熊野古道から 2017冬 5日目 停滞の三浦峠

2017/2/5 日
雨、朝2℃
三浦峠にて停滞

3:00前にトイレに起きたときは星が出ていた。
が、5:00頃から雨音が・・・。

20分遅らせて5:50に起きる。
標高1,000m以上の場所なんだけど、朝の気温2℃と暖かい。
細かい雨が降っている。雪ではなく雨だ。

いつも通りおにぎりとスープの朝食を済ませ、出発の準備を整える。外は相変らず雨。
行動可能なくらいの雨であるが、ラジオの天気予報によるとこれから低気圧が通過するらしい。
「和歌山などではバケツをひっくり返したような雨が・・・」などと伝えており、7:00の予報を聞いて停滞を決めた。

寝耳に水だった。昨日まではそんなこと一言も言ってなかったと思うから。
なんでこういうことになるんだろう???
ラジオの天気予報ってのはホントダメだな・・・肝心なことは何も言わない。
どういった理由で雨が降るのか、低気圧が通過するとか前線が通過するとか。低気圧はどこを通過するのか、日本海なのか南岸なのか。そういったことをいの一番に伝えてくれないと天気がどうなるのかイメージできない。

こんな完璧な場所に幕営できていることが幸いだ。
弘法大師のお導きか、などと柄にもなく思ってしまう。
問題の水はトイレに天水のタンクがあったので大丈夫(実は昨日もわざわざ下で汲んで担ぎ上げる必要はなかった)。
この雨でさらに天水が溜まることだろう。

日記を書き、その後はひたすら寝て過ごす。
朝沸かしたお湯で昼にオニオンコンソメスープを飲む。

15:00前に車が一台通過し、しばらくしてまた下りていった。
三浦峠には林道(未舗装)が通じていて古道と交差する。西川方面から車で上がってくることもできるようだ。
雨は16:00頃上がった。

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ガスが晴れた隙に。本当に山深いところだ。

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熊野古道から 2017冬 4日目 伯母子峠を越えて~ここが全行程の核心部~

2017/2/4 土
始:7:15 ~ 終:17:45 快晴! 朝-3℃
0530起/0715発(萱小屋) ~ 0805(桧峠) ~ 0845(伯母子岳分岐) ~ 0905(伯母子岳山頂) ~ 0930(伯母子峠)1000 ~ 1105(上西宿)1130 ~ 1225(水ヶ元)1245 ~ 1330(待平) ~ 1405(三田谷橋、トイレ)1425 ~ (五百瀬) ~ 1445(三浦口) ~ 1625(三十丁の水)1655 ~ 1745(三浦峠)

薪を多めに投入して眠りについたのだが、ストーブの火は22:00にはほぼ消えてしまった。
いったん起き出して薪をくべたのだが火が盛り返すことはなく、本格的に着火作業をするのは面倒なのでそのまま寝入る。
幸い風がやんでいてそれほど寒さを感じなかったのでどうにか眠れた。もし風があったらこうはいかなかっただろう。

朝の室温-3℃。外気温も-3℃でまったく一緒(笑)。
テントならこうはならないが、隙間だらけの小屋だとこういうことになる。

パッキングのあと小屋を片付けて出発。
いやーお世話になりました!
薪代にもならないでしょうがほんの気持ち分だけ・・・。

昨日大股で会った二人組のトレースがあり、ありがたく使わせてもらう。
といっても積雪は山頂近くで20~30cm、新雪は2~3cmしかないから、沈み込みはせいぜい踝くらいまでなんだけど。

桧峠(帯木峠)で尾根上に出て、夏虫山(1,346m)は巻く。
古道自体は伯母子岳(1,342m)も巻いているのだが、ここまで来て山頂を踏まない手はない。トレースももちろん山頂へ。
巻き道はトレースがなく吹き溜まりとなっているから、むしろこの場合は伯母子岳を巻いたほうが時間がかかる。

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(左)夏虫山分岐  (右)伯母子岳分岐

伯母子岳の頂上付近は照葉樹の目立つ紀伊半島では珍しく、ブナやミズナラの天然林となっている。
分岐からひと登りで伯母子岳の山頂に着く。
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空は快晴。360°見晴らせる。
こんなコンディションであれば紀伊半島の山々のほとんどを視野に収めることが可能だ。
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まずは東から北東の方角。遠くに連なっているのが大峰山脈。

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南に霞んでいるのが果無山脈。

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近くの山では、(左)護摩壇山(和歌山県最高峰1,372m)、(右)夏虫山。

快晴だけど風が強く寒いので即下りる。
山頂より先は動物の足跡以外ない。
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峠まで下ると立派な小屋がある。
左の小屋が避難小屋で右がトイレ。例によってトイレは冬期使用不可だが、避難小屋の向こうに仮設トイレがある。

小屋の中はこんな感じ↓。
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上部に明かりとりの窓があって中は明るい。
萱小屋の小屋ほど洒落てないしキレイでないが、こちらのほうが作りはしっかりしていて隙間風はほぼ皆無。ストーブなんてものはないけど、夜を過ごすならこちらのほうが断然暖かい。中にテントを張ることも可能だ。

伯母子峠より先、上西宿までの雪面のトラバースが核心である。
まずは雪屁を崩して斜面に降りる。
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古道は雪に埋まっていてあまりはっきりしない。
傾斜のきついところは完全に斜面の一部と化しており、特に沢を横切るところは何度も雪崩れているせいで完全に雪壁となっている。
新雪や腐った雪ならなんでもないが、クラストしてるので厄介だ。
もちろんアイゼン、ピッケルがあればなんでもないところなんだけど、丸腰だと苦労する。たとえ落ちても致命的なところではないけれど、荷を背負って沢床から登り返すのはけっこうたいへんだと思う。
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あまり蹴り込みのきかない靴でステップを切りながらトラバース。一向に進まない。
山襞がしばらく続くのでけっこう疲弊してくる。

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広い平坦地となっている上西宿まで来れば一安心。
金剛杖すら持ってないマユミは途中から木の枝を手にしていた(笑)。

十津川村教育委員会の立てた説明板によると(伯母子峠から南は十津川村である)、この場所には昭和九年頃まで人が住んでいたらしい。
「その昔、高野からこの伯母子峠を越えて馬が米やさかなをこの十津川へ運んだわけだ。早い朝が明けると、伯母子のほうからチリンチリンと鈴の音が響いて、二頭も三頭もの馬が背中にいっぱい荷を積んで下ってきたものじゃった。」・・・「十津川郷の昔話」より抜粋。

また、「熊野めぐり」という元文四年(1739年)に小辺路を歩いた旅行記では、伯母子峠から上西宿までの道が次のように記されている。
「是より段々下り山の半腹を行、左は深き谷也、甚さかしき道にてあやうき所多し、旅人皆労煩す」

昔の人はすごい。冬でも草鞋でこんなところを歩いていたのだから。
野生動物はもっとすごい。雪の上でも裸足だし、行動食も持っていない。腹が減ったら現地調達しないといけないわけだから。
テン、イタチ、ウサギ、ネズミ、シカ、カモシカといったところのトレースがよく道についている。サルの影は今のところ薄い。

付近はブナやミズナラなど落葉樹の樹林で、今の時季は葉っぱがないのですこぶる明るい。
かつては普通に見られた植生であるが、戦後の拡大造林によって杉と檜の人工林に姿を変え、熊野へ通じる古道の近くで現在原始林が残っているのは僅かに大峰山脈と那智山、そしてこの伯母子峠付近だけだという。

上西宿の先で道は二俣になるが、明治以降にできたといわれる新道のほうは雪に埋まっていてよくわからなかった。
今では旧道のほうが整備されていて、案内に従うと自然にそちらへ導かれる。近年もっぱら使われたはずの新道のほうがハッキリせず、忘れられていた旧道のほうが復活しているのだから世の中わからないものだ。

しばらく下ると水ヶ元。
平坦地で、小さな祠に収まった弘法大師の石像がある。
この石像がなんともいえないいい顔をしていて惹きつけられた。とても穏やかで優しい顔をしている。
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オランダでよく見かけた木靴をかたどった土産物と、1978年の(旧)5フラン硬貨が供えられていた。
オランダとフランスからの方がそれぞれお供えしたものだろうか?やはり大師像の表情に惹きつけられたのではないかと思う。

800mほどまで下るとやはり雪が消え、麓の五百瀬(いもぜ)は春のようだった。
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(右)は三田谷橋(伯母子岳登山口)まで下りたところ

神納川の流れる、四方を山に囲まれた谷間という非常に山深いところである。
五百瀬には大塔宮の伝説や平維盛の伝説が語り継がれているが、確かにそれもうなずける。いかにも都から落ちのびた人が住みついたというような場所である。
大塔宮の腰掛岩が祭られ、腰抜田というものもある。また、平維盛の墓と伝わる維盛の祠なるものもある。
山深い里は落人伝説と結びつく。
大塔宮の落ちのびる場面は太平記に、平維盛の落ちのびる場面は平家物語に、それぞれ描かれている。

神納川の船渡橋を渡ると三浦である。坂を登っていくと家と田んぼが現れる。
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船渡橋

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現在も人が住んでいるのは一、二軒だけだろうか。棚田か段々畑だったところも放棄されてしまったところが多い。
水は山の奥から黒いパイプで引いてきているが、パイプの引き回しが複雑、大規模で目を引く(何かしらの参考になる)。

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古い石畳も残っている。

しばらく登ると吉村家跡。
異様な形をした杉の巨木が何本も茂っていて、なんだここは?という感じになる。
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ここだけ時空が捻じ曲がってしまったかのような怪しさ満点の場所であるが、実はこれ、防風林であったものらしい。
人が手を加えて樹形を矯正した杉が、ある時から人の手より開放されてまっすぐ伸びたもの。
例により十津川村教育委員会の説明板によれば、杉の樹齢は五百年前後。
吉村家は旅籠も営んでおり、昭和二十三年頃まで居住していたらしい。このあたりまでが往時の三浦の集落範囲。

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少し上がったところに吉村家の墓も残っている。

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斜面には石垣が詰まれよく整備されている。往時が偲ばれる・・・。
時どき見かける石積みの台のようなもの(右)は何に使っていたのだろう?

16:25、ようやく三十丁の水に着く。
思わず目を疑うほど水が細い(泣)。6L弱の水を汲むのに30分近くもかかってしまった・・・。
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目的地は三浦峠だったのだが、時間的に厳しくなってきた。
水場の少し下に廃屋が二軒ほどあり、水を汲んだあと空身で偵察してみたのだが幕営は無理。
テン場を探しながら三浦峠へ向うことに。

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谷間にある五百瀬の集落がよく見える。本当に山深いところなのだ。
奥に見える山からいったん五百瀬へ下り、三浦峠へと登り返してきた。そのまた奥に見える伯母子岳のさらに向こうから歩いてきた。
いやー現代人の脚も捨てたもんじゃないね。

途中に一箇所平坦地があったのだが、崩落地であったためパス。
17:45、三浦峠に到着。そこは素晴らしいテン場だった。
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東屋の下に幕営(翌朝撮影)

(そんな意図で作ったんじゃないだろうけど)この東屋を作った人はよくわかっておられる。
三方にベンチがあるだけで真ん中にテーブルがないのが素晴らしい(あんなテーブル、見た目だけで使いにくいだけだ)。
ベンチの背もたれが風避けになるのも素晴らしい。
下も砂利なので雨でも浸水しない。ホント言うことなしの出来である。

東屋以外にも幕営スペースはいくらでもある。
ここは本当に素晴らしい場所だ。
テントを張ったら急いで米を炊き、疲れてしまったので日記も書かずに寝る。

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熊野古道から 2017冬 3日目 萱小屋の素敵な山小屋

2017/2/3 金
始:7:40 ~ 終:14:50 曇り時どき日が差す 朝-5℃
0600起/0740発(ろくろ峠) ~ 0810(薄峠) ~ 0910(大滝)0940 ~ 1045(水ヶ峯分岐)1100 ~ 1120(水ヶ峯集落跡) ~ 1155(東屋) ~ (平辻) ~ 1330(大股) ~ (集落上の水場)1400 ~ 1450(萱小屋)

昨晩も時々雪が舞っていたが、比較的静かな夜だった。
7:40発、昨日も歩いた林道をもう一度。30分ほどで薄峠に着く。
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薄峠の先は急な下りで、積雪が増える。新雪が2~3cm、その下に20~30cmといったところ。
石垣や道の曲がりに旧道のかたちをとどめている。
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御殿川の深い谷に架かる鉄橋。
橋を渡ってすぐの登りがえらく急。かつては馬殺しの坂と呼ばれたらしい。
その急坂(ホントに急)を喘いでひと登りすると車道に出る。昭和三十九年に開通し、高野山から通じている車道だ。

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大滝集落の中にある東屋で休憩させてもらう。
すぐ近くに公衆トイレもあり、なんと!ウォッシュレットだった。

大滝は街道の要所で、昭和のはじめまでは宿屋もあったという。
昭和三十年頃には三十軒ほどに人が住み、中学校や小学校の分校もあったようだが、いま人が住んでいるのは五、六軒ほどだ。
生活感は感じられるが、人の姿はまったく見ない。ま、冬のこんな天気の日ということもあるんだけど。

トイレで少々水を汲ませてもらい、人家の庭先を通って山道に入る。
集落に近いところにはコウヤマキが植えられている。集落から離れると薄暗い杉の人工林となる。
斜面を削って通された道がところどころ雪に埋もれていて、雪面をトラバースする形になる。なにせ丸腰なもので少々緊張した。

しばらく行くと高野龍神スカイラインに合流。
除雪されていて車も通行可能。
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高野龍神スカイラインは高野山と龍神村大熊の約40kmを結んで昭和五十五年に開通した。
しばらくスカイラインを歩かねばならない。

野迫川口を過ぎると、奈良と和歌山の県境を何度か行ったり来たりする。
このあたりは県境が入り組んでいるようである。

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さらにしばらく行くと水ヶ峯入口となり、ここからまた山道へと入る。雪が増える。
ひと登りすると水ヶ峯の集落跡。

水ヶ峯の集落跡はなんともいえない郷愁をそそる。
尾根にある屋敷跡の東側は木が切り払われていて、そこから遠く大峰の山々を見晴らすことができた。
そんな景色をボーっと眺めていると、なぜだかかつてここに人が住んでいたという事実がリアルに感じられてくる。
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野迫川村史によると、江戸時代の終わりには四軒ほどが宿屋をしていたが、明治三十二、三年頃には八軒に増え、その頃が水ヶ峯の最盛期だったようである。
その後交通事情が変わって通行する人が減り、昭和二十七年頃無住になったということだ。
人が住んでいた時分は周囲の林が開かれていてさらに明るく、和歌浦の海から淡路島までも望むことができたらしい。小高い丘からは高野の山を一望の下にすることができ、時には弘法大師御廟の線香の煙が立ち昇るのが見えたという。

集落跡からしばらく行くと、林道タイノ原線と合流。しばらく舗装された林道を辿る。
旧道はほとんど呑みこまれ、かたちを留めていない。
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途中にある東屋の周囲は平坦で、幕営スペースには事欠かないが、風がめっぽう強く冬場はちょっと幕営するのは無理である。

尾根道の途中には檜股辻や今西辻、平辻など、辻がいくつかある。
いずれも下にある集落の名前のついた辻であり、各辻を入ればその集落へ下りることができる。

平辻で林道を外れて山道に入る。が、その後もまた林道に出たり、外れたりしながら大股へと下る。
標高800mほどまで下ると急に雪が減り、大股にはほとんど雪がなかった。

この日の当初の目的地は伯母子峠だった。
が、届くかどうか微妙な時間になってきた。
そもそも冬場に峠で水が取れるかどうかも怪しい。雪はふんだんにあるだろうが、融かしていたのでは面倒くさい。
大股のトイレで水を汲んで担ぎ上げ、萱小屋に幕営するか・・・おぼろにそんなことを思いながら大股へ下った。

13:30、大股バス停に到着。
練馬ナンバーのランクルが一台とまっていて、二人組の登山者がいた。
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水道凍結のためトイレは使用中止だった・・・。

こりゃどこかで水を汲ませてもらわないといかん。
人の姿を求めながら集落の中の急な坂道を登っていくと、人影はなかったものの人家の切れるあたりに水場があって、蛇口をひねると水が出た。なんという幸運!
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しっかり水を汲ませてもらって山へと入る。
やはり800mを越えたあたりから雪が出てくる。
そして14:50に萱小屋に到着。萱小屋というのは地名である。
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こ、これは・・・。
現在、この場所には避難小屋がある。それは知っていたのだが、まさかこんな素敵な山小屋とは。
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なんと!薪ストーブがあるではないか。薪もふんだんにある。
実は水まで小屋で取れた。
素敵すぎる・・・
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そりゃノートにこんな絵を描きたくなるのもわかる。
我々もありがたくストーブを使わせていただきました。
(クマが窓からのぞいてる(笑)。これもふんだんにあるクマ関係の注意書の賜物だ。オーストラリアからの旅行者だが、たぶん完全に誤解していると思う。)

それはそうと、どこで寝るかはまた別の話だ。
小屋というのがめっぽう寒く、テントのほうがずっと暖かいということをよく知っている。
この小屋もすごくキレイで見た目はいいのだけれど、隙間風がすごくて外とまったく変わらないくらい寒い。
小屋の中にテントを張れればベストだが、残念ながらそんなスペースはない。

外にテントを張って寝たほうが暖かい、ということが頭ではわかっていたのだけれど、薪ストーブにあたっている間に幕営するのが面倒になってきた。
ストーブをつけて寝ればこの隙間風でも眠れるんじゃね、ということに。
テントのほうが暖かいし、慣れている分いろいろやりやすい。でも、今晩は小屋に泊めていただこう。
小屋にあった銀マットも借りて、身の回りの隙間だけでもなるべく塞ぐ。
ストーブがついているのにそれでも寒いんだけどね・・・。

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熊野古道から 2017冬 2日目 雪の高野山

2017/2/2 木
始:8:00 ~ 終:15:25 曇り時どき雪 朝-5℃
0620起/0800発(三十九町の展望台) ~ 0910(大門)0935 ~ 0950(金剛峰寺(荷物デポ)) ~ (奥之院) ~ (食堂いけだ) ~ 1230(金剛峰寺)1305 ~ 1335(ろくろ峠) ~ 1420(薄峠)1500 ~ 1525(ろくろ峠に戻って幕営)

昨晩は0:30頃から一時間ほど雪が降り、3:30を過ぎると風が強まった。
そうだと知っていたけど、幕営した場所は風が当たって寒かった。

朝食は昨晩炊いたご飯の残りを塩むすびにしたものと、温かいスープ。
むすびは寝るとき上着のポケットに入れて、一緒にシュラフの中。
こうすると朝カチンコチンに凍っているなんてことがない、どころかむすびがそれほど冷たくならない。お湯を沸かすときコッヘルの蓋の上に置いておけば、ほのかに温まる。
朝食時はスープとコーヒーの分のほかにテルモス用のお湯(二人で1L)も沸かすから、必要なお湯の量は夕食のときより多く、それを沸かす間にむすびをそれなりに温められる。
MSRのガソリン漏れはどうにか大丈夫そう。消火後即ボトルを減圧してポンプをボトルから抜く、ということを徹底すればなんとかなりそうだ。

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パッキングして8:00に出発。所により薄っすら雪が積もっている。

大門までもう少しのところでカモシカと対面。
頭上に倒れ掛かった木から下りてきたので一寸ビビッた。
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ピンボケですが・・・丸々太ったカモシカさんです。まだ小さな若い個体。

高野山町石道でも、この後の小辺路や中辺路、伊勢路でも、「熊目撃情報」とか「熊出没注意」といった注意書がそこかしこにしてあった。
そりゃ熊は出没するだろ、そこに住んでるんだから・・・。
どちらかといえば熊のテリトリーに人間が入り込んでいるわけで、むしろ驚いているのは熊のほうだと思う。
シルエットやイラストに描かれているのはどう見てもヒグマだが、生息しているのはもちろんツキノワグマ。ドングリをはじめとした木の実が彼らの主食ですけど。
世界遺産になって以降特に多くの人が訪れるところだからわからないでもないが、ちょっと過剰に反応しすぎだと思う。
笑ってしまうのが、たまにある「熊のような動物を目撃」という注意書。
そりゃカモシカじゃないだろうか???(太っているし、黒いし、ノソノソ動くし、ニホンジカのように走って逃げることがないから、熊のようにも見える。)
熊野で山仕事をしていたり猟をしていたりする人の話からして、紀伊半島でそれほど熊を目撃できるとは思えない。

大門に着くとすぐ、雪が降ってきた。
雪の高野山なんて、なんだか神秘的ではないか。

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巨大な大門が目の前に忽然と現れる。
それは車道を上ってきても同じで、四年前はじめて見たときはその巨大さに驚き感動した。
高野山の入口となるわけだが、その大門にあるトイレ以降高野山ではどこでもウォッシュレットだから、これまたビックリ。感動すら覚える。

町中に人影はほとんどない。
四年前に来たのは五月中旬だったが、その時とはえらい違いだ。
(その時は外国からの観光客がたくさんいることに驚き、四国遍路の白衣を着た人もちらほら見られた。)

何はともあれ奥之院を目指す。
最奥にある弘法大師御廟まで、壇上伽藍から3.5kmほど。
小辺路に入るのにまた戻ってこなければならないので、荷物はデポしておきたい。雪が降っているのでできれば屋根の下に。
なんとなく前回自転車を置かせてもらった駐車場へ行ってみて、そこにあるインフォメーションの軒下に置かせてもらえないか聞いてみたのだが断られ、職員の方がコインロッカーの場所を教えてくれた。
貴重品は携行するわけだし、もともとそんなところに預けるつもりはなかったけど、試しにのぞいてみたら案の定、とてもこんなデカいザックが入るようなサイズではなかった。

結局、ザックは金剛峰寺の前のトイレの屋根の下(の隅)に置かせてもらい、空身で奥之院へ。
ちなみに、四国遍路は88番大窪寺を打って結願、高野山(奥之院)に参拝して満願となる。高野山は無事結願できたことへのお礼参り、という位置づけだ。
結願した後いつまでに満願、という期限は特にないだろうけど、自分らの場合一年以内には高野山を訪れることができたということになる。

高野山のどこで御朱印をいただくか・・・奥之院のほかに金剛峰寺や壇上伽藍の根本大塔、金堂などがあり、高野山にはその他にも優に百を超える寺院がある。
様々な場所で御朱印をいただくことができるので、コレクターの方は収集してみるのも一興かと。
ただ、四国遍路の最終目的地はあくまで奥之院、今も弘法大師が地下で瞑想を続けているといわれる奥之院最奥の弘法大師御廟。
一箇所で御朱印をいただくのであれば奥之院、ということになる。

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奥之院入口の一の橋で手と口を清めて中に入ると、さらにひっそりしている。もうほとんど貸切状態。
さすがの高野山もこんな時季には人がいないのか、と新鮮な気分になる。すごく静かだ。
そもそも冬場でなくとも一の橋から歩く人は稀で、(そこまで横着するなと言いたいが)中の橋から奥之院に入る人が多いのだけれど・・・。

「こんな日に貴重な参詣者だ。ありがとうございます」
と、管理している方に声をかけられるくらい誰もいない、雪の降る平日の午前中。
静寂に包まれた参道は杉の巨木の茂る中にあり、その両側に二十万基を超える墓碑が並んでいる。正確に言うと墓地の中だ。
名だたる大大名の墓(というか供養塔だが)の並ぶそこは神秘的な、独特な空気が満ちている。

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誰もいない御廟橋。橋から先は聖域で、もちろん撮影禁止。

燈籠堂の裏手にある弘法大師御廟の前で読経する。
これは・・・なんという清々しい気分だろう。
これまた貸切状態。高野山においてこんなにも人がいないなんてことがありえるんですね・・・。

参拝を済ませたら、御廟橋のすぐ外にある納経所で白衣の一番上に御朱印をいただく。
お遍路で白衣に御朱印をもらうとき、一番上は高野山のために空けられる(納経所で自動的にそのようにしてくれる)。
これにて満願!
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ちなみに、マユミの白衣は板東駅近くで森さんにいただいたものである。
その白衣は、上の写真で「南無大師遍照金剛」となっているところが「南無観世音菩薩」となっている。
「女性が身につけるものだ」と森さんに説明されてそうなのかと思っていたのだが、実はこれ、西国三十三所のための白衣だったらしい。
奥之院の納経所の方に教えられて判明した。
別に間違いということはないのだろうが、四国の納経所では誰もそんなこと教えてくれなかったな・・・。

奥之院を出ると、既に11:30近くになっていた。
中途半端な時間になってしまい、今日の行動をどうしようか微妙なところ。
今日中途半端なところで行動を切ると、明日以降もずっとテン場に困りそうな気がするのだ。

昼時で腹が減っていて、途中で見かけた「いけだ食堂」に何はともあれ吸い込まれた。
何にしようか迷った末に、二人揃ってかつ丼を食す。
旨かった・・・一大観光地でもある高野山にこんな普通の食堂があるなんて奇跡的だ。

腹が満たされ幸せ気分で荷物のところへ戻ってみると・・・屋根の樋から滴る雪融け水をかぶってザックが凍っていた。
デポするときはもちろん乾いていたのだが、屋根の雪が融けて水が滴り、地面もびしょ濡れになっていた。
まさか樋から水が漏れるとは思ってもみなかった・・・。

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雪の金剛峰寺

金剛峰寺の参拝を終えると、早13:00近く。
今日は小辺路に入ってすぐのところで切ることにした。
金剛峰寺のトイレで水を汲んでおく。

以前にも書いたが、高野山は標高800m以上の台地にありながら、さらにその周辺を弁天岳や摩尼山といった1,000m級の山々に囲まれており、盆地状の地形をなしている。
下界とは隔絶された山上の宗教都市といった様相だ。
今でこそ車道やケーブルで簡単に上がることができるが、それ以前はもちろん麓から徒歩で往来するほかなかった。
高野七口といって、高野山へ入るには昔から七箇所の主要な道筋があった。
七口というのは大門口(九度山、和歌山方面)、不動坂口(京阪神方面)、黒河口(大和方面)、龍神口(龍神、田辺方面)、相ノ浦口(花園、有田川方面)、大峯口(野川、洞川方面)、大滝口(十津川、本宮方面)である。
このうち表参道に当たり、もっとも保存状態がよいのが大門口(高野山町石道)。
次いで保存状態がよいのが大滝口、即ち高野山から十津川を経て南の本宮大社に至る高野熊野街道で、小辺路というのはこの道のことである。
京・大坂から高野山に詣で、次いで熊野三山へと向う信仰の道であり(東北や関東など東国からの参詣者は逆に熊野三山から高野山へと向うことが多かった)、間に1,000m級の峠が四つある。

そんな小辺路の入口となるのは、金剛三昧院の横を抜けたところ。
「金剛三昧院入口」と刻まれた石碑のあるところから奥へと入っていく。
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ここでもメインストリートから僅かに入っただけでひっそり静まった別世界となる。
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薄っすら雪の積もった林道をしばらく登ると、ろくろ峠。
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峠の少し先に素晴らしいテン場があったが、さすがに時間が早すぎるのでスルーすることにし、その先の薄(すすき)峠まで足を延ばすことにした。
14:20、薄峠に着く。ろくろ峠に比べてかなり狭い。
ギリギリ一張りが幕営可能なスペースはあったのだが、風の通り道でどうにも厳しい。固定のための石を集めていったん幕営を試みてみたのだが、風が強すぎてちょっと無理そう。
峠の先は急な下りで、積雪が急に増える。少し先まで偵察してみたのだが、どうにもしばらくテン場は得られそうにない。
だんだん風雪も強くなってきた。
先ほどスルーしたろくろ峠の快適そうなテン場が頭にちらつく。

・・・よし、戻ろう!(苦笑)
そうと決まれば即撤退。再びテントをザックに詰め込んでろくろ峠まで戻った。

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そこはやはり快適なテン場だった。風がない分、薄峠よりだいぶ暖かい。
警戒のためか、夕方から鹿が近くでキンキン鳴いていて少々うるさい。

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Trackback [0] | Comment [0] | Category [■ 001_Koyasan Choishi Michi / 高野山町石道] | 2017.03.07(Tue) PageTop
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熊野古道から 2017冬 1日目 高野山町石道

2017/2/1 水
始:7:20 ~ 終:16:30 晴れのち曇りのち細かい雪 朝3℃
0620起/0720発(道の駅柿の郷くどやま) ~ 0735(慈尊院) ~ (丹生官省府神社)0800 ~ 0845(百六十六町の先の展望台) ~ 1000(六本杉)1015 ~ 1035(丹生都比売神社(空身で往復))1055 ~ 1115(六本杉) ~ 1145(二ツ鳥居) ~ 1325(笠木峠) ~ 1415(矢立) ~ 1545(三十九町の展望台) ~ (空身で二十六町の先まで往復) ~ 1630(三十九町の展望台に幕営)

出だしで行動パターンが定まっておらず、とりあえず6:20に起きてみた。
直売所やベーカリーなど、店が開くのは9:00からだが、ベーカリーのほうは早くも6:30には人が来て準備をしていた。
昨日買った田舎寿司を自販機のホットのお茶と一緒に食べ、7:20出発。
このお茶の入っていた小さなペットボトルは、捨てずにマユミがなんとなく持っていることにしたのだが、狭いところで水を汲んだりするのに後々とても役立った。

今日からいよいよ熊野古道を歩き始める。
まずは紀ノ川のほとりの慈尊院から高野山まで、高野山町石道を登る。
ちなみに、高野山町石道は高野山・町石道のように区切り、「こうやさんちょういしみち」と読む。高野山町(そんな町はないが)の石道ではなく、高野山の町石道である。
つまりは高野山へと登る、町石の置かれた参道ということだ。
卒塔婆である町石は高野山へと至る参道の一町ごとに立てられている。
一町(一丁)≒109mであり、大門を経て壇上まで百八十町、そこから奥之院まで三十七町ある。
合計二百十七町ということになり、総距離は24km弱である。

道の駅の裏手から路地をまっすぐ行くと、慈尊院の前に出る。
路地は道の駅に接した県道から僅かに一本入っただけだが、それだけでまったく別の世界が広がっているからおもしろい。
この路地歩きがある意味歩き旅の醍醐味だ。
幹線の国道や県道を歩いていても不快なだけで何ひとつ楽しいことはないのだが、本当に路地一本入っただけでまったく別の、そことは完全に隔離された世界が広がっている。
歩くなら、できる限りこういうところを歩きたい。

慈尊院は真言宗の寺である(空海の母と深い関わりがある)。
当然、本堂と大師堂があり、順にお参りする。お遍路の時と同じ作法で参拝。
山門の前で一礼、手水で手と口を清めようと思ったら、手水の水がカチンコチンに凍っていて清められず・・・朝、テントの前で測ったら3℃ほどであったのだが、出発してすぐ外気温はずっと低いように感じた。たまたま幕営した場所が暖かかっただけなのかもしれない。
・・・まぁいいか。
気を取り直して参拝。
ろうそくに火をつけて線香をあげ、納札を納める。お賽銭を入れたら合掌し、邪魔にならないところに移動して読経。
一年ぶりの読経。滞りなく読めるか不安だったのだが、読経を始めるとスラスラ読めるから驚いた。
経文はリズムで覚えているから、一度スラスラ読めるようになると忘れないものらしい。
朝一、心を静めて仏前で読経するというのは実に気持ちがいい。なんともいえない清々しい気分になる。

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慈尊院の山門(左)と、大師堂(右)

慈尊院から石段を上った奥に丹生官省府(にうかんしょうぶ)神社がある。
石段の中間部に鳥居があり、その手前に百八十町と刻まれた卒塔婆が立っている。
ここが高野山町石道の起点、壇上まで百八十町の地点である。

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(左)中央に見える石段を上った先に丹生官省府神社がある。  (右)石段の途中にある百八十町と刻まれた卒塔婆(町石)

丹生官省府神社は弘法大師が創建したといわれる。
神社の御祭神である狩場明神(高野御子大神(たかのみこのおおかみ))が、従えていた二頭の犬を放ち空海を高野山へと導いたと伝わる。

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(左)丹生官省府神社  (右)本殿

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こちらの手水も凍っていたが、どうにか手と口を清めることができた。

参拝を終えたら、いよいよ高野山へと向う。
参道には立派な町石が一町ごとに立てられている。
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町石は高さ一丈一尺、幅一尺余り。正面に梵字と町数、脇に寄進者の名前などが彫られている。
弘法大師は高野山を創建すると同時に、木製の卒塔婆を立てたと伝えられる。それが石造に代わったのは鎌倉時代末期で、幕府が後押しをして行われた。
そのため寄進者には時の実力者である北条氏の名も多い。

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中には長い年月が経過して折れてしまったものもあり、そういったものは丁寧に修復されたり、立て直されたりしている。

他に人はおらず、静かでいい感じだ。
道は樹林の中。杉や檜の人工林が多い。
湿っていて、道がけっこうぬかるんでいる(朝のうちは凍っていた)。

8:45、ひと登りした展望台で休憩。
紀ノ川と橋本の町並みがよく見える。昨晩泊まった道の駅もよく見える。
朝はこのようにピーカンだったのだが、早くも9:00を過ぎると曇ってしまった。
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展望台の付近一帯は一面柿畑。
道の駅も「柿の郷くどやま」である通り、柿の生産が盛んなようだ。甘柿と渋柿のどちらも生産しているようである。
この柿畑がまたえらく急な斜面にある。日当たりは抜群であるが、収穫など作業は大変そうだ。
伊那谷の柿畑などまだまだ甘い・・・と思ってしまった。

ちなみに、柿は多くの外国語でも「カキ」という通り、(もともとは中国から入ってきたものらしいが)日本を代表する果実である。
おそらくもっとも日本の気候に合っていて、原種や、こぼれ種が成長したものが普通に自生している。見た目や大きさなどにこだわらなければ手間もかからず、庭でもたわわに実る。
暖かいところに来ると、柑橘類も強い(日本の気候に合っている)と感じますね。こぼれ種が育ったものだと思うけど、山の中に普通に自生して実をたわわにつけていますから。
一転、リンゴというのは日本の多湿な気候にはまったく合っていないのだとよくわかる。育てるのにえらい手間がかかるし、こぼれ種なんて無数にあるはずだけど、自生している木なんて見たことないですから。
ヨーロッパなんかだと田舎へ行けば、川原や道端なんかに普通に自生して実もつけているのだが、日本では一度も見たことがない。

丹生官省府神社から二時間ほどで六本杉に到着。
ここから丹生都比売(にうつひめ)神社まで1.3kmほど。高野山へのルートからは外れるが、40~50分ほどで往復してこられる。
こういう場合、また次の機会に・・・となってしまいがちであるが、「次の機会はないと思ったほうがいい」というのが数年前からの信条なので、荷物をデポして空身で往復することにした。

丹生都比売神社は実に立派な神社だった。
全国に八十八社ある丹生神社、さらに丹生都比売大神を祭る神社が摂末社を入れると百八十社余り、その総本社が丹生都比売神社である。
歴史は古く、創建されたのは千七百年前とされる。

前記した高野御子大神(狩場明神)は、丹生都比売大神の御子である。
密教の根本道場の地を求めていた弘法大師の前に、黒と白の犬を連れた狩人に化身した高野御子大神が現れ、弘法大師を高野山へと導いた。
弘法大師は丹生都比売大神より御神領である高野山を借り受け、山上大伽藍に大神の御社を建てて守護神として祭り、真言密教の総本山高野山を開いた。
古くから日本人の内にある、祖先を大切にし、自然の恵みに感謝するという神道の精神が仏教に取り入れられたのは、弘法大師が高野山を開いて以降とされ、これ以降、神と仏が共存する日本人の宗教観が形成されていった。

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(左)丹生都比売神社楼門。(右)が四殿の本殿で、社殿を寄進したのは北条政子(現存する本殿は室町時代~明治時代に復興されたもの)。

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見事な太鼓橋・・・は、残念ながら冬の間は渡れず。

11:15に六本杉に戻ってきた。
寒気が入っているようで寒い。気温が下がった。

六本杉から30分ほど歩くと二ツ鳥居がある。丹生都比売神社境内の入口、ということである。
まず丹生都比売神社に参拝し、その後高野山に登るというのが慣習だった。
鳥居は弘法大師によって建立され、当初は木造であったが慶応二年に石造に建て替えられた、とされる。説明版によると寄進者は一個人である(名前もあったが忘れた)。

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(左)二ツ鳥居、(右)二ツ鳥居からの眺め。丹生都比売神社のある天野の集落が見える。

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応其池(おうごいけ)の先に感じのいい山里があった(信じられないことにすぐ先にゴルフ場がある・・・)。
町石道沿いに集落を見下ろせる地蔵堂があり、その前が素晴らしいテン場になっているのだが、幕営可能かどうかは定かでない。

13:25に笠木峠を通過。
ずっと今にも雪が降り出しそうな空だったが、13:00を過ぎた頃からとうとう降り始めた。雪というか細かい氷の粒が降っている。
それほど濡れるわけではないのだが、幕営前に地面が濡れてしまうのがまいった。

14:15、矢立で国道を渡る。
矢立には公衆トイレがある。2013年に自転車で高野山に上ったとき、ここで幕営用の水を汲ませてもらった。懐かしい。
今回も同様に幕営用の水を確保する。
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これでどこでも幕営可能。
三十九町の展望台までが勝負だったのだが(その先は町石道が国道と並走する)、いい場所がない。
実は、三十九町の展望台というのは前回幕営した展望台ではなかろうか、とおぼろに思っていた。もしそうならそこに幕営可能だ。
・・・確かウッドデッキのようなものがあったはずだから、この雪でもぬかるんだりはしてないだろう。
そんな期待をしつつ展望台に着いてみたら、まったく別の場所だった。
立派な東屋の下にはテーブルとベンチが鎮座していて幕営できないが、その傍らに幕営可能だ。
が、吹きっさらしで寒いのでひとまず保留。

荷物を置いて先の状況を探ることにした。
ただテン場を探しつつ、二十六町のベンチのある平坦地まで行ってみたのだが、どうにもダメそう。
ベンチのあるところは沢沿いで、じめじめしている上に雪まで積もっている。これなら展望台のほうがマシだ。

展望台へ戻り、前後の山中から石を拾い集めて幕営。
幸い、雪は15:30頃にはやんでいた。
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待望の夕食。ご飯とふりかけに野菜スープ。
マルちゃんのフリーズドライの野菜スープ、初めて食べたのだが具がたっぷりでめちゃくちゃ旨い!

MSRでの調理が久しぶり。
手順をすっかり忘れていて手際が悪い。ま、二日もすれば安定するだろう。
・・・と、そんなことより、条件によってMSRから軽くガソリンが漏れる。
ポンプに本体を挿してからポンピングし、消火後は即ポンプから本体を抜いてボトルを減圧、ポンプはボトルから外して保管・・・これでどうにかいけそう。
ポンプをボトルにセットしたままにできないので面倒な上、都度ガソリンが少々無駄になるが致し方あるまい。

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Author:nakappie
1970年生まれ。妻と二人信州伊那谷在住。
2009年10月~2013年5月の旅を記録するために”なかっぴー通信”をスタートさせました。
現在は伊那谷にて節約生活をしながら充電中。
2014年4月、ブログのタイトルを”なかっぴー通信NEO”に改めました。
信州伊那谷より~旅のこと、山のこと、自転車のこと、そして田舎暮らしのことなどなど・・・気ままに綴ってゆきます。
”おもしろきこともなき世をおもしろく”そんなふうに生きていけたらいいですね。

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