出てきた。
金を払えとかそんな話はもう一切なし。何事もなかったかのようにしてやがる。
怒りが収まらず、そんな二人に向かって「お前ら一度死んでこい」と怒鳴り散らす。

外はものすごい風でほとんど砂嵐。
とても自転車でなど走れそうになく、ちょっと前まで先ほどのレストランに頼んで泊めてもらおうと考えていたのだが、怒りに身を任せてこのまま走ることにした。
「車に乗っていった方がいいぞ」と言ってくれるタクシーの運ちゃんらに丁寧に礼をし、その隣にいた助っ人オヤジにはもう一度「お前は死んでこい」と怒鳴り散らしてその場を後にする。
トラックの列に水を売ろうとしていたウ○コ野郎にも、自転車で前を通りざま「一度死んでこい」と指を突き立てて大声で怒鳴ってやった。
あー怒りが収まらん。
ウズベキの人たちは総じていい人たちなのに、こんな奴らのためにイメージが悪くなる。

走り出したはいいものの、ものすごい風。
ウ○コ野郎への怒りを糧に前に進む。

ウズベキに入ってがぜんアジアっぽくなった。
人々が明るく、人懐っこくなった。道行く人たちと挨拶を交わすのが心地いい。
自転車に乗っている人がたくさんいて、ロバ車もたくさん見かける。ロバに乗っている人もいるのだが、正直言って大人が乗っている姿はちょっと滑稽だ。サイズ的に子供が乗っているのがちょうどよい。
トルクメを走っていたトヨタの中型車はパタッと姿を消し、ほとんどがデーウ(もしくはそのOEMのシボレー)の小型車になった。
トルクメのようなちぐはぐさがなく、ごく自然に見える。
道はトルクメよりがぜんきれいである。

19:40にアラットの町に入った。
道路脇に見つけたカフェに寄る。ここにもラグマンがあった!
野菜の具沢山でこれまた美味!
トルクメに続いてウズベキも、水事情、トイレ事情ともよくない。カフェに寄ってもそこにはトイレがない。でもまぁトルクメよりはマシか・・・。
ちなみに、ウズベキもラマザンとはまったく無縁のようである。

カフェの周りには快適にテントが張れそうなスペースがなかったので、どこか近くにテン場がないか店の人に聞いてみる。
親切に紙に住所まで書いて教えてくれたのだが、既に薄暗くなっていた今、どうにも辿り着けそうにない。
先に目をつけておいた、ちょっと戻ったところにあった閉まっているGSに張らせてもらうことにした。

GSまで戻ってゲートから自転車を中に入れようとしていると、自転車に乗った少年二人に声をかけられた。
「こんなとこよりうちに来て泊まっていきなよ。ご飯もあるよ」
そんなことを身振り手振りを交え少年二人は言ってくれていた。
ありがたい。ありがたいけど暗くなっちゃったし、今から彼らの家へ行くのも面倒くさい。
「ありがとう。でも今晩はここで寝るよ」
そう伝えると、少年二人は手を振って帰っていった。

中でテントを立てていると、先ほどの少年二人が戻ってきた。
大きなスイカを抱えてきて、自分らに差し出す。
ありがとう。
優しい少年二人に心を洗われた気がした。国境のカフェにいたウ○コ野郎は特殊な例で、基本的にウズベクの人たちは優しく感じがいい。

さらにしばらくすると、おっちゃんが一人やって来た。
どうやらGSの人らしい。てっきり潰れたGSかと思っていたのだが、一部営業しているらしい。
駆け寄ってテントを張らせてくれとお願いする(既に張ってしまったけれど・・・)。
もちろん何の問題もなく、お墨付きをもらってこれで安心して眠れる。
不思議とここには蚊がいなかった。が、やはり暑くてよく眠れず。

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朝の国境                         写真じゃわからないけど暴風の中出発

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ラグマンに救われる                   スイカをくれた少年

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GSに幕営させてもらった(翌朝撮影)

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ここは地獄の一丁目・・・真夏のガラグム砂漠で死亡遊戯

なんにもない、なんにもない、まったくなんにもない。
なんにもない大地にただ風が吹いてた~

トルクメニスタンは国土の70%がガラグム砂漠である。
かつてこの地にスキタイ系の遊牧民がパルティア帝国(アルサケス朝)を興し、現在のアシュガバット近郊のニサに都を置いた。その頃は今よりずっと緑が濃かったはずである。
が、今はブッシュの茂る砂漠のみが広がり、他にはなんにもない。
なんにもないというのは人工物はもちろん、山や川、森といった自然の創りだす恵みがなんにもない。

真夏の砂漠は気温50℃(もちろん日陰で計測してですよ)。陽射しの下などとんでもないことになっていて、車のボンネットで目玉焼きが1~2分で焼ける世界。
こんなところに人間が住めるはずがなく、実際、国の大動脈となる幹線沿いにもごく一部の都市を除いて人は住んでいない。

すぐに体温が上がって熱中症になるのだけれど、日陰がまったく存在しないから体温を下げる術がない。ホント、死ぬかと思った。これまでの人生においてここまで辛かったことはない。
目に入る人工物は道路と電線だけ。水を補給できる場所も極めて限られる。そもそもこの国には石油はあっても水がない。
補給した水はすぐに熱湯になる。これがまたぬるま湯ってもんじゃなくて、完全に熱湯と言っていいレベル。
体は冷たい水を欲している。熱湯では喉の渇きがまったく癒されない。そもそも灼熱の下では体が熱湯を受け付けなくなるってことを今回はじめて知った。

そして灼熱以上に行く手を阻んでくれたのが、風。ものすごい風。何故かほとんどの区間が向かい風。テヘランを出て以降ずっと、向かい風にはやられっぱなし。
飛んでくる砂埃がこれまた不快。
さらに旧ソ連邦の国々に共通の道の悪さ。こんなのオイルマネーでなんとかしてくれよ~

極めつけは五日間という期限を切られていること。イラン国境からウズベキスタン国境まで520km。ミスコースは許されない。
だのに、、、この国には道路標識というものが一切ない。もうホント、道路標識っていう発想がないんじゃないかと思うくらい見事にない。
常に自分がどこを走っているのかよくわからない状態。違うところを走ってるんじゃないかと不安になって人に尋ねることしきり。

大使館や領事館に何度も足を運び、何日も待たされた上に$55ものビザ代を払ってようやく取得できる五日間のトランジットビザ。
そんなビザを苦労して取って、わざわざ更なる苦労をしようって言うのだから、バイカーの人たちってのは物好きである。

灼熱と強風と砂埃、そしてガッタガタの道の四重苦。
以下、五日間の死亡遊戯の記録です。

2012/7/16 月
始:7:20 ~ 終:21:00 走行:81km
~ 国境 ~ Mary方面への分岐15kmほど手前

国境の開く7:30を目指してモルテザのところを後にする。国境まで1kmほど。
既に国境は開いていて、アスタラのときのように人でごった返していることもなかった。
すぐにイミグレの窓口に行ってみるが、税関が先という話。が、税関の職員が誰もいない。
30分ほど待ってみるが一向に来る気配なし。
業を煮やしてイミグレの係官に電話で呼び出してもらう。だったら最初から電話してくれよ~もう国境が開いてる時間なんだからさ・・・。
おばちゃんがのんびりやって来た。頼むぜ、おばちゃん!こっちはもう五日間のカウントダウンが始まってるんだから。
税関のチェックをササッと済ませ、出国スタンプをもらってイランとバイバイ。
要した時間は一時間ほど。入国のときに比べりゃ天地の差だ。

国境の橋を渡った後、緩衝地帯が2kmほど。
トルクメニスタン側の国境は小屋が建っているだけの簡単なつくり。ポリスが管理していたイラン側と違って、こちらは完全に軍の管轄といった風。
どんだけ腐っているのかと思っていたトルクメのイミグレだが、意外にも職員達は皆親切だった。
入国税の$12を払ってスタンプをもらい、続いて税関のチェック。親切にも英文フォーマットの申請書を出してきてくれた。同じものを二枚作成。
念のため外貨の申告は出国時につじつまの合うよう慎重に。
X線の検査機があるのだけれど、通すのはフロント側のバッグだけで勘弁してくれた。ありがたい。
で、そのフロントバッグを画面でけっこう慎重にチェックしていたけれど、ずっと巨大なリア側の荷物は通さないのだから実はあまり意味がない。
こちらも一時間ほどでパス。

トルクメに入った途端、道が悪くなる。いきなりダートかよ・・・。
国境からまっすぐ伸びる道を辿っていたら、トルクメ側のサラクスの町は迂回してしまった風。いきなり不安になって車を止めてマリはこっちでいいのか聞いてみたが、どうやら道は合っている。
両替えができなかったがまぁいいか。どっちにしてもお金を使えるところがこの先ずーっとなかったのだから、トルクメのお金を持っていたところで意味はなかった・・・。

道は悪くなったけれど、逆に車はグッとよくなる。驚いたことに、走っているのは90%以上がトヨタの中型車である。それもどこかから流れてきた中古車ではなく、ほとんどが新車っぽい。
どうしてこの国の人たちがこんないい車に乗れるのか不思議な気分。
新車のトヨタを運んでいるのは、イランのキャリアカー。自国ではまず走っていないような高級車を、どうしてより遅れている隣の国に運んでいるのか、運ちゃんたちも腑に落ちないのではあるまいか。

それにしても・・・いきなりなにもないなぁ・・・人がいないなぁ・・・。
向かい風がキツイなぁ・・・。
道路標識ってものがまったくないなぁ・・・ホントにこの道で合ってるのかなぁ・・・。(ちなみに、この日一日走って結局見たのは「ラクダ飛び出し注意」の標識一枚のみ)
イランはよかったなぁ・・・。

店はおろか水を補給できそうなところが一向にない。水に不自由する国ってのは旅するのがキツイ。悪いがこんな国に住むのは御免だなぁ・・・。
水が豊富だったトルコやイランはよかったと心底思う。

40kmほど走ったところだろうか、ようやく道路脇に鉄道駅があった。念願の日陰に避難。
駅舎は建築中のようで、作業員のおっちゃんらが何人かいた。
水があるか聞いてみたら、おっちゃんの一人がどこかからバケツに汲んできてくれた。水を5L補給させてもらう。
強烈に眠くなり、駅舎の中でイスに座って暫しウトウト。
一段と風が強くなり、外ではゴーゴーと砂が舞っている。そして強烈な陽射し。駅舎の外に出たくなくなる。

しばらく待ってみたものの風はやみそうになく、「しようがねぇ行くか」と腰を上げてみたら、駅舎の隅でおっちゃんらがナーンとチャイを食べていた。手招きされて一緒によばれる。
はぁ・・・なんか熱いチャイがありがたい。
チャイはトルコやイランなんかで飲んでいる所謂紅茶ではなく、日本のほうじ茶のようなものに変わった。砂糖も入れないし、グラスではなく陶器の茶碗で飲む。
人々の顔立ちがイランから一変する。トルコ人やイラン人の濃い顔からモンドロイドの薄い顔へ。
顔立ちはすっかりアジアになったが、実のところトルクメニスタンという国にアジアの雰囲気はほとんどない。雑踏というものがまったくないし、何と言うか人々に陽気さや人懐っこさといったものが感じられない。あくまで旧ソ連邦の国、旧共産圏の国といった雰囲気。

駅から先にも相変らずなんにもない。
嫌になるほどまっすぐ道が続いている。景色は何も変わらない。救いとなるものがまるでない。ひたすら灼熱と風との格闘。
18:00頃になると陽射しも幾分弱くなる。日陰がないので日向で休む。

逆方向からモーターバイクでやって来たおっちゃんに声をかけられる。どうやらうちに泊まっていけと言ってくれている。
”ちょっと”戻ったところにおっちゃんの家はあるらしい。が、ここまでしばらく家などなかった。たぶんおっちゃんの家は遥か彼方。
向かい風と格闘してようやく走ってきた距離を戻る気にはならないし、そんな体力も残ってない。
ありがたいけど行けない、そう身振り手振りでおっちゃんに答えるのだけれど、おっちゃんはしつこかった。「家に来い」「家に来い」と延々と言い続ける。
仕方なく最後は無視を決め込んでようやく諦めてくれた。スマン、おっちゃん。ありがたいけどトルクメでそんなことをしている余裕はない。
おっちゃんは地平線の彼方へ消えていった・・・ついていかなくてよかったわ。

カラクム運河の一部と思しきものを渡ってしばらく走った先に、カフェと商店のかたまる一画があった。
助かった・・・。
カフェに駆け込んで米ドルが両替えできるか聞いてみる。「できる」と言う。
助かった・・・。
ひとまずコーラとアイスを買って店の外にへたり込む。
周りに群がってくるおっちゃんらに現在地を確認する。地図上で現在地を正確に示せる人など誰もいないわけであるが、どうやらマリ方面へ道が分岐するその分岐のところにいるらしい。このちょっと先に分岐があるということか・・・ひとまず安心。

トルクメニスタンの通貨はトルクメン・マナト(Tm)。2009年にデノミが実施され、わかりにくいことに旧5,000Tmが新通貨の1Tmとなった。
トルクメン人の頭の中では2012年の今も旧通貨で計算していて、電卓を叩くと必ずおかしな数値を提示する。非常にわかりにくい。
ちなみに、トルクメでは数年前まで闇両替えが半ば公然と存在していたが、デノミとともに払拭された。今は公定レートも実勢レートもなく、$1=2.8Tmというのが両替えレートとなっていて、たいていのカフェや商店で両替えしてくれる。

残念ながら、感じのいいこのカフェでは食事ができなかった。
ふと見ると、隣の店でキャバーブを焼いている。一見感じのよさそうだったおばちゃんに鶏のキャバーブが幾らか聞いてみると、一人$2だと言う。
それならと、ここで食べていくことにした。
焼き上がるのを待っている間に暗くなった。と、蚊がすごい・・・。暑さの上に蚊の大群の波状攻撃。ものすごく不快。
ようやく出てきたキャバーブは何故か焼き立てじゃなかった。焼き上がるのを待ってたんじゃねーのかよ・・・。
しかもマズイ。ナーンもマズイ。
イランはよかったなぁと改めて思う。

で、会計の段になって問題発生。店の兄ちゃんは21Tmだと言い張る。
話が違うじゃねぇかよ~
何が幾らなのか電卓を叩かせる。
頼んでもないナーンが別料金らしい・・・アホか。しかもご丁寧にソース代まで別で取ろうとしている・・・お前らいい加減にしろよ。しかもそんなソース、口つけてねーよ。
話にならないと最初に値段を聞いたおばちゃんを呼ぶ。
ババア、豹変。「違うわよ、21Tmじゃないわよ、42Tmよ」
さすがにこちらもキレる。バカか、お前ら。こんなクソマズイ料理に42Tmも払う人間がどこにいる。
それでも高いと思ったけど、最初の言い値の21Tmだけ叩きつけて店を後にする。あー胸くそ悪い。
本気で追ってきたりしないのだからボろうとしていたのは明白。トルクメのイメージがますます悪くなる。
人がこれじゃいいとこないんじゃないのか、この国・・・。

すっかり暗くなってしまい、そこから数百メートル先のGSに頼んでテントを張らせてもらった。
荷物を降ろしてテントを張っている最中も蚊に襲われる。ものすごく不快。
テントの中に大量に入り込んだ蚊をベープで殲滅してから眠りについた。
意外にも夜はそれほど暑くなく、ぐっすり眠れた。

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トルクメニスタン入国                   いきなりなんにもない

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                               この日見た唯一の標識

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本当にラクダがいた

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駅でナーンとチャイをご馳走になる           このババアがその後豹変した

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GSの脇にテントを張らせてもらった(翌朝撮影)

2012/7/17 火
始:6:30 ~ 終:20:00 走行:127km
~ Khaouz Khan ~ Mary手前10kmほど

朝はまだそれほど暑くないのだが、朝から強烈な向かい風。
昨日の店までちょっと戻って水を買う。逆方向に走ってみるとものすごく楽。

分岐まで2~3kmかと思っていたのだが、走れども走れども着かない。一向に分岐がありそうな気配がない。
14~15kmほど走ったところで道端にいたおっちゃんらに聞いてみると、2km先に分岐があるという。それはどうやらショートカットの分岐で、地図にある分岐はさらにその先らしい。
おっちゃんらがチャイをご馳走してくれた。

走っている車はやはり90%以上がトヨタの中型車。レクサスもけっこう走っているから驚きだ。
カムリが一番多いように思うのだが、これがまたどう見ても北米仕様のカムリ。おっちゃんらにどこから車が入ってくるのか身振り手振りで聞いてみると、カナダ→ドバイ→トルクメニスタンという経路で入ってくるらしい。
それにしてもこの悪路・・・インフラが何一つ整備されていないこんなところでトヨタの高級車を走らせるのは分不相応、言っちゃ悪いが豚に真珠だ。

そこから2km走ると本当に分岐があった。走ってきた道と比べるとかなり狭く、この道で本当にマリへ行けるのか不安。三人に聞いてようやく確信を持つことができ、その道に入る。
その道は酷い悪路であったが、風が左からの横風になったのが何よりありがたい。あのままあと数km向かい風の中を走って地図にある分岐に出るよりショートカットにもなっているはず。
さらに道が悪くなったところでやはり不安になり、対向車を止めて道を確認。もう少し走ると本来の道に合流するらしい。
その場で少し休憩していると、その車がバックで戻ってきた。トランクを開けると、中はブドウの山。二人では食べきれないくらいのブドウをくれた。ありがたい。

そこからちょっと走ると、前方に大型トレーラーの走る道が見えてきた。分岐から15kmほどで無事本来の道に合流。
風は斜め後ろからの追い風となった。追い風のなんとありがたいことか。
道が極めて悪い・・・。

73km地点にSA風のところがあって、トルコのトラックがたくさん止まっていた。
すぐに駆け込む。自転車を日陰に置き、トルコ人の運ちゃんに促されて食事のできそうな建屋へ。これがまた看板も何もないから何の店なのか、はたまた開いているのかどうかもわからない。
相変らず食べられるのはキャバーブだけ。奥のエアコンの効いた部屋で運ちゃんらと一緒にキャバーブを食べ、コーラをがぶ飲み。
トルコの運ちゃんを相手にやっているような店だから、この店も高かった。マナトの手持ちがないからここでも両替えしたのだけれど、レートは同じく$1=2.8Tm。
水も高い。通常1.5Lの水が1Tmで買えるはずなのだが、この店では2Tm。それでも買わざるを得ないのが辛いところ。

その先も相変らず道が悪い。砂埃の中、我慢の走行。
日陰がなく、のんびり休憩できる場所がまったくないというのも辛いところ。
果たしてあと何kmでマリに着くのか・・・まったくわからない。
途中、わざわざ道路脇に止まってくれた車に声をかけられた。おっちゃんが特大のスイカをくれようとしたのだけれど、とても自転車で運べる代物ではなかった。
車で走り去ろうとするおっちゃんのところに駆け寄ってスイカを返した。ありがとうございます。気持ちだけいただきます。

一日の終わりにキンキンに冷えたコーラが飲みたい。それだけが望み。
マリまであと10kmほどであろうか。車も増えたし、町が近い雰囲気がしてきた。暗くなる前にギリギリ町に着きそう。
と、道路脇に格好のテン場が目に入った。誰かが管理していると思われる、木の茂った緑地帯。
マリまで行って快適なテン場が得られる保証はない。冷えたコーラは諦めて幕営することに決定。

道路から下りてテン場を選定していると、おっちゃんが一人歩いてこちらへやって来た。
奥に建築中の家があり、誰もいないだろうと思ったのだけれど、どうやら人がいたらしい。
おっちゃんのところに歩み寄ってテントを張らせてくれとお願いする。
問題なし。小屋の方で水も取れるらしい。
おっちゃんについて小屋の方へ。どうやらおっちゃんが一人で住んでいるらしい。犬が二匹いる。
貯水槽の水を5L分けてもらう。
チャイを飲んでけと言うので言葉に甘える。その場で豪快に火を起こし、ポットを火にかける。
さらに目の前の畑?からおっちゃんがスイカを収穫してきた。おっちゃんのライフスタイルはかなりワイルド。
暗くなりそうなので、お湯を沸かしている間にいったんテントを張りに戻る。

幕営後におっちゃんのところに戻ってみると、別のおっちゃんがもう一人いた。
スイカとチャイをご馳走になる。
ここも蚊がすごい。とてもこんなところに座っていられない、といった感じ。
が、おっちゃん二人はなんともない様子。刺されないのか、刺されても平気なのか・・・時々パチンと軽く腕を叩いたりしている程度。
こちらはとても無理。羽音を聞いているだけで痒くなる。
おっちゃんらに礼を言って早々においとまする。

テントに入って入口を閉め、いつもの手順でテント内の蚊を殲滅してから眠りにつく。
この日も夜は暑くなく、明け方などちょっと肌寒いくらいだった。

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チャイをご馳走になったおっちゃんら          分岐に入ると横風になった

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食べきれないほどのブドウをくれた夫婦

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今日もなんにもない                   テントを張った場所に住んでいたおっちゃん

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かなりワイルドなライフスタイル             久々に会心のテン場

2012/7/18 水
始:6:55 ~ 終:20:15 走行:103km
~ Mary ~ Bayram Ali ~ Zakhmet ~ Ravnina手前10kmほど

朝は暑くなかった。
この二日間で距離的には±0。今日は貯金をしたいところであったが・・・。

朝から激しい空腹と喉の渇き。お湯をいくら飲んでも喉の渇きは癒えない。
何はともあれマリの町を目指す。
結局マリまで12kmほどあった。
町に入ってすぐに見つけた商店でさっそくコーラを飲み、アイスとラスクでとりあえずの腹ごしらえ。
物の値段を足すだけのはずが、相変らず店の兄ちゃんは電卓でなにやら複雑な計算をしている。物の値段が完全に旧マナトでインプットされているのだ。新マナトの値段に設定しなおせば楽だろうに・・・。

マリはマリ州の州都で、トルクメでも有数の大きな町。
町の中心部に入ると、これまでが嘘のように整然としている。道路もこれまでが嘘のように広くてきれいになる。信号機まである。都市と田舎の格差がものすごい。
町の雰囲気はいかにも旧ソ連邦といった感じ。巨大な建物が整然と建ち並び、そこに黄金のバシュ像もある。
トルクメニスタンと言えばこの人、トルクメンバシュ=ソ連時代の大物政治家にしてトルクメニスタンの初代大統領であるニヤゾフ。
通常、トルクメン人の頭領を意味するトルクメンバシュの称号で呼ばれる。1999年に終身大統領に就任し、一時は「神に遣わされし民族の指導者」とまで神格化された。
が、そのバシュは数年前に他界した。そのためか、2012年の現在、その露出度は高くない。国中いたるところに写真が飾られているのかと思っていたのだが、そんなことはなかった。

マリの町中を抜けるのは大変だった。道は広くてきれいなのだけれど車が多く、そして相変らず標識がないから逐一人に聞かないとどっちに行っていいのかわからない。
道がきれいになったのはありがたい。一気に距離が伸びる。これなら余裕じゃないのか、などと一瞬思ったりもしたのだが・・・。

ルート中、何度かカラクム運河を渡る。
国を東西に走るこの運河は世界最長の運河であるらしい(約1,100km)。
そしてアラル海が干上がってしまった主な原因はこのカラクム運河にある。カラクム運河を通しアムダリヤ川から大量の水をカスピ海に流し込んでいることが主な原因である。
これは20世紀最大の環境破壊と言われている。綿花栽培のため旧ソ連が中央アジアで灌漑水路を整備し始めるとともにアラル海の水位は下がり始めた。

バイラムアリの手前にあったカフェで昼食兼休憩。
ここではサムサが食べられた。所謂インドのサモーサと同じであるが、こちらのものは羊肉と玉ねぎを生地に包んで窯で焼いたもの。
この時点では体調は万全だった。道もよくなったし、この先は余裕なのではないかと思っていたのだが・・・。

そこからしばらく走ると如実に気温が上がってきた。時間によるものなのか場所によるものなのかはよくわからない。
たまらず道路脇に見つけた木陰に避難。そこは小さなカフェのテーブルだった。珍しく店の女の子の感じがよく、そして奇跡的にそこには凍ったコーラが置いてあった。
コーラを飲みながらしばらく木陰で横になる。
試しに気温を測ってみると、45℃。いったい直射の下はどんなことになっているのか・・・。
まだまだ体調はなんともない。

15:00頃、走り始めて68kmの地点でキャノンデールの前輪がパンク。空気を入れてもすぐに抜けるので、道路脇の砂地でチューブ交換。
今回もパンクの原因はバーストしたタイヤの残骸と思われる細いワイヤだった。
で、パンク修理を終えて改めて周囲を見渡すと、そこは完全に砂漠だった。
おぉぉ・・・砂漠だ。ここまでボーっと前を見て走っていたから気付かなかった。

なんだか新鮮な気分になり、そこからしばらくは写真を撮ったりしながら楽しく走れた。
が、そんな気分はすぐに暑さで吹き飛ばされる。

途中、道路脇でスイカを売る一団によばれてスイカをご馳走になる。
さらにしばらく先、Zakhmetに入ったところにポリスの詰め所のようなところがあり、そこで井戸水?を5L汲ませてもらう。ちょっと硫黄のような味のする水で美味しくはないが、背に腹は変えられぬ。
このあたりで体にちょっとした異変。吐き気がする・・・。
ここでちょっと休んでいこうとしていたら、井戸に案内してくれたおっちゃんがちょっと先にカフェがあると言う。ホント?
藁にもすがる思いで、体に鞭打ってそのカフェまで移動。
これがまた言われなきゃ絶対カフェとはわからない建物。しかもカーテンが全部閉められていて、やっているんだか閉まっているんだかわからない状態、と言うかむしろ閉まっているようにしか見えない。
が、ドアを開けてみると開いていて、中は確かにカフェだったりする。
コーラを飲みながらクーラーの効いた部屋で横になる。
今日は走れるところまでガンガン走ろうと思っていたのだが、ここへ来て予定変更。とても無理。日がかげるまでカフェで休んでいくことにした。

しばらく横になっていたらだいぶ楽になった。
カフェでキャバーブが食べられそうなので、ついでに食事を済ませてしまうことにした。
このときはまだ羊肉のキャバーブが食べられたんだよなぁ・・・。

18:00過ぎに水を汲ませてもらってカフェを後にする。
先ほど汲ませてもらった水を捨てて汲みなおしたのだが、こちらの水は濁っていた。飲めると言うのだけれど、こりゃとても飲めんな・・・。
18:00を過ぎてもまだ暑い。緩いアップダウンが増えてきた。
19:00を過ぎて日が傾くと、ようやく直射から解放される。が、依然として気温は高い。

だんだん薄暗くなってきたが、快適に幕営できそうなところはどこにもない。行けども行けども周りは砂漠。
道路脇に小さな砂丘を見つけ、諦めてその上の平坦地に幕営。中まで自転車で入れないので、道路脇で荷物を降ろし砂丘の上まで荷物を運ぶ。
砂漠に生えている植物は硬く、トゲトゲで性質が悪い。あらゆるのものに刺さりまくる。
砂漠に生きる生物も特殊なやつらだ。見たこともない種類の巨大なクモが早足で歩いていた。一瞬サソリかと思った。近づくとこちらに向かってくる恐ろしいやつだ。
砂丘の上では大きなフンコロガシが一心不乱に糞を転がしては埋めている。後ろ向きに転がす彼ら、せっかくどけた糞をまたテントの方へ転がしてきたりする。
この日の晩から下痢と吐き気で完全にダウン。
一晩寝れば復活するんじゃないかと甘く考えていたのだが・・・。

日が沈んでも気温は一向に下がらず、暑くてほとんど眠れなかった。上昇した体温が下がらない。
ちょうど新月で月はなく、日が暮れると外は真っ暗。
夜中トイレに起きると、満点の星空だった。天の川がちょうど真上にある。

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マリに入る                        整然としたマリの町

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都市部とそれ以外のギャップがすごい・・・

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黄金のバシュ像               あまりゆっくりしていられない

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ラクダに癒される                    サムサを食す・・・このときはまだまだ元気だった

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I LOVE CAMEL                      感じのよかったカフェの女の子

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如実に気温が上がってきた・・・             砂漠の中心でパンクをなおす

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                               気付くと周りは完全な砂漠に・・・

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                            スイカをご馳走になる・・・このあたりから調子がおかしくなってきた

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井戸に案内してくれたおっちゃん            夕暮れ時になってようやく日差しが和らぐ

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日没前の力走

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三日目の日が沈む                    砂丘の上のテン場(翌朝撮影)

2012/7/19 木
始:7:30 ~ 終:1:40 走行:82km
~ Ravnina ~ Uch Adzhi ~ Peski手前

地獄の始まり。
朝起きても体調は回復するどころか悪化している。立っているだけで辛い。下痢はともかく吐き気がどうにもならん。全身に力がまったく入らない。
昨日と同じように、まずは道路まで歩いて荷物を運び出すのだが、既にその段階でゲェゲェ始まる。ろくに食べてないから胃の中に吐くものなど何もなく、出てくるのは水だけ。
昨日までと違って朝から強烈な陽射し。猛烈に暑い。
こんな状態で走るのは自殺行為だが、停滞などできぬところが期限付きのトルクメの辛いところ。もっとも砂丘の上に停滞などしていたら死んでしまうけれど・・・。

フラフラの状態で漕ぎ始める。
猛烈な暑さだけで危険信号なのに、向かい風。おまけに緩いアップダウンが延々と続く。ここは地獄の一丁目。
ゲェゲェやりながら無心にペダルを踏む。もちろん速度は10km/h以下。

10kmほど走ったRavninaにカフェが一軒だけあった。閉まっていたのだが、タイミングよく店のおっちゃんが帰ってきて、一瞬だけ店を開けてくれた。
コーラを買って店の前の日陰にビニールシートを敷いて横になる。完全にダウン。
自走もここまでかと一瞬諦めかける。が、この状態で車に揺られるのも辛い。
たまたま店の前に止まっていたイランのトラックが乗っていくかと声をかけてくれたが、ここはグッと堪える。
店の前は小さなカメムシのような虫が大量発生していて、横になっていてあまり快適じゃない。
この先のUch Adzhiまで10kmほど。地図でもそうなっているし、おっちゃんらもそう教えてくれる。ひとまずそこまで移動することに。

またまたフラフラの状態で漕ぎ始める。陽射しも風もアップダウンも相変らず。もう死にそう。
ゲェゲェやりながら走ってみたが、10km先には何もなかった。しばらく何もなさそう。心も折れそうになる。
とても自転車に乗っていられなくなってその場にへたり込む。
が、へたり込んでいても何の解決にもならない。直射にさされてグングン体温が上がる。その場にへたり込んでいるだけで体力が消耗していくという地獄絵図。
とにかく進まなきゃ。
時速10km/h以下の激走が続く。ゲェゲェやって出てくるのは先ほど飲んだコーラだけ。

結局、Uch Adzhiまでは18kmほどあった。
何故だかここは町自体を今作っているといった風。そこかしこで建築作業をしているのだが、こんなとこで作業してたら皆さん死んでしまいますよ!
カフェだと教えてもらったところまで辿り着いて倒れこんだ。到着したのが10:30。
クーラーの効いた建屋の中は天国だった。これなら体温を下げられる。
コーラを飲んで横になり、ひたすら体力の回復を図る。

昼過ぎ、外がすごいことになっている。
灼熱のサウナ状態。おまけに風が・・・熱風がゴーゴーと吹き荒れ、ほとんど砂嵐状態。外の日陰に立てかけてある自転車も砂まみれ。
直射の下に出てトイレに行くだけで倒れそう。
気温を測ってみる・・・50℃。もちろん日陰で計測した値。
あり得んわ。こんなところで自転車に乗っていたら本当に死んでしまう。
顔も布で覆いつくし、目だけ出した人たちが外で作業しているけれど、皆さん死んでしまいますよ!

作戦変更。
ここで仮眠して夜走ることにした。
横になってひたすら体力の回復を図る。
このカフェではマンティが食べられるらしい。中央アジア版蒸し餃子で、中の具は羊肉と玉ねぎ。昼時、作業員たちがやって来ては食べていた。
食欲はないけど、まともに食べていないのだから腹は減っている。見ていると旨そうで、食べられそうな気がしてきた。
先にマユミだけ食す。美味しいという・・・もう少ししたら食べてみよう。
昼食の後は作業員達も昼寝。そりゃそうだ。

14:00前に自分の分も注文してもらったのだが、売切れてしまったらしい・・・。二時間ほどでまたできると言うので寝ながら待つことに。
16:00頃になって念願のマンティが食べられた。旨いのだが、今の胃腸の状態でうまく消化できるのかちょっと心配。外は相変らずの風。

18:30過ぎ。陽射しも弱まり風もだいぶ収まった。
満を持して出発。
建屋の外に出ると、台の上でイランの運ちゃんたちがメロンを食べていて、これによばれる。
やっぱイラン人やトルコ人のホスピタリティってのはすごい。トルクメの人たちにこういった優しさはないなぁ・・・。

陽射しが弱まっただけでだいぶ楽。
「なんか長谷川カップのスタートみたいだね」などとマユミはのんきなことを言っている。
ちなみに、今のところマユミは元気いっぱい。
自分は寒さにはめっぽう強いのだが、実は暑さには弱いらしい。スーダンの時もそうだった。
それから後になって気付いたのだが、服装も明暗を分けた一因であったと思う。気温が50℃にもなる砂漠で肌を直射に晒していたのが愚かだった。
本来は砂漠の民がそうしているようになるべく肌を晒さないようにしなければならない。直射から保護できるし、外気温が体温より高いから体温を保っていた方がむしろ体温の上昇を防げる。
イランと同様に長袖のシャツを着ていたマユミは賢かった。自分はTシャツに、ご丁寧にズボンの裾までめくり上げていた・・・。

21:00前になると暗くなり、ライトを点けての走行となる。後ろにもヘッテンを装着して安全走行。
今日も月がなくて夜になると真っ暗だった。ライトの照らす狭い範囲しか見えないから、先がどうなっているのかわからない。今走っているところが上っているのか下っているのかすらわからない。道は悪いし、なんだか妙に疲れる。
が、逆に道が悪いことが幸いして夜間の走行は予想以上に安全だった。もともと交通量が少ないってのもあるけど、どの車も道が悪いことを知っているからかなり慎重に走っている。バカみたいに飛ばしてくる車がいない。

日陰を探す必要はないのだけれど、昼間以上に休憩場所が見当たらない。暗くて道路の脇がどうなっているのかまったく見えないのだ。
たまたま対向車のライトに照らされて見つけることのできた、道路脇の何かの施設のようなところで一度休憩。
このまま眠ってしまいたい衝動に駆られるが、思い直して再度ペダルを踏む。
夜になって風はやんだのだが、大型とすれ違うたびに砂が飛んでくるのが不快だ。サングラス以外のアイウェアは持っていないから裸眼で走っている。

適当な休憩場所が見つからぬままフラフラ走り続けて1:40頃、Peskiの手前だろうか。道路脇のスペースに駐車して仮眠しているトラックが二台いた。
トラックの前に自転車を止め、ビニールシートを敷いて横になる。
もう限界。明るくなるまでここで2、3時間眠っていくことにした。
はぁ・・・朝からここまでまだ82kmしか走ってない。先は長い・・・。

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出発前からフラフラ                    死亡遊戯が始まる

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時速10km以下の激走! 情けない・・・

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写真で見ると快適そうな道なのだけれど・・・

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カフェの前でダウン                    死亡遊戯が続く・・・

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路上にへたりこんでいるだけで体力が奪われてゆく地獄絵図

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クーラーの効いた部屋で死亡中            マンティを食す

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優しいイランの運ちゃんたち               日が傾くのを待って再スタート

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四日目の日が沈む

2012/7/20 金
始:5:00 ~ 終:22:20 走行:120km
~ Peski ~ Repetek ~ Komsomolsk ~ Chardzhou(Turkmenabat) ~ Farab ~ 国境

夜が白み始めると同時に起きだして、5:00に走り始める。
まだ暑くないし、体もだいぶ楽になった。
この隙に距離を稼ごうと気ばかり先走るが、ペースは一向に上がらない。7:00には早くも暑くて走っていられなくなる。
途中で休憩と称し道端に座り込む。そしてまた走る。

37km先、Repetekの外れに一軒のカフェがあった。
ここもカフェだかどうだかもわからないし、開いているのか閉まっているのかもわからなかったが、ドアを開けたら中に人がいた。中はクーラーが効いていて快適。
イスラーム圏では今日からラマザンが始まるのだが、どうやらトルクメニスタンは関係ない様子。店の中でおっちゃんがチャイを飲んでいた。
何か食べられるか聞いてみると、玉子とソーセージなら食べられるという。多少食欲も出てきて食べられそうだったので、玉子とソーセージのオイリーな焼き物を食べたのであるが、これが失敗だった・・・。

食後30分ほどクーラーの効いた部屋で横になる。
その間に店のおばちゃんや客のおっちゃんに先の状況を確認。トルクメナバットまで23km、ファラップまで36kmらしい。思っていたより近いな・・・ファラップの町から国境まではすぐだろう。
が、ここで距離を読み違えていたことが後で取り返しのつかないことになる・・・持っている地図も、人の話もまったく当てにならんとは・・・。

もう国境まではガツガツ走らなくても辿り着ける距離、そう思い込んで気持ちにもゆとりができた。
灼熱地獄の中、また走り始める。
10kmも走ると吐き気がぶり返してきて自転車に乗っていられなくなった。明らかに先ほど食べたオイリーな玉子とソーセージが原因。
ふと見ると道路脇にトレーラーが止まっていて、しばらくその日陰で休ませてもらおうと駆け寄って倒れこむ。
が、無情にも1、2分すると、「もう出るよ」と言って日陰を提供してくれていたトルクメのトラックは走り去ってしまった・・・。
動けそうにない。ちょっと先の道路脇のスペースに自転車を止め、マユミに布で日陰を作ってもらってそこに倒れこむ。
死亡遊戯が続く。
休めているんだか逆に体力を消耗しているんだかわからない状態で横になっていると、重機に乗ったおっちゃんらが通りかかり、トルクメナバットまであと10kmだと教えてくれた。
どうやら先ほどカフェで聞いた情報は正しかったらしい。

瀕死の体に鞭打ってまた走り始める。
10km走っても何もない。心が折れてまた道路脇に座り込む。
さらにちょっと頑張ると、道路脇にカフェがあった。カフェの中に倒れこむ。そこはクーラーのガンガンに効いた別天地だった。
もう限界。水分を補給してクーラーにあたりながらひたすら横になり続ける。
カフェの人に聞くと、ここはもうトルクメナバット。おそらくちょっと先に町がある。
カフェに着いたのが13:30。ファラップまで残り15kmほどだろう。もう焦る必要はない。ここで1~2時間ほど休憩していくことにした。

十分休んで15:20頃、カフェを後にした。体調もだいぶ回復。
ちょっと走るとトルクメナバットの町に入った。
後ろからやって来たモーターバイクのツーリストに声をかけられ、道路脇に自転車を止めてちょっと話をする。彼はイギリス人のマット。この後パミールハイウェイを走り、モーターバイクで中国には入れないからロシアを走って日本まで行くと言っていた。

マットと別れて先を急ぐ。
しばらく走った先にバザールが現れた。道路脇の店の前でマットが休憩していた。ちょっと先の店の前で自分らも自転車を止めた。
おそらくここが国境の町ファラップだろう。
暑さで脳味噌が腐っていたのか、勝手にそう思い込んだ。町の雰囲気もどこか国境の町っぽかった。
だとすれば国境までもう10kmもないはず。
この先店もなかろうと、ここで余ったトルクメのお金をきれいに使い切った。

自分らの持っている情報では、国境は18:00に閉まる。
16:30頃バザールを後にした。
ウズベキスタンはどっちかと人に聞き聞き、そっちに自転車を走らせる。5、6km走ってみたが依然として整然とした町中にいて、一向に国境に近づいている気がしない。
おかしい・・・。
10km以上走っても状況は変わらず。
果たして国境はどこにあるのか・・・。
ウズベキスタンまであと何キロあるのか?人に聞いてみると、人によって3km(30kmの聞き間違いか?)と言ったり、45kmと言い出したり。
45km・・・そんなはずはない。そう思いたかったが、どうやらそれが正しいとわかったときには既に17:30を回っていた。
ガーーーン!
最後の最後に何たる大失態!どう転んでももう絶対間に合わない。今から車を拾っても国境の閉まる18:00には間に合わない。
罰金・・・。
罰金がかなり高額であろうことは知っていた。いったい自分らはどうなるんだろう???
余裕をぶっこいて休んでる場合じゃなかった。
あーーーいったい何のためにここまで苦労して走ってきたんだ・・・。
一瞬にしてすべてが無に帰した気がした。

実は先ほど休んだバザールはファラップなんかでは到底なくて、まだトルクメナバットの中心部にも入っていなかったのだ。
ファラップなんてまだ遥か彼方。ファラップから国境までも何キロあるのかわからない。
あーーーなんでカフェのおばちゃんの話なんて鵜呑みにしてしまったのだろう。
悔やんでも悔やみきれない。

「18:00を過ぎても国境に着きさえすればなんとかなるんじゃないか?」
何の根拠もないそんな一縷の望みに託してとにかく国境まで行ってみることにした。

途中、マットをニ、三度見かけた。
今日越境するつもりじゃないのか?もしかして18:00に国境が閉まるってこと知らんのか?それとも何か自分らの知らない情報を持っているのか?
が、のんびりマットと話をしている時間はない。挨拶だけ交わして先を急ぐ。
結局、ファラップまで30km以上あった。
が、依然として国境に近づいている雰囲気がない。
いったい国境はどこなのよ???

とある川だか運河沿いの道に折れる。
そこでまたマットと会った。やはり国境は閉まっていたらしい。もう少し戻ったところでキャンプするというマットと別れて国境に向かう。
・・・ない。国境がない。いったい国境はどこなのよ~
川沿いにしばらく走ったその先に、ようやく国境と思しき煌々と明かりのともる場所が見えてきた。
そこに着いたのは20:20。あたりが薄暗くなりかけていた。
結局、ファラップから国境まで15kmくらいあった。

国境にはトルコやイランのトラックが並んでいた。
外でチャイを飲んだりしている運ちゃんらに挨拶しながら、閉ざされた門のところまで行ってみる。
門の向こうの警備兵にパスポートを差し出して事情を話す。「今日でビザが切れてしまう・・・」
親切にもその警備兵が電話や無線でどこかと連絡を取ってくれた。
「係官が来るからここで待っていろ」と言う。もしかして、もしかしたらなんとかなるのか???

門の外に座って待つ。日暮れと同時に蚊が来襲。ここも蚊がすごかった。
しばらくするとイラン人の運ちゃんが2、3人やって来た。事情を察すると、なにやら警備兵に自分らのことをお願いしてくれている。ありがたい。なんとありがたいことか。
「手続きが済んだらトラックのところにおいでよ。冷たい水も食事もあるぜ」運ちゃんらはそんなことまで言ってくれた。
ありがたい。実にありがたい。言葉に甘えさせてもらうことにしよう。
警備兵が、「食べろ」と彼らの食事を自分らに差し出してくれた。

30分以上待っただろうか。車が一台やって来て、門の前に止まった。
てっきり門の中の建物から誰か来てくれるのだろうと思って待っていたのだが、外からやって来たその車の人がどうやらイミグレの係官だった。
「いったい日本人は夜になって何をやっているんだ?オレは別の町にいたんだぜ」車の中から係官はそんなことを言っていた。
申し訳ないです・・・。

てっきり何らかの処置だけしてくれて越境するのは明日だろうと思い込んでいた。
が、どうやら今日のうちに越境する運びのようだ。自転車を置いて門の中に入ろうとしたら、自転車ごと入れと促された。
イランの運ちゃんらに一声かける間もなく門の中に入る。そしてイミグレの建物の中へ。
もう一人、税関の職員らしき人が中にいて、その人が自分らの税関申告書を代筆してくれる。荷物検査は一切なし。
通常、出国時にもう一度出国時の状態を申告するのだが、自分らが入国の際記入した申告書を差し出すと、これでOKってことにしてくれた。
イミグレの係官が一言「明日だったら大変なことになっていたぞ」
まさにその通りだったと思う。今回は非常にラッキーだった。国境が閉じた後に手続きしてくれた彼らに感謝。
ポンッと出国のスタンプを即押してくれた上、ウズベキスタン側のイミグレに連絡を取ってくれた。
緩衝地帯で寝るようかと思っていたのだが、どうやらウズベキ側も通れるようである。

二人の係官が緩衝地帯のウズベキ側との境界まで車で先導してくれた。
何とお礼を言っていいのやら。本当にありがとうございます。
「ここから先はウズベキスタンだ」と言って見送ってくれた。
ウズベキの警備兵に身柄を引き渡される。そこにもトラックの列ができていて、運ちゃんらが外でチャイを飲んだりしていた。
そのトラックの列の脇を、言われたとおり1kmほど走るとウズベキ側のイミグレ。
ウズベキ側はまだイミグレが開いているようで、他にもおばちゃんが2、3人手続きを待っているところだった。
チェックが厳しいと噂に聞いていたファラップのウズベキ国境であったが、こんな時間ということもあり荷物検査も一切なし。
税関申告書二枚に言われたとおり記入すると、ポンッとスタンプを押してくれて手続き完了。22:20。もうフラフラ。

自転車を押してイミグレの脇を通り過ぎる。
その辺にテントを張っていいかと警備兵に聞くと、もう一つ先のチェックポイントの先に張れるという話。
水があるか聞いてみたら、親切に5Lのボトルに汲んできてくれた。

チェックポイントの先にはトラックの長蛇の列。
脇にレストランと思しき建物と、その先にチャイハーナのような建物があった。
チャイハーナはまだ明かりがついていて、外に人がいたので建物の脇にテントを張っていいか聞いてみると、OK。
もうテントを張る気力もなくて、建物に自転車を立てかけ、その脇にビニールシートを敷いて倒れこむようにして寝た。
風が強く時々砂埃に見舞われるが、もうそんなことはどうでもいい。
夜半に風がやむと今度は蚊が来襲。一晩中蚊と格闘する破目になり、よく眠れなかった・・・。

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最終日の日が昇った!

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暑くないのは一瞬だけ                 早くも7時には暑くて走っていられなくなる

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そして路上にへたりこむ                TKO寸前

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イギリス人のマット                   閉まっているはずの国境へ向け絶望の力走

Trackback [0] | Comment [0] | Category [■ 101_Turkmenistan / トルクメニスタン] | 2012.07.27(Fri) PageTop
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1970年生まれ。妻と二人信州伊那谷在住。
2009年10月~2013年5月の旅を記録するために”なかっぴー通信”をスタートさせました。
現在は伊那谷にて節約生活をしながら充電中。
2014年4月、ブログのタイトルを”なかっぴー通信NEO”に改めました。
信州伊那谷より~旅のこと、山のこと、自転車のこと、そして田舎暮らしのことなどなど・・・気ままに綴ってゆきます。
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