熊野古道から 2017冬 1日目 高野山町石道

2017/2/1 水
始:7:20 ~ 終:16:30 晴れのち曇りのち細かい雪 朝3℃
0620起/0720発(道の駅柿の郷くどやま) ~ 0735(慈尊院) ~ (丹生官省府神社)0800 ~ 0845(百六十六町の先の展望台) ~ 1000(六本杉)1015 ~ 1035(丹生都比売神社(空身で往復))1055 ~ 1115(六本杉) ~ 1145(二ツ鳥居) ~ 1325(笠木峠) ~ 1415(矢立) ~ 1545(三十九町の展望台) ~ (空身で二十六町の先まで往復) ~ 1630(三十九町の展望台に幕営)

出だしで行動パターンが定まっておらず、とりあえず6:20に起きてみた。
直売所やベーカリーなど、店が開くのは9:00からだが、ベーカリーのほうは早くも6:30には人が来て準備をしていた。
昨日買った田舎寿司を自販機のホットのお茶と一緒に食べ、7:20出発。
このお茶の入っていた小さなペットボトルは、捨てずにマユミがなんとなく持っていることにしたのだが、狭いところで水を汲んだりするのに後々とても役立った。

今日からいよいよ熊野古道を歩き始める。
まずは紀ノ川のほとりの慈尊院から高野山まで、高野山町石道を登る。
ちなみに、高野山町石道は高野山・町石道のように区切り、「こうやさんちょういしみち」と読む。高野山町(そんな町はないが)の石道ではなく、高野山の町石道である。
つまりは高野山へと登る、町石の置かれた参道ということだ。
卒塔婆である町石は高野山へと至る参道の一町ごとに立てられている。
一町(一丁)≒109mであり、大門を経て壇上まで百八十町、そこから奥之院まで三十七町ある。
合計二百十七町ということになり、総距離は24km弱である。

道の駅の裏手から路地をまっすぐ行くと、慈尊院の前に出る。
路地は道の駅に接した県道から僅かに一本入っただけだが、それだけでまったく別の世界が広がっているからおもしろい。
この路地歩きがある意味歩き旅の醍醐味だ。
幹線の国道や県道を歩いていても不快なだけで何ひとつ楽しいことはないのだが、本当に路地一本入っただけでまったく別の、そことは完全に隔離された世界が広がっている。
歩くなら、できる限りこういうところを歩きたい。

慈尊院は真言宗の寺である(空海の母と深い関わりがある)。
当然、本堂と大師堂があり、順にお参りする。お遍路の時と同じ作法で参拝。
山門の前で一礼、手水で手と口を清めようと思ったら、手水の水がカチンコチンに凍っていて清められず・・・朝、テントの前で測ったら3℃ほどであったのだが、出発してすぐ外気温はずっと低いように感じた。たまたま幕営した場所が暖かかっただけなのかもしれない。
・・・まぁいいか。
気を取り直して参拝。
ろうそくに火をつけて線香をあげ、納札を納める。お賽銭を入れたら合掌し、邪魔にならないところに移動して読経。
一年ぶりの読経。滞りなく読めるか不安だったのだが、読経を始めるとスラスラ読めるから驚いた。
経文はリズムで覚えているから、一度スラスラ読めるようになると忘れないものらしい。
朝一、心を静めて仏前で読経するというのは実に気持ちがいい。なんともいえない清々しい気分になる。

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慈尊院の山門(左)と、大師堂(右)

慈尊院から石段を上った奥に丹生官省府(にうかんしょうぶ)神社がある。
石段の中間部に鳥居があり、その手前に百八十町と刻まれた卒塔婆が立っている。
ここが高野山町石道の起点、壇上まで百八十町の地点である。

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(左)中央に見える石段を上った先に丹生官省府神社がある。  (右)石段の途中にある百八十町と刻まれた卒塔婆(町石)

丹生官省府神社は弘法大師が創建したといわれる。
神社の御祭神である狩場明神(高野御子大神(たかのみこのおおかみ))が、従えていた二頭の犬を放ち空海を高野山へと導いたと伝わる。

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(左)丹生官省府神社  (右)本殿

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こちらの手水も凍っていたが、どうにか手と口を清めることができた。

参拝を終えたら、いよいよ高野山へと向う。
参道には立派な町石が一町ごとに立てられている。
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町石は高さ一丈一尺、幅一尺余り。正面に梵字と町数、脇に寄進者の名前などが彫られている。
弘法大師は高野山を創建すると同時に、木製の卒塔婆を立てたと伝えられる。それが石造に代わったのは鎌倉時代末期で、幕府が後押しをして行われた。
そのため寄進者には時の実力者である北条氏の名も多い。

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中には長い年月が経過して折れてしまったものもあり、そういったものは丁寧に修復されたり、立て直されたりしている。

他に人はおらず、静かでいい感じだ。
道は樹林の中。杉や檜の人工林が多い。
湿っていて、道がけっこうぬかるんでいる(朝のうちは凍っていた)。

8:45、ひと登りした展望台で休憩。
紀ノ川と橋本の町並みがよく見える。昨晩泊まった道の駅もよく見える。
朝はこのようにピーカンだったのだが、早くも9:00を過ぎると曇ってしまった。
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展望台の付近一帯は一面柿畑。
道の駅も「柿の郷くどやま」である通り、柿の生産が盛んなようだ。甘柿と渋柿のどちらも生産しているようである。
この柿畑がまたえらく急な斜面にある。日当たりは抜群であるが、収穫など作業は大変そうだ。
伊那谷の柿畑などまだまだ甘い・・・と思ってしまった。

ちなみに、柿は多くの外国語でも「カキ」という通り、(もともとは中国から入ってきたものらしいが)日本を代表する果実である。
おそらくもっとも日本の気候に合っていて、原種や、こぼれ種が成長したものが普通に自生している。見た目や大きさなどにこだわらなければ手間もかからず、庭でもたわわに実る。
暖かいところに来ると、柑橘類も強い(日本の気候に合っている)と感じますね。こぼれ種が育ったものだと思うけど、山の中に普通に自生して実をたわわにつけていますから。
一転、リンゴというのは日本の多湿な気候にはまったく合っていないのだとよくわかる。育てるのにえらい手間がかかるし、こぼれ種なんて無数にあるはずだけど、自生している木なんて見たことないですから。
ヨーロッパなんかだと田舎へ行けば、川原や道端なんかに普通に自生して実もつけているのだが、日本では一度も見たことがない。

丹生官省府神社から二時間ほどで六本杉に到着。
ここから丹生都比売(にうつひめ)神社まで1.3kmほど。高野山へのルートからは外れるが、40~50分ほどで往復してこられる。
こういう場合、また次の機会に・・・となってしまいがちであるが、「次の機会はないと思ったほうがいい」というのが数年前からの信条なので、荷物をデポして空身で往復することにした。

丹生都比売神社は実に立派な神社だった。
全国に八十八社ある丹生神社、さらに丹生都比売大神を祭る神社が摂末社を入れると百八十社余り、その総本社が丹生都比売神社である。
歴史は古く、創建されたのは千七百年前とされる。

前記した高野御子大神(狩場明神)は、丹生都比売大神の御子である。
密教の根本道場の地を求めていた弘法大師の前に、黒と白の犬を連れた狩人に化身した高野御子大神が現れ、弘法大師を高野山へと導いた。
弘法大師は丹生都比売大神より御神領である高野山を借り受け、山上大伽藍に大神の御社を建てて守護神として祭り、真言密教の総本山高野山を開いた。
古くから日本人の内にある、祖先を大切にし、自然の恵みに感謝するという神道の精神が仏教に取り入れられたのは、弘法大師が高野山を開いて以降とされ、これ以降、神と仏が共存する日本人の宗教観が形成されていった。

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(左)丹生都比売神社楼門。(右)が四殿の本殿で、社殿を寄進したのは北条政子(現存する本殿は室町時代~明治時代に復興されたもの)。

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見事な太鼓橋・・・は、残念ながら冬の間は渡れず。

11:15に六本杉に戻ってきた。
寒気が入っているようで寒い。気温が下がった。

六本杉から30分ほど歩くと二ツ鳥居がある。丹生都比売神社境内の入口、ということである。
まず丹生都比売神社に参拝し、その後高野山に登るというのが慣習だった。
鳥居は弘法大師によって建立され、当初は木造であったが慶応二年に石造に建て替えられた、とされる。説明版によると寄進者は一個人である(名前もあったが忘れた)。

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(左)二ツ鳥居、(右)二ツ鳥居からの眺め。丹生都比売神社のある天野の集落が見える。

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応其池(おうごいけ)の先に感じのいい山里があった(信じられないことにすぐ先にゴルフ場がある・・・)。
町石道沿いに集落を見下ろせる地蔵堂があり、その前が素晴らしいテン場になっているのだが、幕営可能かどうかは定かでない。

13:25に笠木峠を通過。
ずっと今にも雪が降り出しそうな空だったが、13:00を過ぎた頃からとうとう降り始めた。雪というか細かい氷の粒が降っている。
それほど濡れるわけではないのだが、幕営前に地面が濡れてしまうのがまいった。

14:15、矢立で国道を渡る。
矢立には公衆トイレがある。2013年に自転車で高野山に上ったとき、ここで幕営用の水を汲ませてもらった。懐かしい。
今回も同様に幕営用の水を確保する。
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これでどこでも幕営可能。
三十九町の展望台までが勝負だったのだが(その先は町石道が国道と並走する)、いい場所がない。
実は、三十九町の展望台というのは前回幕営した展望台ではなかろうか、とおぼろに思っていた。もしそうならそこに幕営可能だ。
・・・確かウッドデッキのようなものがあったはずだから、この雪でもぬかるんだりはしてないだろう。
そんな期待をしつつ展望台に着いてみたら、まったく別の場所だった。
立派な東屋の下にはテーブルとベンチが鎮座していて幕営できないが、その傍らに幕営可能だ。
が、吹きっさらしで寒いのでひとまず保留。

荷物を置いて先の状況を探ることにした。
ただテン場を探しつつ、二十六町のベンチのある平坦地まで行ってみたのだが、どうにもダメそう。
ベンチのあるところは沢沿いで、じめじめしている上に雪まで積もっている。これなら展望台のほうがマシだ。

展望台へ戻り、前後の山中から石を拾い集めて幕営。
幸い、雪は15:30頃にはやんでいた。
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待望の夕食。ご飯とふりかけに野菜スープ。
マルちゃんのフリーズドライの野菜スープ、初めて食べたのだが具がたっぷりでめちゃくちゃ旨い!

MSRでの調理が久しぶり。
手順をすっかり忘れていて手際が悪い。ま、二日もすれば安定するだろう。
・・・と、そんなことより、条件によってMSRから軽くガソリンが漏れる。
ポンプに本体を挿してからポンピングし、消火後は即ポンプから本体を抜いてボトルを減圧、ポンプはボトルから外して保管・・・これでどうにかいけそう。
ポンプをボトルにセットしたままにできないので面倒な上、都度ガソリンが少々無駄になるが致し方あるまい。

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Author:nakappie
1970年生まれ。妻と二人信州伊那谷在住。
2009年10月~2013年5月の旅を記録するために”なかっぴー通信”をスタートさせました。
現在は伊那谷にて節約生活をしながら充電中。
2014年4月、ブログのタイトルを”なかっぴー通信NEO”に改めました。
信州伊那谷より~旅のこと、山のこと、自転車のこと、そして田舎暮らしのことなどなど・・・気ままに綴ってゆきます。
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